第五話:ふるさと

「ねえ雲雀ちゃん、あなたってどこ出身なの?」


 私はふと気になってしまった。彼女がどこからあの病院にたどり着いて冷凍されたのか。もしかすれば予想外に重い話の原因になるかも知れない。不安の芽は早めに摘んでおくに限る。


 私たちは朝食を食べながら話していたのに、私の問いかけで雲雀ちゃんのスプーンが止まってしまった。案外話すことの難しい入り組んだ事情があるのではないかと思ったものだが、雲雀ちゃんはあっけらかんと言った。


「なんか凄く大きい建物が多いところだよ、なんでも日本一高いんだっていわれてたかな?」


 おそらく東京だろうな、高い建物はいくらでもあるが五百年も前となるとそこまで大きな建物を建てる必要があるのは東京だけだ。


 そして現在、私たちは広島の隅の方にいる。おそらくコールドスリープという技術が片田舎の医院でも使える程度には時代が進んでいたのだろうけれど、東京だからこそ建てられないものもあったはずだ。雲雀のような子ならかなりの長期間眠らされるのが確定なので病床を持っていたくはなかったのだろう。


「じゃあそこがあなたの目的地なのかな?」


「そういうことになるのかな? みんな死んじゃってるだろうしあんまり興味は無いけどね、ちょっと見てきたいかな」


 その顔に郷愁のようなものはまったく感じられない。ただ単に観光地に行きたいというのとまったく変わらない程度の言葉の重みでそう言う雲雀。どうやら東京に思い入れは少ないようだ。


「あなたねえ……生きていきたいならちゃんと目的は持ちなさい、目的も無くただ単に生きてるとあなたを治療した人たちが気の毒でしょうが」


 夏凜ちゃんは辛辣な意見のようだ。言いたいことは分かるのだが寝て起きたら世界がまるっきり変わってしまっているのにそれを受け入れろとは言えない。私だって一晩で世界に人間が溢れていたら混乱してしまうことは間違いない。


「私の目的は病気を治すことだったからね、その先の事なんて考えてなかった」


 雲雀は将来のプランというものが無いらしい。人類が滅びかかったのを悲観して自殺者が相次いだこともあったがこの子にはそういう心配は無縁なのでしょう。悲観することの無い彼女はとてもとても眩しい存在です。私のように生き残って面白おかしく生きるという自堕落な目的とはまた少し違うようです。


「天音、これといってやることもないし東京を目指すって事でどうかしら?」


 私は逡巡してから答えた。


「いいんじゃないかな、私はまだ知らないところに行くのは好きですし、何より夏凜ちゃんがそれでいいというなら止めることは無いよ」


 世の中がどうなろうと人は結局のところ生きていくしかないのだから、ささやかであっても目標はあったほうがいい。私のように生きること自体が目的だとしても目的が無いよりはずっとマシだ。


「懐かしいなあ……東京。私をおいてみんな行っちゃったんだよね……ちゃんと見送りたかったなあ……」


「雲雀、現代は大半の人がそんな贅沢な死に方を出来なかったんだからそういう発言は慎んでちょうだい」


 正直なところ私もそれは贅沢な意見だと思った。謎の病気でバタバタ人が死んでいったと聞いたので、きっとその頃にはまともに病院で亡くなるようなことは無く、ただ単に死者として数字が一人増えただけだったのでしょう。私たちの世代では死者の数を数える人すらいないのでそれでもまだ贅沢な意見だとは思うのですが。


「そうなんだ……なんだか寂しいね」


「あなたは五百年一人だったんだからそのくらいの孤独で折れるメンタルではないでしょうが」


「寝ているあいだにみんないなくなってたら寂しいって事だよ」


 五百年、人として生きるにはあまりにも長い時間だけれど、この子はそれに耐えた。この子といっても私より遙香に年上ではあるのだけれど、便宜上同年代としておこう。それでも雲雀ちゃんのメンタルは強い方だとは思う、しかしそれでも精神年齢の方は十五歳前後にしか過ぎないのだから精神面で強いというのはありがたいことだと思う、とかくこんな世界が終わりつつある中では身体面の健康の他に精神面も健康でないとやっていけない、私のように酒に逃げないところを見るに現実ときちんと向き合っている。


 私はこんな状況で現実に向き合える人間が多少の異常さを含んでいるのではないかと思っている。むしろメンタルが崩壊しているのが当たり前のことではないのでしょうかね。


「じゃあ東京に向けて行きますかね」


「やっぱり目的地はそこにするんだね」


 私の言葉に夏凜ちゃんは平然と答える。


「この子をいつまでもフラフラさせておくわけにもいかないからね、どんな形であれ決着はつけるべきだと思うわ」


 ああ、この子は強いんだなあ……五百年の孤独を抱えた少女とそれを当たり前のように扱える人、きっとどちらであれ強いことには変わらないのでしょう。私にはそういう風な生き方は出来ませんがね。


「ありがとね、二人とも」


「どういたしまして、じゃあ早速行きましょうか。とりあえず雲雀はバイクに乗れるように着替えなさい。その格好で乗ったら遅かれ早かれ死ぬわよ」


 そう、未だに入院着を雲雀ちゃんは来ている、性癖によってはくるものがあるのかもしれないが私にはそう言った発想は一切無い。


「天音、あなたの予備の服をあげてくれる? あなたの方が体型が近いでしょう」


「そういえばそうだね、雲雀ちゃん、着替えようか」


「そうだね! 病人でもないのに病院出来る服を切ってもしょうがないね」


「じゃあ私の服をあげるから着替えてきてくれる? 服って結構貴重品だから破らないでね」


「分かったよ!」


 私はバイクに積んでいた着替えを一着取りに行きます。ただでさえ少ない衣料品だというのに案外夏凜ちゃんも甘い人です。もっとも、私の後ろに乗って東京を目指す以上転んだらミンチになるような服を着ていられても困るのですがね。


