光っているもの
拙作『BOKU』を読んでいただいた方にはおわかりいただけるかと思うのですが。
あの中に、光っていた桜の絵、というのが出てきます。夫を突然死で亡くした妻が開いた個展で、主人公の
そして、その絵は、その夫が最後に見た風景だったのでした。
これは、実話なんですよね。
私は、その頃、まだ鬱病から立ち直っていない頃で、母に勧められて、気分転換に母の店の常連さんが開いているという個展を観に行きました。私は、彼女の旦那さんの作品展としか聞いていませんでした。
油彩だけでなく、水彩も、絵手紙も、身近な物のいろんな作品があって、とても楽しめました。
自分の身の回りの物を興味深く描かれているところから、この方は、あまり丈夫な方ではなくて、外に出ることが少ないのかな。とも思いました。私の父が心臓が悪く、家で絵を描くようになってからは、ほうれん草のお浸しの絵とか描いてましたから。
それでも、彼は、何枚か桜の油絵を描いていました。同じ場所から描かれたような……。
その中に1枚だけ、光を放つ絵があったのです。それは確かに素晴らしい絵でしたが、何故光っているのか、私にはわからない。
光っていると言っても、実際に光が見えるわけではないのです。なんというか、テレビがアナログからデジタルに変わったような感じ。透明な光に包まれていました。
ずっとその絵の前から離れない私のところへ、母が常連さんを伴ってきます。
「なんかこの子、この絵が気に入ったみたいで……」
困ったように言う母に向かって微笑み、私に向かって彼女は言いました。
「この絵は、主人が最後に描いた絵なんです。これを描き上げた次の日に亡くなりました。突然死でした」
身体を説明のつかない感情が走りました。
「だから光ってたんだ……」
「皆さん、良い絵だね、って言ってくれて、売ってくれって言ってくれる人もいるんですけど……」
「ダメです! この絵は絶対に手放しちゃダメです!」
時々、母の店で顔を合わせたことはあるものの、名前もうろおぼえ、殆ど話したこともない人に、そんなことを言う私を、彼女は不思議そうに見ます。
「そう。大丈夫。この絵を手放す気はないから。」
私は、この絵に住んでいるであろうものがわかったし、それが、きっと、この人をずっと見守り続けてくれるのだろうと思った。
時々、そういう「光」が、私には見えます。
嫁いで、最初の御盆に、家族皆で仏壇にお参りした時、仏壇が同じように光っていて、驚いたのを覚えています。しかも、今回のは、見守っていると言うより、圧が強い。
皆して私のことを見に来たの? って感じでした。
「こんなに光ってるのに、誰にも見えないの?」
と聞くと、みんな首を横に振ったり、傾げたり。
ただ、飼い猫たちは、仏間の前でピタリと足を止めると、誰も入ろうとせず、じっと見ていました。彼らに見えていたのは何だったのかなあ。
それから、5月始めくらいのことでした。一気に草木や作物が伸び始めた間の道を、運転した時のことでした。フワッと風が吹いたと思ったら、次の瞬間、バーッと一気に草木や作物の緑が光ったのです。
透明の光が、ブワッと空に舞い上がりました。まさに、「息吹き」。植物たちがこれから空に向かって伸びようとしているのがわかるようでした。
なんでしょうね?
私には何が見えているんでしょう?
自分にもよくわからないし、最近は殆ど見なくなりました。
それでも、美術展や写真展などを観にいくと、「あ、これ……」というものがあります。
魂をこめて描かれたもの、撮られたものには、その欠片が残るものがあるのかもしれませんね。
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