虚しい戦争

「…………ごめんなさい」


「ん? 強姦の事? そんなの今更気にしないでよ。私だって子供に愛情持ってた訳じゃないし。同罪同罪。むしろそうやって蒸し返される方が辛いって分からない?」


 それはその通りだ。操さんは極力言葉を柔らかくしているが、後頭部を掻いて視線を逸らすその様子は控えめにも愉快とは言えない。忘れてはならない出来事というのはこの世に幾つも存在するが、例えば浮気経験のある人間が結婚した後にも、逐一過去の浮気について掘り起こされるのは嫌だろう。とっくに刑期を終えて出所した人間に何度も人を殺した時のことを聞くのも良い顔はされないだろう。


 能動的か受動的かの違いがあるだけで、同じ事だ。


「あっはいじゃあ戻ります。ウツセミ様に対抗ってのはどういう事ですか?」


「それは本人に聞いた方がいいんじゃない? 私は追加分のおにぎり持ってくるからそこの鏡に勝手に聞いてれば? アイリスちゃんお腹減ってるの?」


「おなかをふきとばされた」


「んー…………そういえばそうだったね。あはは」


 隣でもそもそとおにぎりを食べ続けるアイリスをよそに、俺は遠目から鏡に語り掛ける。


「話は聞いていただろ。ウツセミ』


『我の力は写しの力。痕跡を読み取り再現する力。この地の安寧を守りしは我ではなく、今回に至るまで捧げられた者の願いによるもの。苗網の者は自力で我の影響に気付いたと思われます。鬼灯の家系は謎が多く、全てを知っている訳ではないのですが、鬼の子は人を嫌うように教育されるという噂は聞いた事がございます。ナムシリ様がそうであらせられるように』


「俺は人嫌いではない。歓迎されぬ境遇で歓迎しようとは思わぬだけだ―――だから人間が全員アイリスみたいなら、過ごしやすくなるんじゃないか?」


「だめ」


 一心不乱に食べていた少女の瞳が生気を宿した状態でこちらをじっと見つめてくる。また何か不味い発言をしてしまっただろうかと思い心当たりを探ったが、そこまで過激な発言をした記憶はない。


「わたしはひとりがいい」


「―――あー。いや。そういう比喩表現みたいなものだったんだけど。別にお前がゲンガーだからってそんな無茶ぶりはしないよ」


「またふたりですごしたいから」


「たくさんはいらない」


 冗談が通じないというより、大真面目に何か違う感情を伝えてきている様な気がする。何となしに頭を撫でると瞬きが早くなった。改めてその瞳を観察すると睫毛だって凄く長い。だからより瞳が美しく見えるのか。


 鏡に向き直ると、ウツセミ様が難しい顔で悩んでいた。


「どうした?』


『今、何と?』


「誰が?』


『原初の影です。なんと仰いましたか?』


「たくさんいらない。としか言ってないぞ。ウツシガも関係なければ鬼灯にも関係ないだろう』


『否、我に対抗せんとしたのが苗網の思惑です。それはこの管神に広がる信仰を潰す事と同義。鬼の血を攫いこの地にて繁げようとしたのはその為でございましょう。外で控えている心触姫か根ノ堅洲山羊へご確認をば』


 ウツセミ様の発言は八割方理解出来ないが、山羊さんの名前が出たからには心触姫とは千歳の事だ。操さんはまだ奥から戻りそうもないので小走りで家を出て、仲良くしゃがんで壁に耳を付けていた二人に声を掛ける。


「確認したい事がある!」


「あっ。バレた!」


「センパイ。どうしましたか?」



「外の状況を改めて教えてくれ』



「え、えっと……」


「あたしが変わるよ。繰り返しになるけど、ドッペル団からの犯行声明文みたいなのが届いて、それで国中が混乱。ニュース見た限りだとそこまで混乱してない場所もあるみたいだけど。人がたくさん死ぬようになってね。誰がドッペル団なのかって事で皆が疑心暗鬼になっちゃって、警察も機能してないって言った方がいいかな。なんか、警察の方でもそういう同士討ちみたいなのが起きてるみたいで。全然取り締まりが出来てない」


「そうです! 車でこっち来た時も道路が塞がってばかりで、來るのも苦労したんですッ。横で積極的に追突事故起こしてる人とかも見ました!」


「―――そうか。有難う」


 苗網家にとんぼ返りすると、操さんが戻ってきていた。それどころじゃない。俺にも何となくだが想像がついてしまった。


「どうだ?』


『一つハッキリさせておきましょう。苗網の狙いはこの管神に鬼の血を広げて鬼灯に取り入ろうとした。それで間違いございません。我の力が及ぶ死人を排除して信仰を潰せば容易い事です。苗網は一〇〇年と少し前からこの地に定住している筈ですが、何処で鬼灯の名を知ったのやら』


「水鏡に取り入ろうとした時じゃない?」


 操さんが口を挟む。おにぎりの横に巻物のような物が置かれていた。


「遺言で言ってたような気がするから持ってきたよ。全然事情とかは何も知らないけど。鬼灯ってのは特定の家系というより組織だったんだね」


「組織ですか?」


 百聞は一見に如かずだ。ことわりを入れてから巻物を開き、読めもしない文字に読もうとする意思を伝えつつ彼女の話に耳を傾ける。いざとなったら隣の少女に解読してもらおうか。


『鬼灯の始まりは一代でこの地を追放された集いです。名莚家は水鏡の掟を歪んだ形で解釈しましたが、それは決して理由もなく思いついた手段ではございません。先駆者が居たのです。それが鬼灯、鬼の血を引く者達の集い。名莚家が火翠と狛蔵の追放者で構成されているならば、こちらは外から追放されてきた異常者の集まりでございます。追放された理由はただ一つ。我の力を模倣しようとした故』


「……そう言えば、ウツセミ様の力の根源がハッキリしてませんよね。昔はウツすウツさないとかしなかったんですから元々備わっていたとは考えにくい。それは誰から始まったんですか?」




『最期に捧げられた水鏡家の女、水鏡幻花に因るものでございます』




 それは。


 だからナムシリ様はゲンガと呼んだのか。すると俺達の知る幻花はゲンガー……いや、それでは筋が通らない。ゲンガーの黒幕は鬼灯だと言っていた。その時点で彼女が死んでいたなら鬼灯が関与するのは不可能であって……んん?


『奴は水鏡家の中で唯一不老不死の研究を行っておりました。その努力が実る事はついぞなかったのですが……嘘はよろしくないですな。ナムシリ様が目の前におられるというのに。訂正いたしましょう。研究は完成しましたが、それを狙う者が居たのです。幻花は悪用を防ぐ為に試験を挟まず実行しました。詠姫は知っての通りでございましょうが、我は影響下にある存在の痕跡を写し、再現いたします。果たしてそれが世に広がればどうなるでしょうか』


 机上の空論だったらどんなに良かっただろう。


 似たような事が今、外で起きている。


『幻花の決死の行動が功を奏し目論見は崩壊。鬼灯は追放されめでたしめでたしという風にはいきませぬ。生者を写した『ウツシガ』は我と反する存在ですが、それを消費してまでヒトを潰しているならば、鬼灯の目的はただ一つ』


 世界をおかしくした集団の目的を。


 明鬼朱莉の目の前で。


 ホンモノかニセモノかも分からない鬼の目の前で。



 俺の知るアイツの正体すら分からないまま。



 


 ウツセミ様は俺の口を使って、言った。










『ウツシガとヒトの相打ちでございましょう』




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