黄泉娘



 山羊さんが死なない為には、誰にも邪魔されない場所が必要だ。隠れ場所もなくて見通しが良くて、手持ちの凶器が無くても銀造先生を殺せる場所。


 


 ―――楽に倒せるとすれば一か所しかないけどな。



 殺されるくらいなら殺す。そしてゲンガーになり替わったタイミングで殺す。リスポーンキルさながらに。ゲンガーがなり替わりを辞めるまで。



「うおーなんだなんだー!?」


「偽物が見つかったのか!」


「景品あるかもしれねーからころしとこーぜ! 誰だ誰だ?」



 教室中に仕込んだ凶器は結果的に偽物探しの道具として全校生徒に活用されている。そんなつもりで仕込んだ訳ではないのだが、喜んで手に取っているという事は遊びの一環だと思っているようで、一部ゲンガーが動き出してくれた事の証左でもある。生徒会が動かないのは『楽しいから黙認』の精神だろうか。人間ダーツなんて発想をする彼等ならあり得ない話ではない。



「おう匠悟。どうした?」


「ああああああ見て分かるだろおおおおおお! 頼み事すっぽかしたから追い回されてんだよおおおおおおおおお!」


「全然関係ねーところで追っかけられてて笑うしかねえや! だははははは!」


「ふむ。あながち嘘ではなさそうだね」



 どうでもいい奴等との会話を雑に済ませて真っ直ぐ階段を上り続ける。狙うは屋上あるのみだ。彼を撒いた所で意味がない。山羊さんの為には敢えて綱渡りな選択肢を選び、この未来を確定させなければいけない。


 


 ―――ん?



 足音が増えている気がする。


 それでも屋上に逃げるしかない。俺の気のせいだったと信じて上り切る。息は全く上がってないが、これで文字通り後戻りは出来なくなった。


 振り返ると、一番に到着した銀造先生に続いて続々と見覚えのない顔が追いかけてきた。大神君の両親が居る事から、隠子犠牲者の会保護者の部であると推察出来る。その素性を隠す気はとうの昔にないようで、それぞれがそれぞれの家にあったであろう得物を持って、今にも襲い掛からんと俺を見つめていた。


「あーまじか」


「言え! 言わなきゃ殺す!」


「ああ、じゃあ言います。まず全裸で街を出て一番一目が付く場所に移動します。それで周りが十人くらいですかね。集まってきたらそいつらに向かって放尿します。するといい感じに魔法陣が掛けるのでそこにアダブラカダブラと呪文を唱えると―――」


「―――死ね」






「あたしを殺せば、全部解決するよ!」






 一番聞きたくなかった声が、俺の窮地を救ってしまった。人はそういうのをお節介と言うのだろうなあと、呆れ気味に考えてみる。


 だろ、山羊さん。


 屋上のフェンスを平然と乗り越えて、彼女は俺を守るように間へ割り込んだ。眼中にも無かった人間の登場にさしもの先生も怒気が薄れる。


「何だ、てめえ!」


「あたしの名前は夜山羊菊理! あたしは死に対する贄で供物だから、あたしが死ねば全部解決する。だから匠ちゃんを……殺さないでください」


「―――そりゃ、本当か」


「はい。本当です。匠ちゃんはちょっと変わってるだけでそういうのに詳しくないから。お願いです先生。理由はよく分からないけど、匠ちゃんを殺すくらいならあたしを殺してくれ」


「やめろ山羊さん」


「お節介って言われても、嫌われてもやめるもんか! 匠ちゃんに恩を返せるなら返したかったんだよずっと。あたしは君を…………ヒーローだって思ってるから。でもそれはきっとあたしだけのヒーローじゃなくて、皆のもので。ここで匠ちゃんが死ぬくらいなら、死んだって後悔は無いよッ」


「やめろ! 俺はお前を―――!」


 言えない。


 今の言い草なら、死ぬ未来を教えればやはりそういう運命だったと結論付けてしまいそうだ。これだけは口が裂けても教えられない。逃れられぬ定めという事にしたくない。


「……俺ぁどっちでも構わねえ。奈由が生き返んなら、それでええ。あまり待たせんならどっちも殺す」


 ここに来て理性を取り戻した先生が猶予をくれたが状況は芳しくない。このままでは山羊さんが死んでしまう。




 本当は事態が落ち着いてから色々聞きたかったのだが。




「―――運命なんて存在しない。分かるか山羊さん―――いや、夜山羊菊理よもつくくり




「……! 何で。それを……」


「職員室に行った時に総当たりで調べた。口頭では偽名を名乗れても社会ってのは複雑だからな。手続き上の処理としてどうしても本名を使わなくちゃいけない。お前の場合は単に読み方が変わっただけだが、黄泉よもつと同じ音の名前を単なる偶然じゃ片づけられないだろ。調べるのは簡単じゃなかったが、何となく見えてるよ」


