最悪の刻は近く
「おー匠悟。どうしたんだ途中で抜けて。朱斗もどっか行っちまったし」
「ああ、何でも無い。ちょっと相談したい事があってな」
「その子って確か一年のマドンナだろ。何でお姫様抱っこしてんだ?。パンツ見たお前が」
「一言余計だよ。まあちょっと怪我を……してたみたいだからこれから保健室に向かうんだ。それにしても俺達が付き合ってるとかって発想は無いんだな」
「いや、パンツ見た人間と付き合うとかヤバくね?」
それはそう。
狂った常識人達のウザ絡みをスルーして職員室へ。目的地が違っても目ざとく観察するような人間は居ない。想像以上に人間という生き物は他人に対して興味がないのだ。千歳のような美人(マドンナだけは否定したい)と違って俺はさしてモテる事もなく美子のケツだけを追いかけていたただの恋愛脳系男子。そこまで観察される謂れは無い。
「失礼しまーす」
職員室には珍しく誰の姿も無かった。それは妙だ。なら鍵を掛けているべきで、この学校はいつから防犯意識の欠けた場所になったのか。ゲンガーに対する意識が無いのは仕方ないとしても、普通に重要書類を盗まれる可能性にくらい気を配ってほしい。ややこしい事情を抜きに心配だ。
「……センパイ」
「ん?」
「…………せっかく、センパイとデート出来るって思ったのに、こんな事になるなんて知りませんでした。私、誰を信じればいいんでしょうか」
「自分で決めた方がいい。誰かに指針を預けたら後悔するぞ」
「センパイを信じたいです」
「俺は悪党だ。流石にさっきの会話くらいは聞いてただろ。偽物でも何でも、人の形してて人の身体を持った存在を殺すんだ。こんな奴信じられるのか?」
職員室前で後輩を降ろすと、身体からは離れてくれたがその視線は寂しげに潤んでいた。
「梯子、外さないで下さい。同級生の子が平然としてるの見て、分からなくなっちゃいました。優しい子とか、いい人とか、頼りになる人とか、かっこいい人とか。同級生に私、色んな印象を持ってて―――それが全部覆って。良く分からないんです。何もかも。何で私が、こんな目に遭わなきゃならないんだろうって。おかしいって感じたなら、山羊先輩みたいに声をあげなきゃいけないのにあげられなくて。目線が集まるのが、どうしても怖くなっちゃって」
後輩の気持ちが分からない。
それが何より悔しかった。共感も拒絶も理解も出来ない。まるでそんな資格がないかのように脳が勝手に感傷を弾く。そう言えば、泣きそうな子を慰める様な経験は今までになかった。美子はそんな女性ではなかったし、レイナは……あれはもっと重苦しい感情に苛まれており、慰め方なんて存在しない稀有なパターンだ。
これはゲンガーが直接引き起こしたものではない。千歳が勝手に期待して、勝手に絶望して、勝手に混乱しているだけ。ゲンガーはまだ彼女に何の一手も下していない。そこが両親を殺されたレイナとの大きな違い。
放送室の鍵はとっくに見つけてあるが、また別の目的として先生の机を外観から物色している最中、ふと思い立った。
「そういやずっと気になってたんだ。初めて俺達が出会った時、お前は多数からの注目を浴びて動けなくなってたな。あれはちょっとした動揺とかを超えてた。俗にトラウマって感じの挙動だったと思ってるんだが、そろそろ理由を聞かせてもらえないか?」
娘の写真を置いてある机、教師としてのメモが張ってある机、家族の写真が置いてある机など。場所一つとっても先生毎の特色が窺える。生徒名簿は一番下の段にあるのを確認した。
「私の家、私を除いたら男性しか居ないんです」
「母親は?」
「放逐されました」
「は?」
この机にはない。というかここは銀造先生の机ではないか。彼はクラスの担任でも何でもないので生徒名簿なんぞ見つからない。他を探そうか。
「私の家、男性が生まれる確率が凄く高いんです。兄弟にも親戚にも男ばかりで本当にその……肩身が狭くて」
「逆ハーレムと茶化す気にもなれない。辛いならやめてもいいぞ」
「ずっと変な教育をされてきました。女性らしさって言うのを凄く求めてきて、食事をしたい時は家族の何人かに可愛いと思わせろとか、トイレに行きたい時は弟を誘惑しろとか……女性力って家では言われてたんですけど、それが出来なかったら私、何にも許されないんです。自由時間とかもありません。家族にいつどんな時も見張られて、たくさんの視線をずっと肌で感じて…………!」
「千歳。もういい。もう、十分だ」
己の弱みを明かそうとすると、何故だか涙腺が緩んで次第に泣けてくる。千歳の受難は察するに余りあるものだったが、その変化だけは共感し得るものだった。
