(10)『二人の時間』


(10)【学園モノ】宇宙/矛盾/残念な主従関係 (1850字を/89分で)


 三年四組の教室。生徒が多い時代の名残は表札だけになり、その表札も手書きの「占い部」が貼られている。僕の静止を押し切って先輩が貼ってから一週間が過ぎた。非公認の部活なのに片付けないあたり、自主性を尊重してるんだか手間を惜しんでるんだかか。


 実際、勝手に使っても許してもらうための家賃と言って、占い部が掃除を担っている。作業としては僕が窓を開けて、帰り際に僕が窓を閉める。ときどき軽く掃く。誰も使わない限り、埃の内訳たる糸くずも落ちない。空気の入れ替えだけの楽な仕事だ。


 初めは粘つくような空気と悪臭でひどい有様だった。月に何度かは掃除をしている、と後で聞いたがどう考えてもそんなに熱心ではない。年季が入った掲示板の隅を見ればわかる。半ば強引に入部させられて最初の活動はカビ掃除だった。


 あの先輩が都合よく鼻で使いたいだけにも思えたが、低い頭をさらに下げられては断れなかった。廊下で「もう暑いねー」と言ってリボンを緩めて、ボタンを外していたので、確実に乗せられた。カビ掃除は前かがみの口実になる。


 今日は湿った臭いある。近づくと強まった。気のせいだと思おうにも、先にトイレにと通り過ぎたら臭いが薄まる。生乾きの洗濯物のような臭い。階段では上級生の喋り声が聞こえていた。先輩はすでに部室にいて、きっと変なことを企んでいる。個室は静かで目にも優しいので考えるに適している。


 たとえば、水を使った占いと称しての水遊び。あの先輩ならやりかねない。たった二人で部活を名乗る割に寂しがり屋なところがある。すぐに遊び始められるよう準備をして、待ち切れず一人で遊んでみた。大いにあり得る。


 たとえば、水を飲もうとして盛大にこぼした。先輩は水筒を使っているが、ときどきペットボトルを買っている。今日の暑さは微妙だが、積極的な否定はできない。口につけるより先に傾けてしまった。あるいは、普段の癖で蓋に注ごうとして、ペットボトルの小さな蓋から溢れる。どちらも大いにあり得る。


 すっきりついでに、臭いを手を拭いたハンカチと比べた。今日は一度も使っておらず、洗いたてを濡らしたのと同じ匂いがする。部室からの臭いはやはり、何かが混ざっている。覚悟を決めて、指がもう濡れていないと確認して、扉を開けた。


「先輩、僕です。来ましたよ」


 声を投げ込みながら、最初に見えたのは先輩の背中、ではなくワイシャツを持って暖簾のように突き出している。その上に見える髪は後ろではなく前髪だった。背中の広い範囲が濡れているが、空間があるので透けはしない。


「やあ後輩、遅かったみだいだね。突然だが今日は、扉の向こうに座ってくれないか。そして背中合わせでおしゃべりをしよう。映画のようにね」

「僕は映画ってより、締め出されだ気分になりますけどね。何があったんです」


 言い終える前に、締め出されて扉を閉めた。先輩はいきなり注文をつけてくるが、無茶な注文はしない。僕たちはきっと理想的な関係だ。実行は得意だが決断が遅い僕と、好奇心が旺盛だがすぐ失敗する先輩。最初の話題として、今日は何が起こったかを訊ねる。


「水占いを披露するつもりだったのだけど、そのための水をこぼしてしまってね。全身びしょ濡れだよ」

「大変でしたね。服を持っていた理由も想像つきました。見せられませんものね」

「そうだとも。後輩がいつくるかわからないから、ずっとああしていたのだぞ。おかげで手がどうなったと思う」

「どうにもならないと思いますが、先輩だからなあ。棒みたいになったんですかね」

「いい洞察だ。労ってくれたまえよ」

「はいはい。乾いてからですよ」


 先輩との話に付き合いながら、僕は変な部分に気づいた。うっかり水を溢した結果、背中側が濡れるあろうか。どことなく、何かを隠すか誤魔化すために濡れたと言っている気がする。たとえば、誘惑するつもりだったが直前になりやっぱりやめたなど。希望的観測だが、先輩ならやりかねない


 この話は僕の胸中に秘めておく。先輩のタイミングで、改めてのチャンスを用意する方が、きっと可愛いところを見られる。今夜のやることが増えた。先輩はときどき、夜中にネタバラシの連絡を送ってくる。スタンプで返事を往復するまでが定番だ。背景が宇宙になっているスタンプを用意しておく。想像と違った場合でもここから話を膨らませる。


 ようやく部室に入って最初に、カビが増えていないかの確認をした。今度は僕が自主的に。



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