 地味な方の服でいいでしょう。どうせ見せる人なんてろくにいないんですからね。華美な服装に意味など持たないのです。カーキ色の上着と黒のズボンでいいでしょう。ダサいかも知れませんがどうせ見る人はいませんからね。


「持ってきたよー」


「わー! 久しぶりの病院着じゃない服だ!」


 雲雀はとても嬉しそうにしている。私は喜ぶべきところなのかも知れないが、一番どうでもいい服を選んでしまったことには少し罪悪感を抱いてしまいます。


 私が適当にあげた服を喜んでいるのを見ると、私がこの厳しい現実に雲雀を連れ出したのが正しかったのか疑問に思えてしまいます。眠っていれば世界が滅ぶまで平和を恣に出来るというのに、この厳しい世界に連れ出してしまったことに胸がチクチクします。


「じゃあ着替えるね!」


 そう言っていきなり自分の服を脱ぎ出す雲雀ちゃんを私と夏凜ちゃんで押しとどめます。いくら誰も見ていないからと言って人目のあるところで全裸になるというのは、理論ではなく感覚的に抵抗があるのです。


着替えてね」


 夏凜ちゃんの迫力のある声にびびった様子で雲雀ちゃんは隣の部屋に行きました。幸い下着は病院でも着けていたらしいので、下着を共有するというなんだかいやなことをする必要はありませんでした。


「ちょっと胸がキツいけど着たよ!」


 着替えてきた雲雀ちゃんですがという情報は必要なのでしょうか? 私だって平均程度の胸はあるんですがね。人類が減ってしまって平均値というのが当てにならないものになって久しいので、統計が当てになるかは分かりませんが、昔の人の言葉に『うそ、真っ赤なうそ、そして統計』という格言が残っているので統計値なんてものが当てになるとも思えないのですが。


「はい、ちゃんと着替えられたようだし出発するわよ」


「わかったよ、東京かあ……行く機会がなかったんだよね」


「首都だったって言っても管理する人間がいないと荒れるらしいからね」


「東京ってそんなことになってるの?」


 雲雀ちゃんの言葉に一言で答える。


「人工物っていうのは人が保守管理することを前提に作られてるんだよ、管理者がいなくなったら廃墟になるのよ」


 都市というのは巨大な生き物のようだ、人という細胞が常に都市を生かしておこうと次々に都市を生き延びさせる。人が死んだときが都市の死ぬときです。


「私の家系のお墓ももう無いのかなあ」


 お墓か……贅沢なことを言う子ですね。


「お墓はもう無いわよ、断言してもいいわ。人の大量死でお墓が全然足りなくなって、お墓だったところに火葬した骨を集めて埋めたらしいわよ」


 墓だったところに埋めたのはせめても情けだろうか? あれだけ人が死んだせいで世界中で人を葬るときに火葬することになった、土葬文化だった国は反発も多かったそうだが、現実に死体の物量を見て火葬に切り替えたと教えてもらったことがあります。


「そっか……それでもみんなのところへは一度お礼のために行ってみたいな」


 私は死者にそこまでの敬意を払うことはできません。夏凜ちゃんだってそうでしょう。私たちは死人を多く見過ぎました。当たり前のように道を走っていると人の死体が転がっているようなご時世に、いちいちその死体一つ一つを丁寧に弔ってあげるほど余裕はありません。結局、自分のことで精一杯な時代に死んでしまった人に何かしようとは思わないのです。


「その気持ちは尊重しますよ、じゃあ行きましょうか。ここから東京なら一週間もあれば着きますよ」


 昔は一日で日帰りできたらしいが、鉄道や航空のインフラが無くなり、道路は通れない場所がある。そうなるとどうしても時間がかかってしまう。世知辛い時代ですねえ……


「やった! 懐かしいなあ、ついたら案内するから私に任せてね!」


 おそらくこの子が知っている東京はもう無いでしょうし、到底案内など出来ないでしょうが、出発前からモチベーションを下げる必要は無いでしょう。たとえ高層ビルにツタが這っていたとしても、商品が略奪の限りを尽くされた後であろうとも、そこは東京には違いないのですからね。


「よし! じゃあ行くよ、さっきと一緒で荷物は私、天音は雲雀とタンデムしなさい」


「オーケー、行くとしましょうか。雲雀、絶対に振り落とされないでよ? 死ぬからね」


 私は強めの言葉で雲雀に警告しておきました。ヘルメットでさえ無い時代なので転ぶと高確率でやべーことになります。道ばたに挽き肉を供えたくは無いですからね。


「ははは、天音ちゃんはおどかすのが好きだね!」


「冗談じゃ無いわよ、顔面をアスファルトですりおろされたくなかったら必死にしがみついててね」


「え、怖い」


 雲雀もそんな認識じゃ生きていくのが大変だと思うんだけどなあ……大変になったことに気づかないタイプなのかも知れないので案外問題無いのかも知れないけど。


「じゃあ行きましょうか、幸い今はバイクに乗って凍えるような時期でもないしね」


 そういえば真冬の中を走るのは私と夏凜ちゃんはともかく、雲雀には辛いものになるだろう。防寒着は貴重なので最低限のストックしかもってないしね。


「準備はいい?」


「いいわね」


「いいよー!」


 私たちの準備は完了した。そして雲雀の故郷を求めての旅が始まった。

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