第四話:ゆめ

「おかあさん、なんでないてるの?」


 隣からやかましい寝言が聞こえてくる。いや、彼女の寝言は小声ではある、やかましいというのは音量の話ではなくない用の話だ。


 昔、もっとも雲雀にとってはついさっきのことなのだろうが、強い記憶に基づいてそれについての寝言を言っている。彼女との年の差は五百歳だ、当然理解不能な古生代からやってきた人の寝言は理解できない。更に言うならその古生代の方がよほど人間らしい生活を送れていた時代なので理解に苦しむということだ。


「おねえちゃん、いっしょにねないの?」


 いちいち寝言が重いんですよ、五百年待ったという事実を未だに受け入れられないのでしょうか? 私も今日寝て目が覚めたのが五百年後だったらたぶん同じような反応をするでしょうけれど、私たちについて来たと言うことは私たちに合わせた生活をしなければならないと言うことなのです、そのくらいは理解してほしいものです。もっとも、私も睡眠中の寝言のような無意識の発言については責任を持てないのではありますが。


 私は枕元に置いておいたお酒の小瓶を開けてくいと飲みました。ピリピリとした刺激と煙を吸いこんでいるような匂いで意識がそちらに向きます。現実逃避のためにお酒を飲むのはきっと雲雀にとってのつい最近では法律的にも道徳的にも違法だったのでしょう。今では取り締まる人もいませんがね。


「おやすみー!」


 寝言……ですよね? 寝ているのにおやすみと言い放つとは随分と脳天気なものです。私は眠れないでいるというのに雲雀は夢の中でまだ寝ようとしているのです、睡眠を半分私にわけてくれても罰は当たらないと思うのですが、きっと神様とやらは随分と不公平なのでしょう、五百年寝た人にまだ普通の人より多めの睡眠時間を与えようとしているのですからね。


 ぷにぷに


 私は雲雀の頬をつついてみました。だらしないよだれが垂れてきたので指を引き離す羽目になりました。この子はとんでもない大物かタダのバカなのでしょう、後者であることに今飲んでいる酒の瓶を丸々欠けても構いません。


「いするぎー、わたしについてこい!」


 夏凜は夏凜で勝手に私を連れ回している様子です。私を探索担当に推薦したのも彼女だったのできっと面倒見がよいのでしょう、雲雀ちゃんには随分と厳しめの態度ではありますが……


 二人して私に寝言を聞かせるので私の方はロクに眠れないじゃないですか、人は生まれつき勝手に生きるように作られているのでしょうね。私が自分の寝言を録音したことがないのであまり自分に責任を持つことは出来ないのですけれど。


「おねえちゃん! ずるいよ! それはわたしのぷりんです!」


 数世紀前の記憶を持った人に価値観を近づけるのは大変ですね、現代で人のプリンを奪ったら重罪ですよ。警察機関がいないからと調子に乗った人が何人私刑にあったと知っているのでしょう? まあもちろんそんなことは知らないわけですが、いずれは追々知っていってもらわなくてはならないことです。他の人が持っているチョコ一つを盗ったというだけで血を流すことになる時代と言うことをたたき込まないと危険です。


「へへへ、おとーさん、またあしたね」


 そもそもこの子は次に起きるのが何年後か分からなかったはずなのに、まるで明日起きるような物言いをしています。もしかしたらコールドスリープ時の事を思いだしているのではなく、それ以前の日常のことを思い出しているのかも知れません。なんにせよ私にはもう手に入らないものを見せつけられているようで少し酒を多めに口に含みました。口の中に入ってきた刺激物で焼けるような感覚を覚えますが、この感覚が私を生きていると実感させてくれます。


 雲雀の寝言は危険ですね。聞いているのが私だから良かったものの、夏凜が聞いていたら文句の一つは間違いなく言うでしょう。


「あまねちゃん、それはたべものじゃないよ! そんなものをたべたらおなかをこわすよ!」


 さらには私に対するあらぬ風評被害まで語り出してくれやがりました。雲雀には私が何を食べる人間に見えているのでしょうか? 五百年の時を経ても人間は人間で変わっていないという事実を受け入れていないのかも知れません。


 生憎私は生まれついての人間なので雲雀と身体構造にほとんど違いはないはずです。それをこんな風に別の種族のごとく扱われるのは不服を言わざるを得ないでしょう。生まれた時代に文句は言いませんが、やはり人にマウントを取られるのはいい気分のしないものですね。


 そうです、認めましょう、私は雲雀に嫉妬しています。人類の全盛期を生きてそれを後世に実体験として伝える生き証人! これほど羨むに値する人間は世界中を探しても簡単には見つからないでしょう。


「うーん……もうたべられないよ」


 私たちがまともなものを食べていないことを知っているくせに、この雲雀は食事というものを楽しんでいた、それは羨ましいことではあるけれど、きっと二度と食べることが出来ない食事なのだろうからいっそ忘れてしまった方がよかったんじゃないかなとさえ思ってしまう。雲雀も今日の夕食が乾パンだったという時点で大体まともな食事はないと察してくれたでしょう。


 美味しくない食事、それが現在食べられている食事の九割九分です、それに対して夏凜は『天音と食べるなら大体美味しいわよ』とポジティブだったけれど、その時に味の方には一切言及しなかった当たりに暗に『不味い』と言っているのに等しかった。


 そこでふと、雲雀の寝言を楽しんでいると気がつきました。私の知らない世界を教えてくれる少女、それだけで私の好奇心をそそるには十分すぎるのです。


 私は酒を一口飲んでコップに入れておいた水を飲みました。喉を焼くその感覚はしかし私の意識をぼんやりさせるには十分でした。


 いい加減寝ようと雲雀の隣で横になったところで寝言がまた聞こえてきました。


「あまねちゃん……ありがと」


 それは寝言に間違いないはずなのに、何故か私はそれを隠された本心では無いのかと意義の無いことに頭を悩ませることになりました。きっと翌日には二日酔いと寝不足のコンボで酷い顔になってますね、まったく、ぬくぬくと生きてきた世代にも困りものですね。


 意識がぼんやりしたころにうっすらと窓の外では地平線の方が少しだけ青くなりつつあるのでした。

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