第三夜 天色(あまいろ)の夢~約束のワンピース~

「いいお天気ねえ」


 だんだんと色濃く伸びてきた、柔らかな草むらをしとねに、あなたは空を見上げる。


 戸惑いながらも、私もそれにならって身を横たえる。


 まぶしさに目を閉じて、ゆっくり開いた途端に、どこまでも広がる天の海に飲み込まれそうになる。


 澄みきった夏の青空を「天色あまいろ」と呼ぶのだと教えてくれたのも、あなただった。


「ホントにいいお天気です。空がとってもきれいです」


「もう、そんな風に喋らなくっていいって、言ったでしょ? もう、きょうだいなんだから」


「すみません」


「だから……ま、そんなところも可愛いけどね。……ああ、ホントに綺麗な空。雲ひとつなくて、このまま切り取ってしまいたいわ」


「空を切り取ってしまうのですか?」


「そう。それで、服を作るの。何がいいかなあ?」


 私の顔を覗き込んで、あなたは首をかしげる。


 こういう顔をする時は、私の新しい『姉』が私に答えを求めているのだと、最近学んだ。


「……ワンピースがいいです。昔、……絵本で読んだんです」


 こんな子供っぽい答えに、けれどあなたは、にっこり笑ってうなづいて。


「うん。私もそのおはなし、好きだわ。そうね、いつか、……あなたによく似合うワンピースを、作るわ。約束する。こんな風に、澄みきった、天色のワンピース」


 

『いつまでも子供みたいなことばかり言って!』


 母に聞かれたら、きっとそう言われるに違いない言葉も、私の素敵な『姉』は、いつも笑顔で受け止めてくれた。


 優しくて、温かな笑顔。


 母親似だというその笑顔を、けれど新しい母は、好まなかった。


 私とよく似た面差おもざしをみにくゆがめて、私の大好きな姉をおとしめる言葉ばかり口にする、母。


 姉をかばう勇気もなく、私はただひたすら、耳をふさぎ続け。


 そして。


『いつか、……』


 その約束は果たされぬまま、あなたは家から姿を消した。


 あなたの血を分けた父親は、母から隠れるようにして嘆いていたけれど、それだけだった。


 風の噂すら聞こえず、あなたの行方を探す当てもなく、時は過ぎた。


 やがて、姉が消えたよわいを、私の年が越えたころ。


 ある日、旅先で通りかかった、小さなブティックのショーウィンドウを飾る一着のワンピースに目を奪われた。


 澄みわたる夏空のような、天色のワンピース。




「よろしければ、店内にどうぞ」



 ガラス越しに吸い込まれるように立ち尽くす私に、降りかかる穏やかな声音。


 どこか懐かしいその声の主は……声と同じく穏やかな眼差しの。


「あ、あの……」


 戸惑う私に、優しく微笑みかける女性は、私を見上げて、息を飲んだ。


「……もしかして?」


「……姉さん?」



 記憶の中より、ずっと小さなその体を、私は思わず抱き締めた。



「……もう、ワンピース、直さなくちゃ」


 腕の中で、小さく響く鼻声。


「もう僕は、ワンピースは着ませんよ」


「え?」


「あなたの着せ替え人形のふりは、もうしません。それじゃ、あなたを守れなかったから」



「……守られたくなかったの。妹みたいな可愛い弟のままで、いてほしかった。弟だと、思えなくなる日が、怖かった、から」



 涙ぐむ『姉』だった女性と店内に入ると、どこまでも深く澄みきった夏空を切り取ったようなワンピースが目に入る。


 その襟元に掛けられていた、日焼けした『非売品』という札。


 目に優しいクラフト紙の、亜麻色あまいろのカードに書かれた、見覚えのある丁寧な文字も、すっかり色褪せて。


「これは、売らないんですか?」


「ええ。……欲しいの?」


「はい。僕のために、作ってくれたんでしょう?」


「……それが、約束、だったから。たとえ、果たせないと分かっていても」



「これを、僕の愛する人に、着せたいんです」



 一瞬、傷付いたように見開かれる目元。

 





「きっと、あなたに似合うと思うんですよ」




 



 ………………こみ上げる切ないまでの恋情を抱いて、私は目覚めました。


 その想いを封じ込めるように空の小瓶をギュッと胸元で握りしめ、手をそっと開くと、淡く色付いたミルクコーヒーのような液体を湛えた小瓶がありました。


 


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