変わらない世界、変わらない日常。カワラナイ人
殺したくて、殺すんじゃない。
大神君を直ぐには殺さなかったように、不自然なタイミングでの殺害は極力避けたい。今回だって、殺さずに済むなら居心地が悪かろうと全員のネジが吹っ飛んでいようと見過ごすつもりだった。問題は山羊さんだ。
ここまでの流れが確定しているなら彼女の死因は間違いなくゲンガーだ。『隠子』を突破する為には知らない筈の情報を入手する必要があった。ならば今回だって同じ。死ぬ原因がはっきりしているならその原因を完璧に取り除いてしまえばいい。
殺すしかないだろう。
俺は彼女に死んでほしくない。ただそれだけの理由かもしれないが、信用出来る人間が加速度的に少なくなっていく現状、手の届く範囲だけは守りたいと思うのは自然な反応ではないだろうか。たとえこの手が汚れる事になっても構わない。それで守れるなら幾らでも血を被ろうさ、汚名を受け入れようさ。痛いのも死ぬのも嫌だが、失うのはもっと嫌だ。
正直、山羊さんの事は好きだ。好きだから離したくない。死んでほしくない。これからも一緒に遊びたいし、軽率に話しかけたい。今までと変わりなくなんて、こんな状況で言える筈もないのだが、飽くまで傲慢な望みとして、変わらないでいてほしい。
「質問なんですけど、見逃しの可能性は無いんですか?」
「ない。少なくとも俺達にはな。ゲンガーからすればかくれんぼで見つからなかった俺達は絶対に本物なんだ。ゲンガーはゲンガーを判別出来ないらしいが、それでも俺達は違うと分かる。殺さない理由があるのか? ゲンガーの同士討ちも避けられる絶好の獲物だぞ」
理由は分からないがレイナが救世人教に狙われたのも同じ理由かもしれない。あれだけ執拗に狙われたのだ、ゲンガー側には彼女を本物と断定出来るだけの材料があったと考えられる。
「でも。匠悟。作戦は。あるの?」
「これだけ派手にやらかしたんだ。多少殺す瞬間を目撃されても取り立てて騒がれる事はないだろうね。今も体育館に居ないのは不思議がられるかもしれないがそれくらいだ。問題はここからだよ。どうやって見分けるか、見分けられたとしてゲンガーを殺した後の行動など。景気づけにインパクトを求めたのかもしれないけど、僕に言わせれば全員殺害は無謀だね。気持ちは分かるけど」
反対意見多数。ゲンガー殺害は原則的に全会一致を基本とするので俺の方針は当然採用されない。同時に見逃すという方向も俺が納得していないので採用されず、早速会議は滞った。
先輩方が物騒極まる話をしているのに、千歳は何も反応しない。耳を塞ぎ目を塞ぎ、全てを夢だと思い込むように俺の身体にうずくまって動かない。
―――傍観者なら、それが正しいんだけどな。
俺だけはそうもいかない。もしこの方針が認められないようなら何とか山羊さんを殺した元凶だけでも突き止めるか、絶対に殺せない状況を作る必要がある。前者は情報不足、後者は俺のアドバンテージが失われる多大なリスクを抱えている。
「朱斗。この後は。何だったかしら」
「夕食の後はレクリエーションその2だ。何が来るかはお楽しみらしいが、こんな状況で平凡なモノは期待出来ないな。もし裏がないならラッキー。その後は就寝だけど、黙認という形で自由時間でもある。こういうのは澪奈部長の方が知らなきゃ駄目なんだけどね」
「はぅ。ごめんなさい」
「いやあ本当に厄介ですねー。見分ける方法本当に無いんすか?」
「朱斗」
「無いよ。僕が知る限りはね。だから絶対とは言わないが、都合よくこの場でそれが手に入るかと言われたら微妙だよね」
「成程」
アクア君は何を考えているのだろう。もし俺と同じ事を考えているなら未成年ながら彼とは良い酒が飲めそうだ。勝手な思い込みに過ぎないが、もし彼女を疑っているならそれは賢い選択だ。俺はまだ中学からの付き合いを信じたいとは思っているが、何の思い入れもない彼ならその思考に至っても無理はない。
朱莉の発言には、何の信憑性も伴っていないのだ。
ある程度は信じられるが、全て合っているかと言われたらそれも違う。当初から隠しているのか曖昧なのか分かりにくいラインだったが、ここまで来ていよいよ単純に嘘を吐いている疑惑も出ている。
彼女の話に限った事でもないが、ゲンガー関連は全体的にフワフワしていて曖昧だ。何か一つ語ろうとしても確たる証拠がない。五人中三人か四人が同じ結論に至れるような説得力が何処にもないのだ。だから曖昧なだけで不信を決め込むのは迂闊で危険。かと言って『情報源を明かさない』朱莉を信じるのも難しい。