イタイほどよく分かる。本心を曝け出す恐怖を。
『すこしはかんがえなさい』
理解されないんじゃないか、嘘だと思われるんじゃないか、拒絶されるんじゃないか。思い込みではなく、過去にされてきたからこそ生まれる恐れ。
『あなたはひとであっちゃいけないのよ』
明るさは暗さの裏返し。
後輩が底なしに明るかったのは自分の本心を隠す為だったようだ。
「……習い事は、唯一家族の目から逃げられたんだろ?」
「……はい。でも大会に出た時に、その……うっうっ」
「言うだけ悲しくなるならいいって。全部分かったから」
弓道を選んだのもそういう事か。うちの弓道部は弱小で多くの人に晒される事もない。何より弓道は集中のスポーツ。彼女なりに己のトラウマを乗り越えようとして入ったのだろう。
今となっては何の意味もなくどうでもいい決断となってしまったが。
「よし、鍵を渡しに行くか」
「…………っそういえばセンパイ、何してたんですか?」
「全校生徒の皆々様にお知らせいたします。我々の名はドッペル団。どうやらこの学校には人間の偽物が紛れ込んでいるようです。我こそは真の人間であるという方は怪しい人物を見つけ次第、殺害を推奨します。
尚、誰にも協力の姿勢が見受けられない場合は我々の手で嘘とされる死を本物にして返そうと思いますので、何卒よろしくお願いします」
クラスの中に紛れて彼の行動を待っていたら、そんなふざけた内容の放送が聞こえてきた。しかしふざけているのは声音だけで、その内容には興味深いものがあった。
現在はレクリエーションまでのインターバル。約束は約束なので千歳とは就寝時間まで一緒だ。下着を見られた被害者と加害者のコンビは珍しいが、俺の人となりを知るクラスメイトはさして気にも留めなかった。
そんな俺に倣うように恋人や友達と戯れていたクラスメイト達だが、その放送には一斉に首を傾げた。
「なんだ今の?」
「生徒会の演出?」
「ドッペルってなんだ?」
嘲笑する者もいれば、沈黙を続ける者もいる。なるほど、彼の狙いがようやく分かった。ゲンガーだけを炙り出すならゲンガーにだけ喧嘩を売ればいい。
今の放送を間に受けるような人間が偽物だ。わざわざ名乗ったのはドッペル団を認知させる為と、情報源不明の記事を本物に見つけさせること。
ネタの投稿とされた名前が使われれば楽観的な本物達は生徒会の遊びの一環だと考えるだろう、一方でゲンガーは自分達の存在に気づいているドッペル団とやらを見つけたい。本物らしくあるなら知らんぷりをしないといけないが、『偽物』という言い方が自分達をさしている事は彼等が一番良く知っている。
無視出来る筈もなく、万が一にもゲンガー全員が無視するようならその場合は何者かによって統率されている可能性をほぼ確信まで持っていける。無視出来ず動き出すようならそいつらはゲンガー確定として遠慮なく殺せる。アクア君の妙案は中々どうして俺達にリスクがなく良いとこどりの計画だ。
『後は任せたぞ、デモン』
『君は参加しないの?』
『ゲンガーとはまた違う問題が残ってるだろ』
職員室には、やはり鍵を掛けるべきだと思う。
教えたくない情報があるなら、知られないようにもするべきだ。
「千歳。視聴覚室に行くぞ」
「え? あ、はい」
人目も憚らず一緒に居た事が彼女の精神を少し落ち着かせたのか、いつもの千歳がほんの少しだけ帰ってきた。後ろ手を組みながら俺の半歩後ろをそれとなくついてきている。毎度毎度お姫様抱っこでは軽いといっても限度があるので、歩いてくれるのは体力温存も出来て非常に助かる。
「あの、どうして視聴覚室に?」
「二人きりで踊りたい」
「…………え」
何でそんな事を、と言いたげだ。この緊迫した状況でやりたい事がそれなのかと。後輩から初めて呆れ顔を引き出した気がする。堪らず零れた笑みを正面に振り返って誤魔化しつつ、ポケットに手を突っ込んだ。
「確かにやる事はあるがそれは待つべきもので、暇な時間がある。こんな事になっても悲しいかな、星見祭を楽しみたいという気持ちはあるんだ。でも生徒会に運営を任せたままじゃ碌なの期待出来ないから勝手に俺が仕切る。新体操やってたんだろ? 俺に合わせて踊るくらい訳ないんじゃないか?」
軽く煽るように尋ねると、千歳は気が抜けたように吹き出し、買い言葉を言い放った。
「センパイ、踊れるんですか~?」
「ああ。実は中学までバレエと新体操と……ええーパルクールをやってたんだ」
「フフッ。ヘンなセンパイ♪」
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