火気厳禁のお誘い
千歳を見ていて、ずっと違和感があったが今気づいた。
自信がないのだ。
いつものポニーテールを解いてセミロングの髪を後ろに流す彼女には、自分に対する自信が見えない。自己承認欲求など秒で満たせそうな見た目で、どんな不信に陥っているのやら。彼女が誘えば、彼女持ちの生徒でもない限り大抵は応じる筈。流石に千歳だってそれを自覚しているだろう。していないのは逆に嫌味だ。
「……お礼のつもりなら別に気にしなくていいぞ。あんなおかしな場所での行動に借りとか貸しとかない方がいい。俺達は生きるのに必死だった」
「そうじゃないんですッ。えーっと、えええーーっと。センパイが学校に居るのも今年が最後なので、仲良くなりたいんですッ」
そう言えば、そう。
しかし進路なんて考えてないしゲンガーを止められない限りまともな社会生活を送る気もない。人類の為にと壮大な大義を掲げる必要はないが、自分の隣に居る人がゲンガーかもしれない状況で平然と働くなんて出来ない。頭がおかしくなりそうだ。
姉貴の手伝いをしてでも、俺はゲンガーを追い続ける。今年で決着がつかなかった場合の話。
「あーそういう理由かあ。そう言えば『家に招待する』のと『二人で出かける』っていう約束したもんな。でも俺はその約束をどっちかって言うと海水浴とか夏祭りで果たしたい気持ちもある」
「…………駄目ですか」
「結論が早いぞ後輩。俺は駄目なんて一言も言ってない。むしろ歓迎したいくらいだ」
千歳の表情が明るくなったり暗くなったり。いまいち喜びきれない複雑な葛藤が見え隠れしているが、感情の推移は素直なのでその無垢に免じて見なかった事にしておく。
「だけど、話が拗れたら気持ち良く過ごせないから、夜の部で合流しよう。俺の記憶が正しければ夜は体育館でなんか馬鹿騒ぎするからその時にでも」
「ありがとうございますッ!」
「ん。話は終わりだな。じゃあ俺はちょっと外に出かけて来るよ。実は山羊さんに呼ばれてるんだ」
適当に理由を付けて二人きりの密室から脱出。背中でドアを閉めると壁の奥から「センパイと約束しちゃった……うふふ♪」と隠し切れない喜びが聞こえてくる。
俺と一緒に過ごせるのが嬉しいというよりも、初めての星見祭に胸を高鳴らせているのだろう。先輩としてエスコートしてやるとしようか。あまりにも短すぎる準備期間で何が出て来るかは全く予想がつかないが、廉価な文化祭だと思えば気も楽だ。生徒会のアイデアを素直に楽しもう。
山羊さんに呼ばれているのは本当なので(つまり俺は二度寝ですっぽかす気満々だった)、玄関を飛び出して学校下のコンビニへ向かう。天気はあいにくの快晴。こんなクソ熱い時に学校へ近づこうという奴の気がしれない。部活がある人間はドンマイ、または尊敬する。
―――朱莉から誘いがかかったら危ないもんな。
俺はアイツに一割とか二割程度の疑いを持っている。菊理と千歳は紛れもない善人でありながら俺に協力してくれる聖人だ。彼女達との繋がりだけは知られたくない。『隠子』の時は状況も状況だったのでバレてはないだろう。
「匠ちゃん。こっちこっち!」
視力は普通だが、快活な声をあげながら手を振る女子の姿を見逃す程ではない。夜山羊菊理、通称山羊さん。彼女が居なければ『隠子』攻略は不可能だったと言っても過言ではない。明亜君が生存したのも恐らく彼女のお蔭だ。
俺は明るめの美人だと考えているが別にモテるような事はないらしい。やや男勝りな部分があるのが原因だろうか。それとも世話焼き気質が異性として見るにはマイナス点? 千歳を魔性の女と言い出すのもそうだが、どうも俺と他の男子の美的感覚には僅かな差異があるらしい。
信号が青になったので渡って彼女と合流。特に理由もなく山羊さんは缶ジュースを奢ってくれた。
「有難う。で、用件は?」
彼女が俺を呼んだのは『隠子』騒動が終わって三日後だったか四日後だったか。何となく嫌な予感がしないでもなかったので、俺は千歳が快復するまでは二人で話せないと正直に話している。彼女は押しが強い上にいざとなれば武力行使も厭わぬ武闘派であるので、嘘を吐こうにもとっさの嘘は直感的に見抜かれやすい。俺の一番やりにくいタイプだ。
