心亡き贖罪

 バスケは、時間を経る度に白熱していった。


 遅れて体育館にやってきたクラスメイトの一人が俺達に対して了解も得ず、不意にパスだけを求めて来たので思わず渡してしまったのだ。その結果、二対一の状況が発生。それでも彼女の鉄壁ディフェンスを崩す事はかなわず三〇分。参加型になってしまったバスケには続々と人が入り、いつしか正式な試合の様相を呈していた。


 と言ってもほぼリンチであり、本職のバスケ部が呼ばれてやってくるまで六対一の状況でようやく互角だった。何を言っているのか分からないと思うが、俺も彼女の動きがよく分からない。山羊なんて大嘘だ。次からチーターと呼んでやる。



 ―――状況を見るのが上手すぎるぞ。



 バスケ部がこちらに加勢してくれれば形勢有利になっただろうが、あろう事か彼は菊理こと山羊さんの方へ加勢。結果、僅差で負けた。



「勝ったぁああああああああ!」



 途中から動きやすさを重視してハイポジションに髪を纏めた山羊さんは爽やかな汗を浮かべながら嬉しそうに腕を突きあげた。軽く身体を動かすつもりだったのに思ったよりも本気で取り組んでしまった事は反省したいが、山羊さんの笑顔が可愛いのでそんな気にもなれない。


 途中参加のエネルギッシュな連中は二人抜けた所でバスケをやめたりしない。俺達は結果的に体育館を追い出されたが、丁度風に当たりたいと思っていたのだ。校門前の噴水では風情はないが涼しいので無問題。


「ふーッ。暑かったねえ」


 山羊さんはタオルで汗を拭いつつ、胸元をゆるめたブラウスに指を引っかけてパタパタと風を送っている。朱莉も体育の後は同じ事をするが絶壁過ぎて何の色気もない。一方で彼女は俺の知る生徒の中では一番胸が大きいので、正直、目線をよこしづらい。汗のせいなのか何なのか分からないが、水色を基調としたレース部分の白い下着が空けている。


「一応二時から全校かくれんぼなんだけど。体力持つかな」


「かくれんぼなら大丈夫っしょ。暫くここで涼んでれば体力も回復して一石二鳥的な。ほいこれ、さっき買っといた」


「ありがとう」


 同じ銘柄のスポーツドリンクを手渡され、勢いよく呷った。身体は疲れているのに、心なしか体重が軽くなった様な気がする。久しぶりにこういう運動をした。命も懸かってなければ法にも触れていない健全な運動は、こんなにも全身をみなぎらせてくれるのか。


「制服でバスケってのも中々辛かったね。いや、あたしはスカートだからまだマシか。匠ちゃんみたいな男子はベルトの重さが邪魔でしょ?」


「それよりも暑い。蒸れる。制服買った時に通気性がどうのこうの色々説明された気がするけどあれ全部嘘だろ。暑いもんは暑いぞ」


「じゃああたしと交換するかい?」


「俺を変態にしたいのか?」


 主に足が全く男性的なのでスカートを履こうものなら漏れなく不審者扱いを受けるだろう。しかも知り合いの女子から許可を貰っているという部分が猶更闇を深くさせている。恋人を探すどころか、それよりもまず友達になってくれそうな人から探すなんてごめんだ。生粋の恋愛脳と言えどもわざわざハードルを上げてまで恋愛に狂いたい訳ではない。


「山羊さん。当てずっぽうで当てたんだけど、血筋で運動神経が良いってのはどうも納得が行かない。そりゃあ親からの遺伝子で適性の有無くらいはあるかもしれないけど、あそこまで行くと最早個人の才能じゃないか?」


 噴水の縁に突いた彼女の手に上から逆の手を被せてそれとなく牽制。距離を離されたくなかった。どんな事情があっても、この善人を死なせる訳にはいかないという思いが羞恥心を上回ったのだ。接触されて気付かぬ鈍感でもなく、山羊さんは自分の手を一瞥してから、プイッとそっぽを向いて言った。


