(11)『先導者の休日』



(11)【純愛モノ】来世/金庫/伝説の廃人 (2003字を/59分で)


 火災から二日後。僕の家があった場所には、黒焦げの何かが積まれている。重機が動く前の早朝からたった一枚の手袋を頼りに柱だったらしきものを退けていく。冬の乾燥した空気が敷地内だけぬるく湿っている。それともより乾いている? うまく判断がつかないが、とにかくここだけは違う。


 目当ての品は最悪の形で発見された。炎の勢いが凄まじく、金庫が耐えきれなかった。置く位置が悪かったのかもしれない。掘り出しやすいよう外側近くに置いたが、放火犯が狙った場所と同じで、最も長い時間を炎と共にいた。中身はすでに読めないくらいぼろぼろで、何の権利も示してはくれない。


 僕は全てを失った。一応、罹災による手当はあるが、それまでを覚えていたら雀の涙でしかない。失意と共に手袋を外す。鼻水を手袋に出す。燃え殻の色が混ざっている。どこへ行くでもなく、この場を離れたかった。道を曲がりやすい方へ曲がると公園に案内される。ここからなら跡地との間にちょうど誰かの煙突が重なり、いつも通りに戻ったように見える。


 絶滅を免れた箱型ブランコに座る。ギイと錆びた音を鳴らして揺れる。冷たい鉄で尻が冷える。ここに座るのも久しぶりだ。前回はたしか、最初の職場が倒産した直後だった。その後は順調でこそないが進んでいたので世話にならないまま、数えると十年ほどが過ぎている。そのまま、自分で舵取りをした期間だ。今はまた舵取りができなくなり、ブランコのように、同じ場所で前後している。


 風が木々を揺らす。自転車が通りすぎる。子供たちが学校へ向かう。賑やかないつも通りの音が聞こえてくる。動き続けていた脳が休息を求めている。何を考えるでもなく目を閉じていた。途切れ途切れに寝ていたかもしれない。これから、どうする。少しだけでも疲れを取ったらすぐに考えが動き出す。癖になってしまった。堂々巡りの考えの途中で、自転車の音が近づいて、止まった。目を開いて頭を上げる。鉄板模様の黄色が眩しい。


「やっぱりここにいたか。怪我ではないね」


 アルトの声。僕が失ったのは全てではないかもしれない。恋人だけは残っている。残っていて欲しい。自転車で一時間も走る手間をかけたなら、きっと残ってくれる。だけど、彼女には? 僕は彼女に何も残せない。悲観的がすぎるとも思うが、揺らぎようのない事でもある。


「君のことだからしょげてるでしょ。朝ごはんは? 食べてないなら行くよ。一番乗りでね」

「僕にはもう何もないのに、なぜそうまでしてくれる?」

「怖がりさんめ。好きだからだよ。詳しくは食べてからね」


 アルトはいつもこうだ。普段はアプローチを待っているが、僕が凹んでいるときだけリードしてくれる。心地よい関係だが、いまは恐ろしくてたまらない。この魅力的な女性に対し、無力な僕では足りない。そんなことない、といつも彼女は言う。唯一の信用できない言葉だ。原因が僕にあるのはわかっている。それでも。


 今度こそ僕はおしまいだ。いくら彼女を信用しても、頼り続けるわけにはいかない。やがては自分の足で立つ必要がある。僕にはその自信がない。飲食店街の前に駅がある。きっとここが最後のチャンスだ。通り過ぎたら僕は、何も言えないままになってしまう。


「やっぱり行けない。今日はほっといてくれないか」

「どうしても?」

「どうしても」

「じゃあ、いつ会う?」


 裾を掴まれては逃げられない。僕は答えを考えた。曖昧にするのは無理だ。必ず日付か時期か場所を要求する。具体的でなくてもいいが、曖昧は許さない。彼女はそういう人だ。僕のこれからを踏まえて、彼女と次に会う日は。


「輪廻のどこかで、また逢いましょう」


 返事が止まる。格好をつけすぎた。仄めかしてしまった。最期がこれとは、本当にだめな男だ。情けないが、だからこそこのまま終わらせられる。その確信を破るのがやはり彼女だ。半分は背中を向けた僕を引き、正面を向かせて、二本の腕を絡めつける。強く。僕が腕を垂らすとちょうど彼女の尻の位置にある。何も力を入れないのは無礼じゃないか。仕方がないので腰の、力を入れずとも引っかかる窪みの位置に置いた。


 それだけのつもりだったが、なぜだか涙が溢れてきた。今までがどこかで堰き止められていたように、どんどんと溢れてくる。溢れたら彼女の肩や背中に流れ落ちる。今日の服は見たことがある。乾くのが早いと自慢していた夏用の運動着だ。インナーで防寒性を確保しているのだろうが、それでも外側がこれではきっと寒い。なおさら離せないじゃないか。


 やっぱり、彼女にはすべてお見通しだった。バイクやタクシーではなく自転車を選んだのも、どこかで逃げ出してもいいよう小回りを重視していた。ひと通りの泣き言で落ち着いた後、彼女は力強い言葉で僕を奮い立たせた。


「来世なんてないよ。人にあるのは今だけだ」


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