深海に沈む
「昔ってほど昔でもないのに、変わりすぎでしょ、町」
「管神に居たのなんてどう見積もっても一週間くらいで、ここに来るまでが一か月。全然知らない町に見えるし、何ならここは日本なのか疑わしい」
「けいたいはつながる」
そこがまた不思議だ。世紀末を通り越した治安においてかつての移動手段は封じられた。電車はそこらで脱線しているし、車は特攻隊よろしく突っ込んでくるし、ニュースによると飛行機が自ら墜落したという話もあって……否応なしの終焉が始まっている。にも拘らず一部のマスメディアに影響がないのは不自然だ。取り敢えずゲンガーが管理しているものとみて良いのだろうか。今更どうこうするつもりはない。どうにも出来ないだろう。今から都心に行くなんて冗談でも何か月かかるか。
携帯だって会社が止めればそれまでだというのに、まだ使用出来る。ネットにだって繋がるし、テレビも問題ない(ただしすべてのチャンネルでドッペル団を探し出せという文面が表示される)。
―――やりたい放題って感じだな。
自分達が都合よく利用出来る媒体は残して、それ以外は壊す。人類侵略どころか、これでは文明侵略だ。ゲンガーが勝利してしまったら我々の築き上げてきた歴史はどうなるのか。大層な事を言うつもりはないが、ここまで積極的に動けるなら水面下で動く必要も無かった気がするのは俺だけだろうか。
「お前!? ドッペル団か! ドッペル団だろ! うわああああああああ!」
「ごめんちょっと大人しくしてッ!」
半狂乱で殴り掛かってきた男を山羊さんが一瞬で寝技に持ち込んで気絶。人かゲンガーかも分からない存在は極力傷つけたくないらしい。だから首を絞めて気絶させる……間違っている気もするが、具体的に何が間違っていると言われても指摘出来ない。女の子に殴らせるのは違う? いやいや、残念ながらこの場で一番制御が利いてステゴロが強いのは山羊さんだ。
アイリスはちょっと、シャレにならない。
「タク。私ぜんっぜん分からないんだけど。これが現我の仕業ならさ、何で現我も躍起になってドッペル団探してるの? 火付け役ってのは分かるけど、もう火はついてるし現我だけ冷静になっても世界的に影響はないと思うんだよね」
ここまでくると、いっそ演技でも火付けでもなく本当に探しているかのような。俺もそう思っている。
「ドッペル団!」
「ドッペル団は何処だ?」
「あっちのホームセンターで見かけたって話だぞ!?」
「いーやお前だ! 間違いなくお前! お前だあああああ!」
「誰なんだ! 出てこおいドッペル団! 俺には守らなきゃいけない人が居るんだ!」
「殺される……早く見つけないと殺される……」
鬼の目的が現我と人の相打ちだとして。やはり現我が素直に従う理由はない。その前提も踏まえて、現我にも人にも本気でドッペル団を捜索させられる理由はあるだろうか。
『そろそろ人類を決めるゲームの時だ。俺達の勝利条件はお前達を全員殺す事。そしてお前達の勝利条件は俺達を見つけて殺す事だ。心配しなくても俺達の死は嘘じゃない。昔みたいに殺せばちゃんと死ぬ。精々頑張れよ』
それが総理官邸に届いた犯行声明文の内容。誰が届けたのかは分からないが、総理大臣はゲンガーなので全く無関係の人物が届けたとは考えにくい。
「ん。匠ちゃん。火翠ちゃんから連絡来たよ。今からこっち戻るって。何処で落ち合えばいいかって」
「んー。青義先生の場所なんて知らんだろうしな…………って何で俺に直接連絡してこないんだ?」
「なんか、恥ずかしいからって」
「ええ……」
キスまでしておいて今更だろう。俺だって全く恥ずかしくなかったと言えば嘘になる。ただし俺にはナムシリ様がいるせいでどうにも他人事というノイズが混じって冷静になる。だからゲンガー関係なく俺の倫理観や道徳心が何処かおかしいのはさておき、キスより恥ずかしい行為が電話とか、どんな希少種だ。
「……俺の家って伝えておいてくれ。後で向かうわ」
「一人で大丈夫? 不安だったらあたしもついていくよ」
「別に一人で向かう気はないよ。隠し事なんて、もうないしな」
事前偵察の成果か、うまく人を避けたまま青義医院に到着した。この不穏な治安にそぐわず鍵が開いている。一抹の不安を胸にお邪魔するも、そこに人が居た痕跡は綺麗さっぱりなくなっていた。
「…………先生?」
「けはいがない」
ベッドや点滴スタンドのような大きい物体は残っているが、それ以外が引っ越し業者の襲撃にでも遭ったか、ごっそりと消えている。見つかったのは受付窓に置かれていた手紙くらいなものだ。
『安楽死を待ち望む人々が増える予感がしたので、僕は本院に帰らせて頂く。奥の引き出しにゲンガー関連の記録と新たに手に入れた情報を残しておくから後は適当にやってくれたまえ。もし失敗して生きていけなくなるようだったら僕が殺してやるからその時は是非、木辰の方に来てくれ。これが最後になるかもしれないから一つだけアドバイス。失った命は戻らない。何もかも丸く収めようなんてそうはいかないから、そこは肝に銘じておくように』
「あったよ!」
二足早く手紙を読み終えた山羊さんの手で先生が残してくれた手がかりが発見された。以前見たものに追加でインタビュー記事の様な物が置かれている。お姉ちゃんが早めに取り上げて慣れた視線で素早く目を通していく。
「高峰京太って人の記録。両親にインタビューしてるみたい。えー注釈を見た感じだとこの子は五歳の現我だね」
「年齢は関係ないんだ。じゃああたしは、子供が襲ってきても対処しなきゃいけない感じかー。きっついなあ」
