(3)『長い話』


(3)【偏愛モノ】西/蜃気楼/危険な幼女 (1766字を/71分で)


 テノルの朝は電車から始まる。通勤や通学の時間が近い人々が毎日こうして顔を合わせると、何人かはじきにこの場を共有する友人となる。学校よりも近く、ゲームセンターよりも浅い仲だ。安定して顔を合わせる相手とは、複数の価値観が交わる情報源であり、エコーチェンバーを防ぐ安全弁になる。可能な限り多くを確保すること。情報が錯綜し分断が起こる時代では誰もが見知らぬ第三者を求めている。


 テノルと波長が合うのは歳が近いグループと何人かの子供だ。歳の違いは三つだけなのに、子供はすでに小学生なために、テノルにも焦りが生まれる。ここで相手を探せば住居も近いので逢瀬を重ねやすいが、相手との相性もある。この場に接続された女性陣はすでに想い人がいる。


 テノルの家は駅の西側にある。家賃重視で、内装も立地も十分に満足いくと喜んで決めたが、住み始めたら問題に気づいた。毎朝の出発のたび、東の朝日が真正面から照りつける。帰るときも西側の夕陽が容赦なく顔を焦がす。すぐに日傘を買う理由になった。長い影を尻尾にして通勤路を進む。


 影が後ろにある状況では、誰かが後ろから近づいても影での察知ができない。小さな足音が毎日、テノルのすぐ近く、息がかかる距離まで迫っている。足元に影は見えず、髪や服が息を受け止める。


 日曜日の朝。テノルのインターホンが鳴った。通信販売が届いたと思ってすぐに扉を開けると、姿はごく小さい。電車で顔を合わせていた少女、サナメが立っていた。


「サナメちゃんか。ご用事かな」

「いかにも。嫁ぎに来たのだ。心して受け入れよ」

「ちょっと待ってよ。お母さんは?」

「奴は置いてきた。我らの営みにはついて来られまい。さあ、共に蜃気楼の研究をしようぞ」


 サナメの喋りは普段とは異なり、小さな身ながら威厳を感じさせる。大人びているのとも違う。普段は無害な子供を演じていたと考えれば納得してしまう。ランドセルにわずかばかりの傷があるだけの身には不釣り合いだが、現にテノルの目の前ではそんな振る舞いをしている。


 炎天下に立たせれば命に関わる。まずは冷房が効いた室内にで麦茶を出し、その後で電話連絡を入れる。テノルはまずそのつもりで動いた。その途中にもサナメとの話を進めておく。


「嫁ぐって、夫婦が何をするか知っているのかい」

「それは番いごとに違うものだろう。我らは蜃気楼の研究をするのだ。我が見立てでは、貴君は近日中に偉大な発明をする。蜃気楼の仕組みを応用した空中スクリーンを実用化するのだ」

「そんな大それたことを、近日中に? 僕は研究室も持ってないんだけどな」

「我が父が持っている。時間を無駄にするでないぞ。その才覚を塩漬けにするなど損失そのものゆえ、我が出向いたのだ」

「ええと、父君の差し金でここに?」

「それも違う。奴は研究室を活かす能を持たぬ。優れた手足は優れた能あってこそ輝くのだ」


 サナメの話は、まるで何度も経験したかのように感じる。目線や息遣いも含めて、テノルを懐柔しようと目論んでいる。テノルは突然の内容を受け入れかけていると気づき、違和感を元に懐疑的な目で返した。


「君は何者なんだ? 僕は前世だとか憑依だとかを信仰していないぞ」

「そうだろうとも。本から読み取ったのだよ。我が父の部屋にはいくつもの本がある。人の仔が得られる人生には限りがあるが、それを何人分にも拡張する情報の塊ぞ。我は幼少のうちから日に千の書を得た。加えて、人並み外れた知性を宿している。この身は人の仔には過ぎたもの故、異物として処分されゆく。その前に、有用な番いを得たい。そして我が身を守るのだ」

「話がずれているよ。僕が新技術の実用化をすると言ったのに、この話じゃあどう見ても君がやるじゃないか」

「そうも言える。しかし、最後のきっかけを作るのは貴君ぞ。我が目を信じよ。そのための材料は提示したのだ」


 テノルは麦茶のおかわりを注ぐ。物事を考えるときの癖が出ている。コップの中身をこまめに口に運び、舌で動きを感じる。手の中でも液体の重心移動で刺激を与える。


「ならばサナメちゃん。少なくとも父君には話を通す。違法な手を使ったら研究が不安定になるからね」

「よろしい。貴君は話ができる奴だ、待っていたぞ」

「僕もだ。よろしく」

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