メメント/マカブル
辛い事があれば忘れてしまえばいい。
それが人間という生き物だ。忘れるのは悪い事じゃない。俺も努めて昔の事など思い出さないようにしている。今を幸せに生きるのに必要な行動だ。特に忘れようと居なければいつまでも足を引っ張ってくるようなどうしようもない過去にはお似合いのやり方。
「動きが固いですよ、センパイッ」
「実はさっきのは嘘なんだ」
「そんなの言われる前から分かってますよ」
かけられている音楽の名前など知らない。俺は千歳にリードされる形で踊り、俺に合わせるように彼女も踊っているだけ。こういう事。今なら休めるし、出来るなら星見祭の間だけでもこの気分を維持させてほしかった。
何もかも忘れて、全てから目を背けて。
ドッペル団に所属する以上、ゲンガーの存在を知って放置など出来ない。それでも少しくらいの休みは欲しい。俺達しか真実に気付いていない……という言い方は救世人教並びに他のカルト及び陰謀論者と同列になってしまうので(傍から見れば同じ様な存在だが)、あまり使いたくない。あれらと違うのは全く同じ人間が二人いるという事実だけだ。俺もそこさえなければこんなバカみたいな話を信じようとしなかった。
本当に難儀な話だと思う。公表してもしなくてもゲンガーにとって都合が良すぎる。だから欲を言えばゲンガーには全員動かないでほしい。統率が取れているなら頭が居るのは間違いないので、木っ端のゲンガー共をスルーしてそれだけに着目すればここからでも大逆転を狙えるからだ。
「センパイも、昔の事教えてくれたりしませんか?」
「ん?」
「私が教えたから、交換条件って事で!」
聞いてて面白い物でもないから駄目、という理屈は無理だ。千歳の話だって面白くなかった。明るい人間にも暗い人間にもそれなりの事情というものはあって、俺達はたまたま極端な方向に振れているのだろうが、それにしても大神君と言い千歳と言い、全員血筋というものに囚われ過ぎだ。もっと自由に生きれば良いものを。
「何が聞きたい?」
「生まれた場所とか!」
「『管神』って場所だ。ここからかなり遠いから知らなくてもいい。それとも『浮神』って呼べば分かるか?」
「……? いえ。どんな場所なんです?」」
「ザ・田舎だ。山に囲まれてる場所で、俺が居た頃はコンビニも無かったな。今もなさそうだ。車はあるが道が悪い。学校から帰る時の道は未舗装で、うん。限界集落みたいな場所だよ。五十人も居ないんじゃないか」
「そ、そんな場所本当にあるんですか? じゃあ今も着物とか下駄とか刀とか身に着けてたり……」
「そこまで言ったら時代劇だな。まあ携帯が普及してグローバルに染まった世界と比較すると文明開化の音がしない場所でもあるが」
田舎暮らしは素晴らしいなんて幻想だ。半ば自給自足みたいな生活をするような場所の何が素晴らしいのだろう。姉貴がオカルトに傾倒していったのはその為ではないかと推測している自分も居る。一切の娯楽が無いと言っても過言ではないような過疎地には毒が充満している。その名を退屈と言って、だから姉貴はその毒を消す為にのめり込んだのだ。
「―――段々動きが軽くなってきましたねッ」
「これだけやってれば慣れるさ」
紅潮した笑顔を誤魔化しもせず浮かべる後輩に、俺は心を絆されている。星見祭なんてこれでいい。これ以外何も要らなかった。裏でドッペル団をゲンガーの抗争が始まっている事など忘れて二人は踊る。意味もなく、強いて言えば楽しいから。
そんな至福の時間に水を差したのは、視聴覚室の扉の音。踊るのをやめてラジカセのスイッチを切ると、開口早々に怒号が轟いた。
「てめえらかあああああ! 今の放送はああああ!」
冴橋銀造。
風紀管理部の顧問にして、今回の狂人及び未確定枠。大神君が居なくなった事に対して最も過敏に反応しており、何故か俺達にだけ執着する悲しき教師。大神君の保護者に会ったというのにまだ満足していないという事は、執着する理由は彼そのものではなくて―――
「声違うでしょ」
「んな事ぁどうだっていい! ドッペル団ってのはてめえらかって聞いてんだ!」
アクア君最大のリスクとは身バレ。彼の手で放送するのだから、直ぐに放送室へ向かえば誰が放送したかなど推理するまでもなく明らかなのだが、上手く隠れたか撒いたようだ。流石冷静な方の狂人は土壇場でも落ち着いている。
「あ…………え…………っと」
「後ろに下がってろ千歳。少し話すだけだから」
後輩は従順だが、銀造先生はその見た目通りに頭が固い。おまけに今は頭に血が上ってまともな文脈すら成立しない。それは言うなれば生徒が正論で言い返しても『屁理屈言うな』と返せる教師のように理不尽で、最も和解しがたい年齢の隔絶。
説得するなら、言葉を選ぶ必要がある。
「銀造先生。ゲンガーの言う事信じるなんて貴方は馬鹿ですか?」
「あ゛あ!?」
「元々馬鹿だと思ってましたけどここまで愚かなんて思いませんでした。本当に老害って感じで、心底迷惑してます。自分の娘をそんなに蘇らせたいんですか?」
「…………てめえ、何処でそれを
「野暮用があって、職員室にね」
職員室の机にあった女の子の写真。その机は紛れもなく彼のであり、写真立ての裏には冴橋から続く名前が記されていた。ゲンガーのなり替わりは世間一般から見れば生き返りだ。死んだ直後に生き返る―――否、全く同じ人物が元気になるので『死』はそもそも存在しない。だから死は嘘。これがゲンガーを知らない者の感覚。馬鹿馬鹿しいにも程がある幻想は、度重なる誤報により真実となりつつある。
