ハングドクター



「さあさあ、料金は頂かないよー。ただし初回のみだ。二度目からは普通にお金を取る。そんなお弁当が欲しい生徒さんは僕の助手から検査を受けて下さい。一分も掛かりませんので安心して下さいなー」


「あ、し、失礼します……!」


 そんな二人組の声を聞き、疑問を覚える。これまた偏見の塊だが、学校に来る医者なんて存在にエンターテイメントは求められておらず、粛々とした業務の遂行のみ必要とされている。


 これは星見祭だからという声も分かるが、まず普通の医者は中学生くらいの女の子を助手として連れてこないし、多分金髪でもない。


「……匠ちゃん。あれは職場見学って事でいいのかな?」


「病院行けって話だろ。多分マジで助手だ。見ろ、白衣を着てる」


 童顔という概念があるように見た目で人を判断するのは悪手だ。ロングボブと身長のせいで中学生に見えているだけで彼女が二十歳を超えているという可能性は…………可能性は…………ない。しかしその小動物の様な愛くるしさから男女問わず人気があり、サービス外ながら少女の頭を撫でる生徒が続出した。特にスキンシップの激しい女子なんかは頬をもちもちと触っていたりするようだ。



 ―――なーんか、見覚えがあるんだよな。



 少女の方ではなく、先生に。あの金髪と著しく医者の不養生を体現した目の隈は何処かとてつもない場所で見かけた記憶がある。


「どったのさ?」


「あの先生……見覚えが―――」


 言っている最中に思い出した。あれだ。救世人教の誰かと思われる人間に尾行されていた時、何故か向かいからやってきて尾行者を襲ったあの男だ!




 医者じゃねえ!




 そう確信した瞬間、全身の神経という神経が警鐘を鳴らした。医者じゃない奴が医者を騙って学校に潜入している。しかも相手は明確に殺人を犯した(そのお蔭で俺は尾行から解放されている)人間だ。実は人じゃないとか人だとかそういうのはどうでもいい。ゲンガーの存在を知っている界隈の人間とも思えない上に、それらは見た目では区別出来ない。尾行者の正体が何であれ彼に殺人の意思があったのは明白であり、こんな危険人物には早急に退去してもらった方がいい。


「山羊さん、あそこはやめた方がいい気がする。毒とか入ってるんじゃないか」


「何言ってんだよ。医者っぽくは無いけど医者なんだろ? あたしはそこそこ用心深い方だけど、それでも医者が毒入れてるかも―なんて考えないよッ。一々気にしてたら生きていられないし」


「そういう問題じゃなくて―――」


 遠巻きから行列を観察していると、不意に偽医者の目線がこちらへ向けられた。



「おー。患者君じゃないか!」



 それは、どう周囲を見回した所で、俺か精々山羊さんに対して向けられた言葉にしかならない。しかし彼女はどうこちらに都合よく解釈しても経った今会ったばかりの顔をしている。消去法で俺が知り合いらしい。いつ彼の患者になったのかは言うまでもない。


 それとも患者というのは医者の建前を通す表向きの呼び方で、実際はあの時の出会いを彼も覚えているのだろうか。



 ―――落ち着け。俺。



 立場が有利なのは俺だ。彼の嘘をいつでも暴いて追放する手札を持っている。恐れるべきではない。これはむしろチャンスだ。山羊さんの死に何か関わっている可能性がある。飽くまで俺に知り合いの体を持ちかけるなら俺も敢えてそれに乗り、話を聞き出そう。


「あ。知り合いだったから顔合わせたくなかった感じなんだ」


「んーそんな所かな。知り合い特権で列無視出来そうだし、お前も一緒に来いよ」


「おーこれはラッキーッ。でもなんかちょっぴり罪悪感があるな」


「大丈夫大丈夫。男子とかは眼福で、女子はあそこの女の子を弄んでて楽しそうだから」


「最後はともかく、眼福って何さ。仮に全員が一年生でもそんな良い景色ないよこの学校」


 言わぬが華。緩まった胸元を彼女は一度も直していない。幾ら男勝りで粗野な性格が全面に出ているような女子でも、ふとした瞬間に女性っぽさを垣間見るか、或は直接関わらず身体だけを見るなら魅了される男子は多かろう。ザッと列の女子を観察したが山羊さんよりスタイルの良い子は居なかった。


