第三話:じこしょうかい
「ねえ夏凜ちゃん、怒ってる?」
「怒ってないわ」
夏凜ちゃんはそう断言しますが私が彼女と過ごしてきたことの積み重ねが『怒っているわ』と言いたいのだと教えてきます。この子はキレて殴りかかるようなことはしませんが些細な不平を細々したことに変えて伝えてきます。平たく言うならワタシの現在の食事が昨日は川釣りをして焼き魚を食べたのに、今日は軍用レーションが食事になっていることなどです。
「このご飯、美味しくない……」
ああ……私は長い付き合いだから察することが出来ましたが、ほぼ初対面の雲雀ちゃんには難しかったようですね。夏凜ちゃんは怒って食事をかき込んで家に帰ろうとしています、いえ、自宅ではないのですが、昔は人が住んでいたという名残をかろうじて残している人工物に引っ込んでしまおうとしています、これはよくない流れです。
「ストップ! ストップだよ夏凜ちゃん!」
「はぁ?」
「どうかしたの?」
この二人をするがままにしていたらここから先全ての会話が成立しなくなります。ここは平和的に対話する環境を作らねばなりません!
「自己紹介! 私たちまだ雲雀ちゃんに自己紹介してないよね? やっぱり初対面はあいさつだよ!」
「しょうがないわね」
「じゃあ私から!」
真っ先に自己主張をするのは雲雀ちゃん、控えることを覚えて欲しい人ほど覚えてはくれないのでしょう。
「私は
イラッと心の糸が張るような音が夏凜ちゃんの方から聞こえたような気がした。雲雀ちゃん、天然であおってるんだから始末に負えないよ。
「好きなものはティータイムとスコーン! 嫌いなものは野菜全般!」
「そんな食生活してるから入院したんじゃない?」
夏凜ちゃん! 態度に出すのはダメですよ、気持ちは分からなくもないですが……
「大丈夫だよ、私の身体が悪かったのは生まれつきだから!」
そこを心配してるんじゃないんだけどなあ、雲雀ちゃんはまったく嫌味に気づいた様子がない、この子のメンタルはダイヤモンドよりも高いモース硬度をしているのでしょう。鋼とダイヤモンドの良いところを合わせたようなメンタルしてますね。
「まあいいでしょう、私は
刺々しさがまったく隠れていません! 夏凜ちゃんはマジでいやそうな顔をしていますね。大丈夫でしょうか。
「うん、よろしくね、夏凜ちゃん!」
「私の話聞いてましたか?」
「だって私の方が年上じゃない? 私は先生とかには敬語を使いなさいって聞いたけど病院の子供達をちゃん付けしてたけど怒られなかったよ?」
「歳だけで言えばあなたは世界でトップクラスの年齢でしょうが……その理屈だとほとんどみんなあなたに敬語になるわよ」
いくら何でも五百年というアドバンテージで年齢マウントをとられると勝てない、買ってる人がいるとは思えないんだけど。
「それと、私は篝さんじゃなくて雲雀ちゃんって呼んで欲しいな」
「あら、
言葉のキャッチボールを釘バットで行っているような夏凜ちゃんのイラつき具合です、まわりで見てる私の方が胃が痛くなりそうな空気です。
「年上の人がいいっていったら構わないって教わったよ?」
「はぁ……分かったわよ、よろしく雲雀」
結局夏凜ちゃんが折れてしまった。雲雀ちゃんは強い子ですね。
「ほら、天音! あなたの番でしょ」
そう言われて自分の紹介をまだしていないことに気がつきました、この二人の仲を取り持つのを目的にして自分を関係無いものと思っていました、いけませんね。
「私は
パチパチと小さな拍手を夏凜がしてくれた。
「相変わらず煮詰めても何も残りそうにない自己紹介だったわね、よかったわよ」
「本当によかったって思ってるのかなあ……」
「天音ちゃん! よろしくね!」
「はい! よろしく」
「なんか天音に甘くない?」
おっと、夏凜ちゃんには不評のご様子、私はみんなで仲良くしたいだけなんですよね。
「だって私を起こしてくれたのは天音ちゃんだし……」
「刷り込みかよ……チョロすぎだろ」
毒吐きモードの夏凜ちゃんに何を言ってもしょうがないのだけれど、人間関係の炎上は早めに鎮火するに限るのです、炎上は初期消火が大事、当然だけどね。
「夏凜ちゃん、今日は助けてくれてありがとね」
「何を言っているの? 助けてなんかいないじゃない」
「私が慌ててたときに来てくれたじゃない、危ないときは逃げても責める人なんていないのにさ」
私と夏凜ちゃん二人で過ごしているので一人欠けてもひとりぼっちになるだけで死ぬわけじゃないしね、時には逃げることも大事だよ。でも……
「私は何も……」
「私は危ないときに助けてくれる夏凜ちゃんが好きだよ!」
断言してもいいけれど、私は夏凜ちゃんと一緒にいた時間が長いのでお互いよく分かっている。はっきり言えば夏凜ちゃんに『逃げて』と言わなかった時点で助けてくれることを確信していた。申し訳ないとは思ったけど死にたくはなかったしね。
「しょうがないじゃない……天音の声で助けてって言われたら助けるでしょ」
夏凜ちゃんは優しいなあ、私でも助けることは助けるにしても、危なそうなら状況を聞くくらいはしたでしょうね、無条件に助けに来てくれる夏凜様々ですね。この子を前に私の考えをまとめてしまうと私が酷く薄情な人間に見えてしまいます、よくないことですね。
「だからそれは凄いことだよ、このご時世に無償で自分を危険にさらせるなんて普通はできないよ」
夏凜ちゃんは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。自分のいいところははっきり主張した方がいいのかと思っているのだけれど、夏凜ちゃんは案外その辺は奥ゆかしいんだよね。
「まったくもう……天音は世話が焼けるのよ、いきなり通信であんな声をされたら助けるに決まってるでしょ」
それを『人がいい』と呼ぶのだと思うけれど、それを言っても反論するんだろうな。
「天音ちゃんは私のこと好き?」
おっと横から爆弾を投げてきますね、突然の内角高めビーンボールはよくないと十五歳までにお勉強しなかったんでしょうか? これはどう答えても私の立場が悪くなる質問ですね、会話のキャッチボールをする機会って案外重要ですね。人との交流が少ないからこそ練習が必要なのかもしれません。
「そうですね、助けた以上責任は感じていますね」
私はどうとでも取れる発言をしてその場を玉虫色に染め上げた。答えること自体が間違った問いかけなら答えを出さなければ問題無い、適当にそれっぽいことを言っておけば人間は自分に都合よくとらえてくれる力を持っている、今その力を全力で使わせてもらいたいな。
「逃げたね」
「これは私でも分かります、逃げの一手ですね」
「なんで二人ともそう言うところだけ無駄に勘がいいのかなあ!」
そうは言いつつも多少はわだかまりも解けたような気がする、気がするだけだろうか?