「……匠ちゃんは、私の家の事何処まで知ってる?」


「何も知らないよ。もしかして有名な家なのか? 徳川とか伊達とかそういう系の」


「別に、有名って訳じゃないよ。ただあたしはね、昔から何でも出来るようになれって言われてたんだ。人の役に立つからって」


「……それは。まあ良い心掛けなんじゃないか。簡単に出来るかはともかく」


 だからって死ぬ必要もないが、未来の情報は頑として教えない。行動を変えてしまう恐れがある。


「もしかして世話焼きも血筋なのか?」


「それは分からないなーッ。ただ人の役に立つってそういう事かなってあたしが思っただけ。何でも出来るなら誰でも助けられるって。でもあたし、何も出来なかった。全員助けようなんて夢のまた夢で、匠ちゃんを信じなかったら、きっと自分の命も危なかったと思う」


 彼女が悔いているのは『隠子』の一件だろうが、あれの何処に悔いるような瞬間があったというのか。誰にも事前知識がなく、ゲンガーでさえも特別な対策をしてこなかった様な怪異だ。マホさんから貰った更なるインチキでどうにか無理を通したが、本来なら全員死んでいた。


「山羊さん。それは違うぞ。山羊さんが一緒に死んでくれるって言ったから、俺は行動出来たんだ。役立たずなんて思わないでくれ。そもそも初回で引っ張ってくれなかったら訳も分からないまま死んでたんだから」


「……うん。ありがとね匠ちゃん。あたしの方からも聞きたいんだけどさ、どうしてイジめられてた時、助けてくれたの? 女子トイレに平然と入ってきて、マジでびっくりしたよ」


「深い理由は無い。見てて不愉快だったから……暴力、特にリンチみたいな状況が大嫌いなんだ。アイツ等の笑ってる顔も嫌いだった。山姥みたいに醜くて邪悪な笑顔なんてこの世から消えればいい。それだけ」 


 笑顔とポニテフェチの側面があるのは否めない。笑顔は心当たりがあるのでともかく、ポニーテールだけは出典不明だ。姉貴はポニーテールなんて滅多にしないばかりか髪もそれほど結ばないので論外。深い理由はなさそうだ。


「相田君の腕を折ったのは、そういう事なの?」


「それは違う。あれはついカっとなっただけ。朱斗を殺そうとした癖にあわよくば俺を味方につけようなんて考えをしたロクデナシへのお仕置きだ。そう言えば全部話す約束だったね。分かった。一から話すよ、残りの昼は心置きなく山羊さんと楽しみたいしね」


「………………うん。全部信じるよ。楽しみたいのはあたしも同じさ。で、デートだもんね!」


 勝手に省略すると語弊を生みそうだったので、今度は登場人物を明らかにした上で一から事情を説明した。教えていないのは朱斗の性別とマホさんの存在くらいで、後は単なる過去のなぞりだ。


 付き合っていたのは美子のゲンガーで。救世人教にレイナが殺されかけて。大神君は家の呪いで狂ってしまって。俺は二人の協力を得てゲンガーを殺して回っている。大まかに分けるならこんな感じ。誤報の真相にも触れた上で一から話していけば随分と規模の大きな話であると分かる。


 これがフィクションなら大した物語だがここは現実。事実として誤報は毎日のように行われ、各メディアは火消しが間に合わず死に瀕している。これを侵略と呼ばずして何と呼ぼうか。


「…………じゃあ慧ちゃんは」


「そう。ゲンガーだったし、死んでたし。元々信用する理由なんか無かった」


 そして、山羊さんにも。


 不思議な気持ちだった。どんな聖人君子と言えどもゲンガーが何処で聞き耳を立てているかも分からない。山本ゲンガーの例に漏れず、本人に知られずして外見だけを真似する手法は存在している。彼女がゲンガーではないという確実な保証も無ければ、こんなバカげた話を誰にも漏らさないという確信もない。


 ゲンガーと人の見分けが誰にもつかない以上、全てを話すという行為は罪の自白に近い。隣に居るのは幾人も殺しておきながら良心の呵責もなく毎日をいつも通りに生きる精神異常者。まともな人間なら通報一択であり、俺にそれを防ぐ手段はない。