 ともかく、意を決して入室。何十人の高校生に囲まれている小さな助手を横目に、具合の悪そうな先生が俺に弁当を手渡してきた。パックの形や大きさからして恐らく手作りだ。非常に良く出来ているが、間違ってもこれは市販品ではない。そこに生じる衛生面の不安を医者という肩書で払拭している辺りがかなりのやり手であると窺わせる、人の事は何も言えないが根っからの詐欺師だ。


「調子はどうだい? あれから病院に来てくれないものだから少し心配していたよ。元気そうなら何よりだ。治療……いや、実験は成功だったというべきかな」


 すっかり慣れた様子でパイプ椅子を使った席へ案内された。たった二人でお店を回すなど土台無理な話であり、偽医者が俺につきっきりの姿勢を見せた事で助手の少女は大変な作業に追われていた。流石に可哀想なので手短に終わらせよう。


「…………ええっと。俺、貴方とそんな所で会いましたっけ?


「ん? 僕とした事が記憶違いか? いいや、患者の顔を忘れるなんてあり得ないね。草延君だったよね。間違う筈もない、君のお姉さんから治療を頼まれたんだ、きちんと契約書にもサインしてもらってある。ほら、思い出してもみたまえ。君は山の中で倒れ、危うくカルト信者共と一緒に灰塵に失せる所だった。違うかな?」


「……!? 何で、それを」


 いや。心当たりはある。


 ずっと不思議だったのだ。あそこから奇蹟的に生還したとしても大火傷では済まされない。レイナはあり得ないと驚いていたし、俺も同じ考えだった。常識的に考えて、現代科学の粋を集めた所であそこから一か月で復帰する見込みは無い。もしそれが出来るなら既に科学技術は死者蘇生の力を手にしている事になるが、それこそあり得ない。


 万が一にも考えられない可能性だが、しかし彼の発言が何よりもそこを示している。最初の不安とは違う、また別の感情が俺の全身を震わせた。


「……もしかして。あの病院の。人ですか?」




「おお、やはりそうだね。そうそう、その通りだ。僕は君の主治医であり、君は僕の患者。まああの病院は分院みたいなもので、本院は月巳の方にあるんだが―――あ、成程。そうか君は意識を失っていたな。では面識がない訳だ。改めて自己紹介をしよう。僕の名前は坂吊青義。そしてあそこでブラック企業も斯くやの激務に追われる助手は梧幸音あおぎりゆきねだ。改めてよろしく頼むよ」



 …………。



「いや、手伝ってあげてくださいよ」























「え~と、あたしの理解力が悪いのかな、何が何だかさっぱり分からないや」


「一応、死にかけた所を救ってくれたっぽい命の恩人っぽい……善人っぽい?」


「ぽいって何!」


「いや、俺も良く分からなくて」


 幸音と呼ばれた少女がダウンしたので青義先生(一応そう呼ぶ)は弁当の配布作業及び謎の検査に戻っていってしまった。手渡された弁当に対して当初から警戒心を尖らせていた俺だが、『匠ちゃんが危なくないように』と毒味を買って出た山羊さんの手により、その不安は杞憂に終わった。とても美味しい唐揚げ弁当のようだ。


 同時に、杞憂に終わって欲しかった不安は確信に変わった。やはり彼女には妄信的なまでの自己犠牲精神がある。悪魔などとは似ても似つかぬ、痛ましい程の献身が。未来を先読みしていなければ到底気付けなかった違和感。


 最悪の未来に対する前フリはいつもしっかりしているようだ。


「匠ちゃんはかき氷?」


「あそこで話し込んだせいで冷えたからまたな。全校かくれんぼの後とか丁度良さそうだ。この部屋だけ馬鹿みたいに机用意してあるし、青義先生はその辺も見越してるんだと思う」