「わたしがかわる」
「赫倉ちゃんだっけ。ありがと。それで不思議なんだけど、なんでゲンガーかどうかを見分けられてるの?」
そう言われて気付いたが、ここに事情を知る人間は一人も居なかった。山羊さんも青義先生と会ったのは学校だ。彼が安楽死を専門としたい頭のおかしな医者だという事実を教えるべきだろうか。ほんの逡巡を経て、別に明かす必要はないと思い至ってやめた。俺なりの義理だ。
「ゴミみたいな手段だよ。取り敢えず俺達に使える方法じゃないし非効率的だから使わないぞ」
「へ? まあ匠ちゃんがそう言うならいいけど」
話が横道にそれたので正道へ。頃合いを見てお姉ちゃんが再度語り出した。
「なーんか凄いながったるい文章だよね。手あたり次第に聞ける事全部聞いてみたみたいな感じ。何を知りたかったのか分からないけど、子供産んだ時から詳しく聞くのは何でかな」
「有益そうな情報あった?」
「……ちょっと待ってね。お母さんの方も質問されるのが下手だ。一般人って感じがする、しかも説明下手なタイプ。生んだ時の話なのに生む前から決めてた名前がしっくりこなくなったとか、お父さんが考えた名前が全部古風すぎるとか、そもそもお父さんは何の役にも立たなかったとか。これあれだね。説明を求められたら客観的な説明と主観的な説明をごちゃごちゃにする人だね」
「俺も読ませてよ」
「いいよ。私にはさっぱりだ。こんな事ならもっと最初から関わっておくべきだったよ」
俺が関わらせたくなかったので、その後悔は無意味だ。俺ならば或いはと考えたがお姉ちゃんの言う通り確かに無駄な話が多い。目が滑る。
「…………ほう』
「なにかわかったの」
「おおよそはな。しかし確証には至れない。後もう一押し必要だ。もしも何かが違えば名前を借りてきた意味すら無くなり得る。まだ何か……もう一押し証拠がないものか』
ガチャッ。
気配という概念はいい加減だ。扉の音が聞こえて初めて来訪者に気が付いた。それよりも前に振り向いていたのはアイリスと山羊さんだけで、この二人は恐らく本当に気配という概念をかぎ分けている。
「……ああ。ここに居たんです……ね」
ここをわざわざ訪ねてくるような人間はそう多くない。俺達みたいに新たな情報を求めて來るタイプ、安楽死をしたいが為に来るタイプ、そして単純に治療して欲しいから來るタイプだ。普通の病院に行けという話にもなりそうだが、そもそもこの場所について知っている時点でやましい過去を持った人間だろう。正しい場所には行けない。
青年は―――鷹夏明亜は、三番目だった。
「アクア君ッ。その傷は……!」
「…………いやあ。警察に発砲されるとは…………」
まともな会話が成立するだけ、彼の精神力は狂っているという他ない。たかが一高校生が二発も銃弾を受けて何故ここまで歩いてこられたのか。それ自体が奇蹟とも言えるし、そこまでの幸運だったとも言える。
青義先生は、もう帰ってしまったのだから。
「だ、大丈夫……じゃないか! し、匠ちゃん。こういう時どうすればいいかな……!」
「…………」
「……匠ちゃん?」
腹部に二発。医学的な知識はないが、ここに来るまでの出血が彼の寿命を示している。血の気が失われつつある人間に対して、一体何が出来ようか。アイリスと違ってアクア君はゲンガーではない。とっくに手遅れだった状態から治療しても人間は元には戻れない。それが常識だ。
「…………助かりたいか?』
膝から崩れ落ちたアクア君を抱き留め、ナムシリ様が問うている。その正体も全貌も彼が知る由は無いが、俺ではない誰かに聞かれている事だけは理解したらしい。口調を敬語に直した上で、頭を振った。
「……いいえ。元々。死にたいと思ってたので」
死に場所を探していたなら、そうか。青義先生なら引き受けてくれただろう。彼も長々と話をする余裕はなさそうだが、理由については心当たりがある。元より彼を動かした原動力とは復讐だ。その復讐も終わり、彼が愛した人も居ない。そんな中で生きていても辛いだけで、生きたいと思える理由がないなら死ねばいい。
丁度、アイリスと出会う前の俺がそういう気持ちだった。花暖を想い、花暖の所へ行きたくて死のうとした。好きな人を盗られたら腹が立つように、死が避けられないなら大人しく受け入れる。
出会う場所と、出会う時期さえ違えば、年の差を超えて親友になっていたかもしれない。
「…………そうか。なら止めはしない』
そんな親友だったかもしれない後輩に、俺は敬意を表したい。どう足掻いても助けられないなら、せめて背中を押してやりたい。
「代わりに、その名を貰うぞ』
「………………」
ナムシリ様としての記憶を思い出して間もない俺には、感覚もなしに名前を奪ったり与えたり、或は支配する事など出来ない。イメージが出来ないのだ。人間に備わってないような概念を用いる行為は、どうやればいいかという説明もないし、きっと自分しか使えないから。
ただしそれは、概念で理解しようとした時の話。
「アイリス。刃物」
「匠ちゃん!」
「別に殺しはしない』
ただ、自然の摂理に従って死ぬだけ。
俺はそんな男の名前を、刃物で刺すイメージに沿って貰うだけ。
「………………じゃあな。アクア君。慧ちゃんと幸せに」
命の散る間際、ただ筋肉が弛緩しただけのような気の抜けた笑みを浮かべて。
タカナツアクアは死亡した。
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