いと惜しきかなこの世界



 何だか超越者同士で勝手に話題を共有していつの間にか置いてけぼりを食らっているので、俺なりに整理してみよう。ウツセミ様がその結論に達したのは現在の世界の状況に問題がある。山羊さん達の発言を一言で纏めるなら、人類で同士討ちをしている状態だ。ドッペル団には新規メンバーもなければ支部もない。俺とレイナと朱莉の三名が抑止力としてそう名乗っていただけ。本格的な活動もクソもなく、ゲンガー達に睨みを利かせるよりも前に事実上の分解状態に陥った。だから世間を騒がすドッペル団は本来存在しない。にも拘らず、ドッペル団は混乱を招いている。


 


 この意味が分かるだろうか。



 ドッペル団の記事に投稿されたコメントはおよそ五万。それで世界を語るつもりはないが、テレビでも連日特集されていた記憶が今も鮮明に残っている。よって少なく見積もっても国内は、取り敢えず混乱しているとして。ドッペル団は身近な場所の侵略を止めているだけで、俯瞰すれば全く被害を食い止められていない事が分かる。総理大臣や人気配信者がゲンガーになり替わられているのは確定している。


 大体がして星見祭があんな変態殺戮ショー染みてしまったのはそのせいだ。ゲンガーは人を殺したくて、人は死を嘘と思っているので、噛み合ってしまったと。そこまでの前提条件を呑んだ上で、改めて考えてみよう。



 何故混乱が起きる?



 ドッペル団が何であれ、混乱など起きる筈がないのだ。アイリスと過ごした時間を思い返せばそれは明確で、人間側は飽くまで死を嘘と思っているだけ。積極的な自殺願望には支配されていない。きっかけがあれば死ねるだけの、ただそれだけの倫理。それだけの価値観。


 一方でゲンガー側はどうだろう。人類を侵略しに来たというなら水面下で行った方が効率的で合理的だ。というか今までそうしてきた。だから俺達はゲンガーを見分けるのに苦労していた訳で―――やはり混乱など起きようがない。起きようがないものが発生しているならそこには原因がある。偽ドッペル団からの犯行声明文に特殊な力が備わっているという線を除けば、考えられる理由は…………ゲンガー側から動かしている事くらいだ。


 世間の潮流を動かしているのは確実にゲンガー側。あちら側から働きかけない事には混乱は生まれないだろう。だが混乱を生む意味がない。国内のゲンガー比率がどれほどかは分からないが世間の声を操作出来るくらいだとして―――三割以上。人間同士で潰し合わせようにも、互いに見分ける方法がない以上(アイリスに確認済み)、人間と同様にゲンガー側も同士討ちせざるを得なくなる。そこに何の意味がある? ゲンガー側だって何が起きたら素直にそんな指示に従うのか。




『ウツシガとヒトの相打ちでございましょう』




 ウツセミ様はそう言った。そして俺ことナムシリ様も確かに言った。外で幅を利かせるゲンガーに関係している黒幕は誰だと。それは鬼灯であると答えられた。他ならぬ自分が言った言葉だ。信じるしかない。ゲンガーには統率する黒幕が居て、それが鬼だと。


 まだそれだけなら良かった。それだけなら名も知らぬ黒幕が表れただけで終わった。何故そこで明鬼朱莉の名前が出るのか。


「…………偶然じゃ、ないんですよね」


『そうでございますな。主の知る明木朱莉は偽名でございましょう。では何者かと言われても、我には分かりかねますが。申し訳ございません。鬼灯について全ては知らぬ故』


「いや、いいんです。悪いのは俺なんですから」


 思えば俺は自分の事ばかりで。アイツの事を何も知らない。家にも行った事がない。父親と母親の事なんて分からないし、兄弟なんて言及した事もない。


 出会った当初、俺達は特別な関係だった筈だ。




 校外学習の時、俺は初めて話しかけられた。


 アイツは初めて話しかけた。




 俺達はあの時、ヒトになったのか?




『もう一度言うけど。私は君の傍から離れたくない。だからゲンガーと戦ってるんだ』




 俺の傍から離れたくないからゲンガーと戦ってる。それはどういう意味だったんだろうか。分からない。分からないなら知る必要があるだろう。俺達はずっとそうやってきた筈だ。こんな辺境に身を潜めてないで、戦わなければ。知らなければ。


 朱い鬼の女の子について。


「センパイ」


 ここまで集中的に物思いに耽ったのは久しぶりか。今日の夢見はアイツの名前を書こうと思う。偽名でも通用するかは分からないがやるだけやってみよう。そんな考えを一蹴するかの様な元気な声で、千歳が部屋に入ってきた。


 因みに時刻は深夜を回っている。夜更かしの時間だ。


「が、が、が、がんば…………って。ぜ、ぜぜぜぜぜんいんにやりまし……た…………!」


「火翠の姫もやれば出来るじゃないか』


「そっちのセンパイは。好きじゃないです……」


「―――すまん。俺の方から入れ替えられる訳じゃないんだ。本当によく頑張ったな。いや、俺が言いだした事だけど。無茶ぶりっていうか滅茶苦茶っていうか―――本当、ご苦労さん」


 ナムシリ様の戯言に従った後輩を抱きしめながらベッドへ招き入れる。いやらしい意味も意図もない。リラックスして欲しいだけだ。少しでも落ち着いてもらわないとまたいつ発狂する事やら。こんな状況では無理もないが千歳はやや不安定気味だ。火翠の血を引いていても一般人は一般人。山羊さんと比較しても大分常識のラインはまともである。