「はいはい、天音がコミュ障なのは知ってるからね、別に文句はないよ」
「そうなの?」
夏凜ちゃんの答えは少し意外だ。私がコミュニケーションを苦手としているのを構わないと言ってくれるのはありがいけれど、意外と評価が悪くないんだな。
「そもそもコミュニケーションをとる相手がいるだけでも人類の上位にいるしね、家族は選べないけれど、受け入れることだけは出来るのよ」
なんとも人類の立場は低くなってしまったものだ、誰か一緒に過ごす相手を捜し当てるだけで上位層に入れる生物というのは珍しいのではないかと思う。現在一番人口密度が高いと噂されているところが人造人間の研究所というのだから笑えない。
「まあいいわ、一緒にいられるのは変わらないようだからね。『雲雀ちゃん』より『長く』一緒にいたんだから多少関係が深いのもしょうがないことだよね」
夏凜ちゃんはさすがに私と二人でいた時間が長いのを強調するだけあって納得してくれたようだ。一方問題児の方はまったく気にした様子がない。意外とセンシティブな夏凜ちゃんは気にしても、メンタルつよつよの雲雀ちゃんとでは扱いに差があっても気にしないようだ。
「じゃあ早いところ家に入るわよ、比較的綺麗で助かったわ」
「わー……友達のお家にお呼ばれだ!」
はしゃぐ雲雀に呆れながら私は夏凜と一緒にキャンプのホームに帰還した。家の中では自動掃除機が動いており、床には埃がなく、窓もガラス拭きロボットが動いていたので綺麗だったが、自動庭師はいよいよ発明されなかったらしく、庭で遊ぶのは不可能な上代になっている。人間は全部に対応した万能の機会を作れないというのは本当なのでしょう、非常に残念なことではありますがね。
「はい、今日の夕ご飯」
そう言ってとんとおかれたのは缶詰が三個、中身が何か分かるように『乾パン』と勇ましい文字が缶の表面で主張している。主張されても食欲がわくようなメニューで鼻息もするけれどそれは制作者のみぞ知ることだ。
「へー、缶詰なんだ……懐かしいなあ」
「こっちは主食がこれなんですよ? 何をしれっともっといいものを食べていたアピールしてるんですか」
「だって私が食べてたのって精進料理みたいな健康にいいものばかりだったよ、それよりよっぽど良いと思うけどなあ」
雲雀ちゃんはナチュラルに煽っていくようで、私もいい加減止めなくていいかなと思い始めてきた。案外雲雀ちゃんと夏凜ちゃんはいいコンビになりそうな気がする。
そして私たちは缶を開けてカチカチに固い、何故これにパンという柔らかいものの名をつけたのかと疑問に感じるようなものを食べた。幸いこの過程には雨水の濾過システムが備わっていたので口がパッサパサになる事は避けられた。昔は『雨水=汚い』だったそうだが、現在では工場の排煙も自動車の排気も航空機の燃焼も、大気汚染をするものはほとんどシステムを止めているので平気で飲める。厳密に言えば多少の化石燃料は使われているが雨水を汚染するほど贅沢には使えていない。
そこで夏凜ちゃんが食べ終わったところで立ち上がった。
「お風呂に入りたい人はいる?」
「私はいいや、水はあるみたいだけど沸かすのはね……」
「私も病院で綺麗にしたばかりだからいいかな」
病院で綺麗にしたのが五百年前だと言うことは無視してお風呂は焚かないという意見が多数派を占めた。夏凜ちゃんは少し悔しそうにしている。
「あったかい湯船に浸かりたくないの? 疲れが溶けて流れ出るよ!」
「そのために薪をたっぷり使うじゃない、汗を流すために汗をかくのは不毛だと思うよ」
ボイラーと呼ばれるものはほとんど存在せず、自力でわかす鉄鍋と同じ原理のお風呂がほとんど全てだ。苦労を労うために苦労するなんて本末転倒だと思えてならない。
多数決で負けてはぐうの音も出ないのか、私たちは三人で川の字になって寝ることにした。今まで「二の字」で寝ていたので三人で眠るという体験と、同じ部屋にいつもと違う人がいると言うことでどこか落ち着かずなかなか眠れません。私はその日、星を眺めて雲雀ちゃんの両親は星になったんだなあ、と普段ではらしくないことを想像してぼんやりしました。
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