ただし、素面に付き合えばそうでもない。むしろ何かと気を遣ってくれる分、こちらの気が楽になる。
「匠ちゃんさ、一人で何か背負い込んでない?」
「……え」
タイミング的にも星見祭ではないだろうとは思っていたが、想定外の角度からの質問に言葉が詰まった。嘘とも本当とも言い難い。そして背負い込んでいるつもりもない。少し逡巡したように思わせてから、出来るだけ誠実に答える。
「……確かに山羊さんに話してない事はあるけど、他の人にはちゃんと話してある。大丈夫だよ」
「その人にも話してないような事あるでしょ」
「何を根拠に」
誠実にシラを切る俺を見、遂に菊理はしかめっ面で声を荒げた。
「鷹夏君と見たんだよあたし。匠ちゃんが相田君の腕を折ってるの」
心臓が止まる錯覚を覚えた。
彼女は迂闊だ。俺達の事情なんぞ知らないから文句は言えないが、これをゲンガーが聞いていたらどうするつもりなのだろう。刹那の間に俺も苛立ちを覚えたが、果たしてそれが逆ギレに分類される感情であるとの考えに至り、捨てた。
「……幻滅したなら、友達をやめよう。それがお互いの為だ」
「逃げないでよ匠ちゃん! あたしは匠ちゃんがそんな事する人だとは思ってない!」
突然の支離滅裂。言わんとしている事は分かるが、混乱しそうだ。つまり彼女は俺に対してどういう認識で居るのか。この場は怪訝な表情で沈黙するのが正解だと思うのでそうしておく。彼女は俺の胸ぐらを掴むと、ぐいと顔を近づけて。
「……何か訳があるなら、言ってよ。お願いだから」
「人に物を頼む態度じゃないぞ山羊さん」
胸ぐらから手が離れる。「ごめん」と掠れるような声が小さく聞こえた。
「あたし、短気だね」
「いや、普通の反応だ」
これは本当に普通の反応。
目の前に息をするように嘘を吐いては平気で後輩の腕を折るような異常者が居る。問い質したと思ったらシラを切る。俺だったらこんな奴今すぐ公道に突き飛ばして交通事故で殺す。車の迷惑がとか知った事じゃない。平然と殺人を行える人間に気配りするような能力が備わっている訳ないだろう。
「別に俺も気にしてない。殴られてもまあ仕方ないなとは思ってる。山羊さんには特に迷惑かけたし」
「……匠ちゃん」
「話してもいいけど、ここじゃちょっと都合が悪い。そこでどうだろう山羊さん。今度何故か開催される事になった星見祭の昼の部を一緒に回らないか? 君が望むならそこで話す。どさくさに紛れてね」
「……あたしなんかで大丈夫か? なんかその。また手が出るかもしれないよ」
「うーん。そこまで気にしてたか。じゃあ少しだけ本当の事を。俺もつい手が出て相田君の腕を折ってしまった。それでもまだ足りないなら、仲直りの意味も込めてるって事でどうだろう。俺は山羊さんを嫌ってる訳じゃないから、仲直り出来るならしておきたいな」
菊理は何度か大きな瞳を瞬かせてから、気恥ずかしそうに俺が差し伸べた手を取った。
「……な、なんか恥ずかしいねこういうの。あたし誘われた事ないし……しかも匠ちゃんからってのが意外っていうか」
「ん。乗り気じゃないか?」
「いやいやそんな事ないよ! 今までの年はずっと一人で回ってなんか色々首ツッコんでた記憶があるもん。先生のお手伝いの記憶が六割で……あんまり楽しくなかったな」
「俺も美子のケツ追い回してただけだからそこまで充実してた記憶はない。なんだやっぱり同じじゃないか。山羊さんとのデートは何かと話題が共通して楽しそうだな」
菊理はほんの僅かな時間、頬を真っ赤に紅潮させた。粗野な一面ばかり着目されるが、菊理こと山羊さんもまた一人の女の子だ。俺はそれを良く知っている。
いや、もっと知らなければいけない。
この寂しがり屋の女の子の事を。
「そ、そうだよね! あたしもそう思うな!」
―――取り繕うのが下手だなあ山羊さんは。
ゲンガーの事を忘れると、日々はこんなにも充実している。願わくはこの幸福がもう少しだけでも続きますように。
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