 それにナムシリ様が言うには処女で、本人談では彼氏が居た事もない。土台からして滅茶苦茶な話なのだ。そんな初心な子に管神住人への人吸をさせるなんて。


 因みに何故そんな真似をさせる必要があったかは分からない。俺が言いだした癖に蚊帳の外だ。非常に複雑な気持ちで送り出したし、俺の為と引き受けた後輩の心労は想像を絶する。



 ―――身体が尋常じゃない震え方をしてる。



 元気がない。千歳は泣きそうに、否。泣いていた。淫靡な光を宿した瞳から、年相応に純朴な涙が零れている。


「センパイ、こ、こんな事お願いするのも忍びないんですけど……! く、口直し…………を…………!」


 本当にギリギリの精神状態なのだと思う。俺が返事を返すよりも早く唇を奪われた。一、二分では終わらない。十五分以上もそれは続いた。ディープキスもしようと思えば応えてくれただろう。しかしそこには最後の一線がある気がして。双方が超える事は遂になかった。


「……あ、ありがとう。ございます……」





「―――一応、あたしもいるんだけど」





 部屋の外から山羊さんの声が聞こえる。物足りなそうな視線を向ける後輩を横目に応対すると、頬を紅潮させた山羊さんが気恥ずかしそうに視線を逸らしていた。


「まあ、いいんだけどさ。あたしは匠ちゃんの恋人でも何でもないし……」


「―――えっと。なんか、ごめん。妙な現場に立ち会わせて」


「いいってば! それよりさ、あたしの方も仕事終わったよ。ナムシリだっけ。そっち出してよ。行動の意味が全然分からないんだよね。全員に血を飲ませるって何さ」


 そう口を尖らせながら彼女は右腕を見せつけるように差し出した。こんな辺鄙な村に包帯などあったかどうか。しかしその腕には真っ赤に染まった包帯が大量に巻き付いている。


「お前達の力は消え去った訳ではない。特に根の山羊。極論を言えばお前は死んでくれるだけであらゆる問題の一部分を解決する事が出来るだろうが、それでは俺が納得しない。それ故にこういう形を取らせてもらった。火翠の力を繋ぐためにお前の血で黄泉を介す。それでここの住人はウツセミの支配から逃れた。明日になっても誰かが消える事はなくなる。人が死なねば偏死は終わりだ』


「全然分かんないや。でもこれで、匠ちゃんは戻るの?」


「戻るよ。黒幕も判明したし、最後の戦いだ……尻拭いはしなきゃいけないだろ」



 これはゲンガーとドッペル団の戦い。



 そうだ。簡単な話だった。ドッペル団の名前をゲンガー側が把握しているのはアイツが流したせいだ。ならば規模がどんなに広がっても、これは俺がケリをつけなければいけない戦い。目を向けなきゃいけない。全てを知らなきゃいけない。


「生き残った人達はそれっきり? 仕事とかないの?」


「それでは何の為に生き残らせたのか分からないだろう。残った者には一時的に名前を失ってもらう』


「名前を?」


「ゲンガーを見分ける方法は二つ。一つは火翠の姫に口吸をさせる事だがそれでは心が持たぬだろう。故に俺が動く。複数の名があればあの程度の影法師など造作もない。所詮は鬼の術理に基づいたまやかしだ』


「―――うん。おっけー。全然訳分からないけど、とにかくゲンガーに対する対抗手段を手に入れたって事だね!?」


「まあ、そんな感じだ。いよいよ全面戦争といこうじゃないか』




「私も付き合うよ」




 会話に割り込んできたのは、無垢色の浴衣。お姉ちゃんこと名莚詠姫だ。今の今までゲンガー関連には関わらせないようにしていたし、彼女も俺の方針を尊重していた。


「タクにだけ重荷は背負わせない。何もかも協力出来るって訳じゃないけど、ゲンガーの正体を知りたいの。私の親友がどっちの味方なのかもはっきりすると思うから」


 水鏡幻花のオリジナルはウツセミ様へと捧げられた。順当に考えるならあの人はゲンガーだ。しかし決定的に立ち位置が違う。本当にゲンガーならもっとこちらを騙そうとしたって良いはずなのに、結果的には殆ど正確な情報ばかりくれた。あの人がくれた紙が無ければ『隠子』も乗り越えられなかった。


 俺も知りたい。


 味方の証明が、欲しい。


「お姉ちゃん。マホさんは」


「味方だよ。マホは優しいもん。私達の敵でなんかある筈ない。タクもそう思うならきっとそう。だから皆も早く寝てさ―――とっととこんなクソ田舎、脱出しちゃおう。それでとっとと終わらせちゃおう。長引いたら負けパターンだ」


 言いつつお姉ちゃんは、俺の肩を掴んで深呼吸。


「匠与。今日までお姉ちゃんは貴方を異性として見ていました。貴方はどう?」


「―――俺も。お姉ちゃんが一人の女性として好きだった」


「うん。正直だ。でもこの気持ちは異常な環境で育った間違いで、治さなきゃいけない。だから今日を最後に、正しい姉弟に戻ろう。もうこれっきり、いつも通り。気持ちの整理を付けちゃおう」


「またキスするの?」


「そんな事しないよ。ただ、相手に伝えたい言葉を同時に言ってそれでお終い。この話は金輪際蒸し返さない。行くよ―――?」


 答えは、とうの昔に決まっていた。

















「「大好き」」

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