その一方でゲンガーが関与出来なかった死を知る人間はその影響を受け辛い。山羊さんは疑問を感じていたし、アクア君も信じているなら慧ちゃんを殺そうとは思わなかっただろうから多分信じていなかった。
この理屈の穴は、過去に対して矛盾を解消出来ない点にある。
ゲンガーが現れるまで『死』は生物絶対にして共通の概念。そこには偉人も貧民も関係ない。死の瞬間に差異はあれど誰もがそこに直面し、息を引き取っている。『死』が嘘だというなら、この矛盾をどう解消しようか。
「銀造先生。『死』は嘘だから、死人も生き返るなんて考えたんじゃないんですか? だからゲンガーに……いや、大神君に狙われたんでしょ」
「違え! アイツは、娘を生き返らせる方法があるって言った! そん時ぁ、揶揄われてると思ったが、蓋を開けりゃ『死』なんて嘘だった! つまりアイツの言いたい事は本当だったって事だ」
「まずそれがおかしい。アインシュタインとかエジソンとかバッハとか始皇帝とか。適当に出しましたけど、本当に嘘ならそういう偉人達も生きてないとおかしいですよね。生き返らせる技術があるなら誰かが生き返らせてるし、歴史における戦争は大体する意味が無くなる。自国民を支えきれないから隣に侵略するとかもそうですし、それ以前に人口爆発につき地球が終わりますよ。最近生まれた技術って言うなら何で頭も良くない大神君の専売特許になってるのか。そんな簡単ならもう一般化しててもおかしくないんじゃないんですか? それを今更誤報なんて」
「ごちゃごちゃうるせえ!」
銀造先生が取り出したのは、万能包丁。
家庭科室から持ち出したのだろうか、殺しても意味がないのにそれでも殺そうとするなんて―――いや、彼のように生き返る概念に至ってしまったなら不思議はないのか。殺人罪は取り返しがつかないから重いのであって、取り返しがつくならそこに躊躇はそれほどない。ゴミのポイ捨てが横行するのは咎められてもゴミ箱に捨てられるから、そして誰かがフォロー出来るからだ。そうしないと大きな問題を引き起こすからなのだが、罪を犯すような人間がそこまで深く考えているものか。ポイ捨てするような人間ならその方面は確実に浅慮であろう。
「『死』が本当って言うならてめえ、自分で証明して見せろぉ!」
「うーん。貴方に嫌われても俺は生きていけますから、そこまで媚び売るつもりはないんですよね。死にたいなら勝手に死んでくれって感じで。はい」
冷淡に返したつもりで、冗談を言ったつもりはない。しかし銀造先生はニっと髭だらけの口元を緩め、大きく口を開けて更に声を荒げた。
「やっぱ知ってんじゃねえか、てめえ!」
「え?」
脈絡が行方不明だ。俺はそれっぽい情報をにおわせたつもりはない。とぼけるも何も知らないが、何故か口を滑らせたっぽい雰囲気なので合わせておいた方が円滑に会話が進みそうだ。人間は自分の信じたい情報を信じる。俺が何かを知っていると思い込んでいるなら、その方面で固定してあげた方が語るに落ちるのではないか。
果たしてその思惑は的中した。
「大神から蘇生の方法を聞いてんだろうが! さっさと教えろぉ!」
―――ようやく全貌が見えてきたな。
大神君が何を言ったとしても執着される理由がない。そう思い込んでいたが―――その方法を俺達に教えたという事にされているなら話は別だ。だから彼を連れ回しただの何だのと難癖をつけて『知ってる事を話せ』と詰めてきた訳だ。大神君そのものではなく彼の情報が俺達にも渡っていると思って付け狙ってきたと。この先生の事だ、保護者ゲンガーにも尋ねたのだろうが、真実を知る偽物達が親切に教えたとは思わない。さしずめ仲間だった大神ゲンガーの意図を汲んで色々と背中を押す形で喋ったのだろう。
「―――ああ、分かりました。じゃあ教えます」
「何だ!」
「貴方の娘に似たパーツを全国から探すんですよ。四肢と胴体、それに顔ですか。それを各地から一つずつ奪ってきたら工作のりでくっつけて娘の完成です」
「ふざけんのも大概にしやがれ匠悟ぉ! 俺ん娘は人形じゃねえ!」
「本物はもう死んでるんでしょ。生き返らせてもそれは偽物ですよ。人格の違う同じ顔の人間を愛せて満足ですか?」
煽る煽る煽る煽る。ドッペル団の邪魔はさせない。目標は飽くまで俺だけに絞らせて対処する。こうすれば何が起きても対処しやすい。最悪の未来に分岐するにしてもその原因がハッキリする。
俺が襲われた所を山羊さんが庇う。
ゲンガー全体を相手にしていたらこの状況が発生するパターンは多岐に渡るが、銀造先生が相手なら一通りだ。これならゲンガー全員を殺害しなくても彼女は守れる。
問題があるとすれば。
「……もう、いい。てめえは死が嘘じゃねえって言うなら。てめえで死ぬのが嫌だっつうなら。俺が殺してやる」
未来は変わる。
そうでなければ『隠子』の時に俺達は全滅していた。
最悪の未来に進めば俺の生存は確定するが、それを回避しようとするなら命の保障は無い。銀造先生から逃げ切るには、自分の力で何とかする必要がある。
「俺を殺しても、ちゃんと生き返らせてくださいね」
自分が死んでも心の後味が悪くなるような伏線を言い残して。
俺は反対側の入り口から廊下へと飛び出した。
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