 未来の情報だけを使って、彼女の心を断ち切る。


「死ぬ事は本懐。知ってるか山羊さん? 山羊は地域によっては悪魔のモチーフにもされてるが、聖書には贖罪の羊という話もある。山羊とは家畜、それを供える人間と本質を共有するものとして身代わりに利用されていたそうだ。ここは聖書の台頭する国じゃないが、その名が持つ『山羊』の字は紛れもなくこの神話に当てはめられている。そして黄泉と同じ音を持ったお前は、『黄泉國よもつくに』へと括られる家畜だ! だからお前は今死のうとしてる。供物としての本懐を達成する為に!」


 こんな、馬鹿馬鹿しい話があってたまるか。


 生を授かった人間には生きる義務がある。それを破った所でどうにかなる訳ではないかもしれないが、どうにかなるかもしれない概念として『地獄』や『最後の審判』がある。だから生物は生きなければいけない。自死を畏れる限り、痛みを畏れる限り生きなければいけない。


 その筈が、死ぬ為に生まれてきたなんておかしいだろう。子供は親に産んでくれと頼まないし、親もどんな子供を産むか分からない。死ぬ為に生まれるくらいなら、そもそも産まなければいい。死ぬ為に生誕して、死ぬ為に成長して、誰かの為に死ぬなんて人生とは呼ばない。


 黄泉がまとわりつく人生の何処が、生きていると言えるのだろう。


「………………そこまで知ってて、あたしを止めるんだ」


「そこまで知ってるから、お前を止めるんだ。俺はお前に死んでほしくない。血統とか血筋とか、そんなのどうだっていいだろ。そんなのに囚われた大神君は意味もなく死んだ。どうしてお前達はそこまで、家に続く呪いとか役割とかそういうモノに囚われてるんだ!」


「だって、そう教育されてきたから!」


 身も蓋もない答え。そして、何よりも確かな真実。


 人格は最初から一貫している訳ではない。家族構成や周囲の環境と言ったモノに影響されていく。だから育児は難しくて、だから育児に挫折する人間が居て、だから子供が嫌いだという人間も居る。人間社会はそんな厄介な存在が今まで成長してきて、それが今も存続しているだけの危ない世界だ。


「夜山羊では、死なない事が恥なんだ。お母さんはそんな恥を親戚や自分の親から責められ続けた状態で私を産んだ。それでずっと私に言い聞かせてきた。貴方は大切な人の為に死になさいって。そりゃあたしだって死ぬのは怖いよ! でも、匠ちゃんが死ぬくらいなら…………匠ちゃんがいなくなったらあたしは!」


 顔は見えないが、背中越しにも彼女が泣いているのだけは分かった。声とかしゃくりとか、身体の震えとか。死こそ本望と生まれた人間が生を望む社会に生かされて歪んだ結果がこれだ。血と自己防衛本能の二つに山羊さんは苛まれている。


 当然、俺にはどうする事も出来ない。


 心を断ち切るも何も、自分の意思とは無関係に死のうとする彼女を止める事なんて出来るものか。



『私も最初はそう思ったよ。でもね、その理由を聞いて一理あるなあって思ったの。人は共通認識に生きる存在で、その認識のすり合わせを現実と呼んでいる』



 現実とは真実。起こり得なければいけない事。


 何処かの誰かが言ったその理屈はあながち間違ってはいないようだ。少なからず山羊さんは家族と認識をすり合わせた結果、自分は死ぬ為に生まれてきたのだと合意してしまった。子供の頃は家の中が世界の全てだ。幼少期の体験が人格形成に大きく関わるとも言われる中、生まれた時からそう言われてきたのなら後にどんな平和な現実があっても抗えない。


 だから俺は忘れたし、だから彼女はこうして死のうとしている。


 大神君も、ゲンガーを見た事で『獣』の呪いに合意して、そのせいで死んでしまったと考えれば辻褄が合う。


「……腹ぁ、決まったか」


「銀造先生。大神君がいたら、俺達は死ななくていいですよね」



「お前が殺したんだ!」


「あの子を返してよ!」



「保護者の方は黙っていて下さい。そうですよね」


「……ああ」


「―――山羊さん」


 背中から彼女の名前を呼ぶ。三度目にようやく全身を向けてくれた。


「何ッ」







「今から子供、作ろうか」 







 …………………………………。


 ……………………………。


 静寂。


 その場にいる全員が氷河期にでも渡ったかのように固まって、山羊さんに至っては目どころか全身を白黒させていた。この場における発言として信じられないものでも見たかのように目を何度も見開いて。それでも何も言えなかった。