「じゃああたしは食後のデザートとして頼もうかなッ」


「マジか」


「嘘だよ。流石に白飯の後には合わないってば」


 嘘かよ。


 山羊さんの直情ぶりは度々目撃しているので、真偽の判別が本当にしづらい。これならいっそ朱莉みたいに隠し事まみれにしてくれれば少しは立ち回りやすいというものを。隠し切れない苦笑いを浮かべながら俺も自らの取り分を見つめた。特筆すべき点はない。白米の上にたっぷりと海苔が敷かれ、その上に鮭と醤油が掛かっているだけの弁当だ。付け合わせのミートボールや卵焼きを含めてもやはり感想は浮かばない。市販品と見紛う理由はこの平凡さ故でもある。


「匠ちゃんはかくれんぼって得意?」


「どっちかって言うと探す方が得意なんじゃないか。あーでも好きな人追いかけまわしてた頃は出来るだけ一緒に居たくて隠れてた可能性はある」


「せっかくだし、一緒に隠れよっか?」


 誘いを、受けるべきだろうか。俺は逡巡するように頭を抱えて、全く別の状況を想定していた。これで運命が変わるなら安いもので、俺は九分九厘変わらないと見ている。事態はそこまで簡略化されていない。真に問題なのは同じシチュエーションを『隠子』で行ったという部分。


 本人は思い当たっていないようだが、何の関係性もない男子と女子が密室で二人きりになる状況は風紀的に大変見過ごせない。あの時は命が懸かっていたが、今度は違う。受けた場合、完全なる下心ありきの承諾となる。


 一方、本気で勝ちを目指すなら断るのも手だ。一緒に組んで隠れやすいのは身長差からしても朱莉がナンバーワン。クラスメイトに嫌々付き合わされているらしい彼女を何処かで引っこ抜いて連れ回せば、それだけで勝率はぐんと上がる。本気で遊ぶとはそういう意味だろう?



 しかし、それも浅い。



 俺は山羊さんの滅びの運命を変えたくてこんな事をしているのだ。もし俺の手の届かない場所で防がなければいけない要素があるならそこに手を加えなければいけない。折衷案として二人を連れる選択肢は論外だ。かくれんぼに対して邪心ありきで取り組んでいることを見透かされるばかりか、最悪両方に幻滅される。それにそもそも朱莉と山羊さんは極力無関係でいてもらわないと第三勢力として扱いづらい。


 ドクン、と心臓が炸裂するような感覚を覚えた。女性と二人きりだと身体に不調が……いや。何かが過って、そのせいでおかしくなっている。



『すこしはかんがえなさい』



 考えない。


 考えるだけで苦しいなら。考えるだけでイタイなら。俺は俺の本能に従って。久しぶりに『自分』というものを信じて動いてみる。


「山羊さんは俺が来なかったら一人でやる感じか?」


「その方が隠れやすくない? あたし、これでも昔は絶壁のヤギって呼ばれてたんだぜ? 誰もあたしの足元には届かない。そういう畏怖を込めてたって聞くけど、まあ嘘だよね」


「嫌味にもなってないセンスだな」


「だよねッ。あたしもそう思うよ。だって全然傷つかないもん」


 そういう意味ではないのだが。




 ―――会話の節々と青義先生の存在を除けば昼食は穏やかに終了した。




 おかずの交換もしたりと、束の間の恋人気分を味わえて大変満足している。因みに彼女の誘いには乗った。


「さて、また運動するか?」


「いいよいいよそんな面倒な。二時にかくれんぼで今が一時半とかでしょ? ここで待ってればいいんだから待っちゃお」


 机の上で頬杖を突いて無邪気な笑顔を浮かべる彼女に、俺もつられて表情を崩した。美子ゲンガーの何が好きだったかと今更言われたら、やはり笑顔だったのかもしれない。


「青義先生の助手ってやっぱり中学生だと思うか?」


「ん? 多分ね。あたしの目は当てにならないから参考までに聞いてよ。所でさ匠ちゃん。後ろの窓からじっとこっちを見てる人が居るんだけど」


「は?」


 昼間にも心霊現象は起きると言われているが、山羊さんの口ぶりが正にそんな感じ。言われて振り返ると、確かに校庭の鉄棒ゾーンからこちらを的確に見つめてくる人影があった。


 というか、絶壁の朱莉だが。 


 

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