(12)『がんばれ太郎助』


(12)【スイーツ(笑)】緑色/リンゴ/激しい才能 (2073字を/75分で)


 緑色のリンゴを買ってはいけない。祖母からの忠告を読んだのはまさに緑色のリンゴを買った帰り道だった。バス停の待ち時間ですぐに返信をする。「もう買っちゃったよ」送ってすぐに返事を入力している様子が表示された。入力が遅いのですぐに届くとは思っていない。それでも目が離せない。祖母はこれまで、行動を止めようとするのは本当に危険なときだけだった。理由を質問する前に送ってしまったが、まずは返信を待つ。入力中に画面を動かすのはあまりよい影響がなかった。


 返信より先にバスが来た。大きな駅で乗った人を乗せて、普段なら座席がほとんど空いていない。前に並ぶ人も含めると、まず間違いなく立って揺られる。今日は空いている。ラッキーよりも不気味に感じた。


 乗車券を取り、前側へ向かう。この後で混みやすい地域と知っている。今日はもう一つ、運転手の様子を見たくなった。オカルトを信じてはいないが、完全な作り話だと信じてもいない。念のためだと自分に言い聞かせる。言い知れない不安感には自己暗示で対抗すると決めていた。


 バスの空気はやけに乾いている。鼻から吸うと真冬でもないのにツーンと痛みが走る。ドライノーズだ。ゆっくりの呼吸で前の左側席へ向かう。正面の道と運転手の横顔が見える。紺色の帽子の下に見えた顔は、皺が多く、丸眼鏡で、しみが目立つ頬肉が柔らかそうにぶら下がる。普段の運転手ではない。それどころか、見覚えがある。祖母のものだ。


「タロウスケぇ、緑のリンゴはやめろと言っただろぉ? 小さい頃から、口酸っぱくさあ! 忘れん坊にはおしおきの、地獄行きバス零泊無限日の旅だよぉ!」


 祖母は発車ブザーも鳴らさずにアクセルを踏み込んだ。タイヤが回転音を鳴らし、ひとつ遅れて動き出す。日本では公道を走れないはずの、スリックタイヤの音だ。本来はサーキットの熱い路面で表面を溶かしてのグリップを発揮するタイヤだが、日差しが強いとはいえ、日本の一般道路で高温にするとは、さすが『サーキットの激熱クイーン』の異名で知られる元チャンピオンだ。


 だからといって黙って負けるつもりはない。勝つためには勝つ意志が必要だ。心が挫けてはどんな強さも台無しになる。もう片方の祖母が教えてくれた。バスの中にある道具は限られている。飛び降りる選択肢は亜光速での走行により封じられた。生き残るにはまず減速だ。


 今日は木曜日、この日のバスは後ろ向きの運転席がある。運航ルートの都合でジグザグに走る必要があり、後ろへ進む道を補助運転手が担う。よし、キーが入っている。これなら動かせる。目の前のカーテンを開けて、後ろ向きのアクセルを踏み込んだ。


「考えたな! だが運転テクニックで私に勝てるか!? 三輪車の補助輪も外せなかったお前が!」


 祖母の言うことは尤もだ。小中学校では自転車に乗れなくて笑われたし、高校ではバイクの後ろにも乗れなくて蔑まれていた。今だって車の免許を持っていない。何年も不合格続きで教官も呆れていた。しかし、地獄行きを防ぐ手段が他にない以上、まぐれに期待するほうが指を咥えるよりましだ。


 景色が揺れる。祖母の運転テクニックで走破だけでも困難な道を進んでいる。本来なら無限軌道の履帯でようやく通れるような悪路をスリックタイヤの蛇行で進む。針の穴に糸を通すような限られた走破可能ルートを的確に選び続けている。パンと手を鳴らす。思考を切り替える音だ。怖気付いても勝ち目にはならない。アクセルを踏み込む。推進力をわずかに削ぐが、まだだ。テクニックの分だけ減速させきれない。


 勝てない。試して早々だが力の差は歴然だった。いくら弱者とはいえそのぐらいはわかる。まぐれが通じない以上、勝ち目はどこにもない。


 ならば、引き分けに持ち込むには。ハンドルをめちゃくちゃに動かした。小回りを利かせすぎる方向へ噛み合ったとき、車体が道路を飛び出した。脱線だ。頑丈な木々が窓から飛び込み引っかかって転げさせる。その勢いで平地を転げ回り、残っていた対戦車地雷を踏んで吹き飛ばされる。いかにバスが強くとも、衝撃を受ければ吹き飛ばされる。長方形の車体が転がり、宇宙飛行士の訓練に匹敵する回転運動をその場で味わう。遠心力で血液が脚側に集中する。ブラックアウトだ。


 気づいたときには、祖母と一緒に海岸にいた。周囲に建物は見えず、人影は同乗していた男女が二人だけだ。もう少し遠くでバスが燃えている。燃料に引火する直前に祖母によって助け出された。話を最期に祖母は血を吐いて膝をついた。久しぶりの運転に耐えられなかったらしい。重要な情報を遺した。


「タロウスケぇ、ひとつだけ嘘を言っていた。バスの本当の行き先は地獄ではなく、ソマリランド共和国のハルゲイサだ。まあ、少しだけ届かなかったがな」


 祖母は腕の中で息を引き取った。どうにかして日本に帰らなければならない。まずはあの二人に挨拶を。現地の言葉がわかるか確認し、武器の扱いや食料の確保も必要だ。


 よーし、心機一転、頑張るぞ。


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