このバランスはきっと最後の最後まで崩れない。これもまた理由が無いがそんな気がする。自分でもテキトーな発言をしている自覚はあるが、この状況自体が意味のある情報なのではと。
「じゃあ見分け方が無いとして。殺す時はどうするんでしょうかね」
「ん? 殺す時?」
「むかつく奴を殺して―ってなった場合ですよ。死ぬのは嘘なんでしょ。相手を殺すのも殺されるのにも抵抗はない。でもむかつくので何かしてやりたい。そういう場合、人間はどうするんでしょう」
二度目の静寂。しかし今度のように単純な進行遅滞というよりはしっかりと進んだ上での沈黙だ。誰もその疑問に答えられない。アクア君の言葉の意味は把握した上で、誰も。
まずむかついたからと言って誰かを殺そうという発想にならない。そんな発想になるのは好きだった子の性格が思っていたのと違うくらいで殺そうとする彼くらいだ。自らを粗野と評する山羊さんも流石にそこまではしない。狂人が急に増えてくれたお蔭で今の俺には彼が狂っているのか普通なのかを判別する事が出来ない。何なんだ。
「草延さんは分かりますか?」
「意味は分かる。分かるが、実感が湧かない。『他人事』とかじゃなくて、そんな風に考えた事がないからな。でも……うーん」
「ゲンガーなら殺すと思いますよね」
「同士討ちをする可能性を除けば殺り得だからするだろうな。仮に同士討ちしても同士って判別する方法があっちにあるのかもわからん。一方的に見れば完全に得の可能性はある」
それか、同士を見た目以外の方法から判別出来るならやはり殺しにかかるだけ得だ。
「じゃあ人間はどうですか。ここにいる人はともかく、体育館でカニバに手染めた様な人。死ぬのが嘘なら殺すのに躊躇いは無いでしょうね。さっき見ましたし。でも殺しても死なない。じゃなきゃ嘘になりませんから。じゃあむかつくのに我慢とか出来ますかね? この際我慢じゃなくてもいいんですけど、我慢しないならどうやってストレスを発散するのかなって思いません?」
「一発殴るとかじゃないの? 死ぬのは嘘……という事でも、痛いのは本当だから」
「どうせ危害加えるなら殺すまでやるのでは? ってのが俺の持論です。話が堂々巡りしそうで自分でもこんがらがってしまいそうですけど、殺人に対する気構えが軽くなるなら簡単に行う一方で、仕返しとしては弱いんじゃないかって言いたいんです。仕返しするなら相手に苦しんでほしいって思うのが人間でしょ。身内の軽いノリじゃないなら」
「……痛めつけるくらいなら。殺す。死ぬのは嘘。殺しても死なない。じゃあスカっとするまで痛めつけるのかしら」
この議題で何より話をややこしくしているのが『死』の扱いだ。『嘘だと思っている』は文字通りの意味であり、実際に死は人間にもゲンガーにも存在する。死んだ人間がゲンガーに取って代わられるから死んでないように見えるだけ。
頭では分かっていても、どうしても常識が抜け落ちない。『死』自体はまだ存在している以上、死が嘘だの殺しても死なないだのと真っ当な人間として実感が湧いてこない。だから色々推察して段々ややこしくなってくる。
「ここで話してても仕方ないと思うので、取り敢えず試してみませんか?」
「何を?」
「校内放送でちょこっと悪戯するだけです。俺から言い出した案なのでリスクは全部引き受けます。先輩方は職員室から鍵を貰ってきてくださいよ」
そんな事をすれば誰が放送しているかなど一発でバレるのだが、そうなっても問題がない内容なのだろうか。ドッペル団としてはコードネームで呼んだ所で顔が割れている非常にやり辛い現場だ。自ら隠れ蓑になってくれるなら拒否する理由がない。
「デモン、ゴースト。お前等はサポートしてやれ。職員室に何人も行く必要はない」
「匠君。その子はどうするの?」
「千歳。少しは落ち着いたか?」
胸の中で頷く後輩。
「俺から離れられるか?」
頭を振られ―――というより擦られ―――諦めるしかない。膝の内側に片手を引っかけるようにくぐらせると、彼女はひょいと容易く持ち上がって、お姫様へと転身した。レイナよりも随分軽いので問題は無い。今回は窒息の心配もないし。
「じゃあ行ってくる。君に鍵を渡したらいつも通り学年グループに戻るわな」
「はい。お願いします」
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