「いや、大神君が居たらいいから、今から山羊さんとエッチな事して生まれた子供に大神邦人ってつければいいかなって」


「な。な。な。な。な。な。な。な。な。な。な」


「男に二言はないですよね先生。大神君さえ居ればいいんだから、この場の最適解は山羊さんが妊娠して大神君を産めばいいんだ」


 起動済みの携帯を見せつける。これで言質は完璧と言わんばかりに。


「―――何言ってんだ、おめぇ」


「それはこっちの台詞ですよ。無いなら作ればいい。そんな当たり前の事に気付かないなんて俺も含めて全員馬鹿でしたよね。あはは」


「しょ、匠ちゃん? に、妊娠って一時間二時間でそんな簡単に出来るもんじゃ」


「大丈夫大丈夫、行けるから」


 彼女をフェンスに押し付けて、その制服に手を掛ける。


「え、ちょ、ホント? ホントにマジでやるの?」


「命が懸かってるのにウソを吐くクソ野郎が何処に居るんだい、山羊さん?」






「―――え、やだちょっと! や、いや! む、ムード! ムード大切! 屋上とかやあああああだああああああ! レイプ犯! 強姦されるううううううううううう!」









 ―――屋上に学校関係者が集ったのは、それから三分もかからなかった。



「なんだなんだ!?」


「すげえ配信だったぞ!」


「マジでやんの!?」


「きっしょ……」



 これでは殺人をするどころではない。そもそも屋上がパンクしているので俺を殺すまでに五十人くらい殺さないといけない。『死』は嘘でも『性』は本物だ。殺人犯がこの世から消えても性犯罪者は今も皆の倫理から悪しき存在と思われている。『強姦』が嘘なんてゲンガーの性質では持っていきようがない。


「なんだなんだどうしたんだい?」


 他の先生もドタバタとやってきて、俺と山羊さんを引き離した。銀造先生及び保護者ゲンガーは状況が今いち呑み込めずポカンとしている。手に持った凶器を動かす気にもならないようだ。ここからはアドリブになるが、元々がアドリブだらけなのでさほど焦りはしない。一番話が分かりそうな金髪の先生に率先して声を掛ける。それは最初に声をあげた人でもあった。


「いやあ、それが銀造先生に強要されてAVの撮影をね。出産プレイが見たいって」


「はッッ?」


 全員がどよめく。殺人は嘘だが性犯罪は本当なので一部の生徒の厳しい目線が彼に突き刺さった。悲しきかな、現場が見える生徒が後ろに伝言ゲームで繋いでいくせいで、三階の廊下辺りからとんでもない誇張が入ってそうだ。


「成程成程。詳しい話は別室で聞こう。因みにそれは銀造……先生だけ?」


「いや、そこに居る保護者の人達も。自分の子供が休んでるのに関係者ってのをダシにして学校に来た理由が、これなんですよ」



「なっ―――」


「違います! 私達は自分の子供が彼に殺されて―――」



 ゲンガー、それは悪手だ。『死』は嘘なのだから。


「大体状況は呑み込めたよ。つまり先程の放送は善意からの匿名通報の様なものだったんだね」





「「「「「「善意?」」」」」





 奥から割り込んできた生徒会もタイミングが完璧で、全員が首を傾げた。場の主導権を握った金髪の先生は構わず続けていく。


「偽物とは性犯罪者。つまりあの放送は性犯罪者を見つけたら殺してください。誰もやらないなら彼等を殺すという意味だったんだ―――ほら、君達も彼の事は知っているのではないかな?」


 そう言って金髪の先生が携帯の音量をマックスにして動画を流した。動画を覗き込むと声の主は少し前に誤報があった有名配信者だ。少し見ないうちに登録者がまた増えている。死神占いを広めた張本人であり、確定ゲンガーの一人でもある。


 彼の動画など一度として見た事がないが、死神占いのほかにも傍迷惑な情報を流している様だ。



『えー今日は人を殺したらどんなメリットがあるのかってのを解説していきたいと思います。まず子育てですよね。子供を持った親御さんは是非とも! 覚えていって欲しいんですけど。子供が自分の言う事を聞かないとか反抗してくるとかあるじゃないですか。それがなんと、殺せば従順になるんです! 殺し方はあります! それは―――』



 声を聴くだけで分かる人間が多数。


「何で自分でやらないのかは言うまでも無いだろう。虐待されてる子供が自分からやり返せるのかという話だ。やり返せるなら虐待にはならない。あの告発が精いっぱいの抵抗だったんだ」


「ば、馬鹿な事言うんじゃねえ! 俺はこいつを殺そうとしただけだ!」


「おやおやあ。『死』は嘘なのに面白い事を言いますね先生。あれ? でも、だからか。殺せば従順になるから安心してAVが撮影出来ると! これはこれは。これはこれはこれは……」



「ないわー」


「教師が生徒でエロ動画撮るとかガチ犯罪者じゃん」


「こういうのを糞野郎って言うんだよなー」




「じゃあよ! 俺達で先生とこの保護者の人達を殺せばいいんじゃねえか?」


 



 誰かがそう言いだして、後を追うように他の人間が賛成する。ノリがいいので多分三年生だ。それも微妙に聞き覚えがあるので同級生。


「……賛成だな」


 この学校は生徒の自主性を重んじる。生徒会も賛に応じた事でその判断は決定された。


「じゃあ、僕はこの二人を別室へ連れて行きましょう。ほら、こっちへ来なさい。二人とも怖かっただろう。では行こうか」




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