 なのに、何故話したのか。



 いつも通り誠実な嘘でそれなりに誤魔化しておけばいいのに、約束を忠実に履行してしまった。『俺』らしくもない。俺ってなんだろう。分からない。分かりたくもない。オモイダシたくない。


「…………それで今の問題は、朱斗の言動が怪し過ぎてイマイチ信用に欠ける点だ。状況証拠だけだが、それでも疑うなら十分。今の俺は色々な約束に縛られて身動きがとり辛い状況なんだ。ゲンガーの正体解明が出来るならそれが一番だが、殺さなくなったら怪しまれる。確かにアイツは怪しいがそれでもまだ味方だ。裏切る訳にはいかないし……本当、面倒な立ち位置を選んだなとは思ってる。俺の話は、これでおしまいだ」


「………………あ、あたしに出来る事ってあるかなッ? 聞いててなんか、あたし…………その」


「人道に反した行いに世話を焼きたくても焼けないんだろ。大丈夫だよ山羊さん。俺はそんなの求めてない。君……お前には今まで通りの世話好き山羊さんで居てくれればそれ以上は望まない。強いて言えば、アクア君の方に進展があったらそっちの時に手伝ってくれると嬉しいかな」


「…………あたしが全部代わろうかって言ったら。匠ちゃんは怒る?」


「キレる」


 これは俺だけの罪であり、俺への罰であり、俺の運命だ。そんなもの信じないと言ったばかりだが、自分にとって都合の悪い運命だけは信じてしまう。それが俺という不公平な人間。誰にもこの苦難は肩代わりしてほしくない。そうまでして代わりたいなら殺してほしい。痛いのも死ぬのも嫌だが、覚悟くらいなら澄ませているつもりだ。今は。


「山羊さんみたいな善い人が居ないと、善悪、常識か非常識か、人かゲンガーか、それらの基準をどうやって作ればいいんだ? 俺は特別な理由もなく絶対に山羊さんはゲンガーじゃないって信じてる。だからこそ、手伝うとかそういうのはやめてほしい。全部話したのもそういう理由」


 重苦しい理由に汗が引っ込み、身体も冷えてきたような気がする。冬服を持って来れば良かっただろうか。この良い天気にそんな事をしたら溶けそうだが。


「…………気分も盛り下がって来たし一旦やめようか。運動もしてお腹空いちゃったし、昼食にでもするか」


「え? ああ、うん。あたしは別にいいけど、食べるって言っても何を食べるのさ。外食? 模擬店?」


「決まってないから、一旦学校に戻ろうと思う。プログラムによると今年は外部からお医者さんがお店を開いてるとか開いてないとか」


「どっちなのさ!」


 プログラム用紙を取り出して二人の間に置く。一階の端……E組の教室を使って『坂吊青義さかつりあおぎ』という人がお弁当とかき氷を販売しているらしい。その名前に聞き覚えは全くないし、偏見で申し訳ないが医者という雰囲気を微塵も感じない。


「……お弁当は手作りらしい。衛生面とか大丈夫か? テロうりだったりしないか?」


「今まで問題になった事ないから大丈夫だと……テロうりって何さ。ちょっと気になるし、行ってみよっか」


「行列に並ばないといいんだが」


「じゃ、早く行かないとね!」


 山羊さんは勢いよく立ち上がると、俺の方へ向けて中腰になり手を差し出した。


「今度はあたしが連れていくよ。匠ちゃんって方向音痴っぽいからね」


「は? そんな事いつ言ったよ」


「女子トイレに入って来た時、『ああ、男子トイレの場所が分からなくて間違って入っちゃった』って言ってたじゃんッ」



 ―――え?



 記憶にないので。脊髄反射で出た嘘と考えられる。クオリティが酷くて笑えたもんじゃないし、まさかそれを信じるような人間が居たとは。彼女も大概純真というか天然というか……いや、人の事は言えないか。


 角度の問題で胸元がこれ以上ないくらいハッキリくっきりと見えており、それを凝視してしまう自分に心底腹が立った。やはりでかい。



『すこしはかんがえなさい』



 少しは考えよう。


 誤魔化したかったので、俺は敢えて全てを事実としたままその手を取った。  





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る