あの子が欲しい この子が欲しい

「やめておく」


 千歳の為を想うなら魅力的な提案だったが、その誘いには乗るべきではない。俺は義理を立て過ぎた。山羊さんにもドッペル団の面々にも、明亜君にも。この訳の分からない現象が始まる前から世話になっている。彼または彼女らを置いて出ていくなど論外。

 まして確実性のない脱出手段など、『かくりこ』にどうぞ潰してくださいと言っているようなものではないか。


「大神君が出たんだろ。それで追ってこなかったって事は、つまりまた待ち伏せしてる可能性があるって事だ」

「ぐ……! そ、それは確かに……!」


 二人が大神君を警戒した理由について彼に話す必要はないだろう。これが明亜君ならまた少し悩んだが、恐らく二人は『大神邦人がゲンガーだから』という理由で警戒した訳じゃない。今はそんなのどうだっていい。ゲンガーだって人になり替わったりなりかわりの器を用意する暇はないだろう。


 状況と立ち位置から考慮して、大神邦人と萩澤慧はレイナが殺害した。


 『かくりこ』が出現する直前までハッキリと位置が判明していなかったのは彼女だけだ。夜目が利くらしい菊理にも補足されなかったならば本当にずっと隠れていたのだろう。改めて当時の状況を俯瞰するなら『朱莉がカバーストーリーで全員をひきつけ、俺が乗っかり、その間にレイナが二人を殺害した』のだ。出現後に死体が無かった理由は彼女が隠したからだと思っていたが、どうも來原君の話を聞いていると『かくりこ』に利用されているからだ。

 とすると大神邦人、萩澤慧の生存体はさながらゾンビという訳か。人を食べるのも納得だ。この情報を知っているのはドッペル団としての立場を持つ俺達だけだろうから何とか他の人にも共有したい……したいだけ。連絡手段がない。


「こういう案もある。君は残りの相田君と三木橋君と明亜君を連れて脱出してみるといい。残る俺達が囮になろう」

「なッ! そ、それは………………し、死にたい、と言っているのか?」

「いや、警察を呼んで欲しいんだ」


 警察さえ来ればお化けも国家権力に恐れをなして……という甘い考えではない。そもそもそんな奴等に期待するのは間違いだ。彼等は法治国家の、法を順守する人間という存在に力を振るえるのであって、人権もなければ存在すら認められていない怪異に逮捕するなどと、果たして通用するものか。

 多くの善人は出来るだけ良識を頼りに善良であろうとするが、極限状態になってまでその精神を貫けるような者は少ない。來原鋼二は間違いなく前任だったが、酔狂者ではなかった。


「……心当たりはあるのか」

「明亜君は神社の方に戻れば出会えるんじゃないか。残りは知らん。しかし迷ってる暇はないぞ。またいつ遊びが―――」



「ぼくといっしょ」



 何処からともなく聞こえる声に、俺は肩をすくめて判断を促した。秒数が始まると同時に彼は来た道を―――神社側の方へ戻っていく。

 このルールだか何だか良く分からない文言は言葉の意味も分からなければ俺達に何を強いているかも分からない。今度は千歳と二人きりでトイレに閉じ籠り、条件を満たしている事に賭ける。


「……キスしたのは、後で幾らでも謝る。ポコポコにして半身不随にしてくれようが構わない―――お前だけは、少なくとも今だけは、命に代えても守る」


 奇妙な冷静さを失った俺には、もう何のアドバンテージもない。声は震え、足は重く、手は固く。

それでも後輩の身体を支え続ける。流石にお姫様持ちが辛くなってきたので対面で座るように抱き直すと、制服の胸ポケットから一枚の紙きれが落下した。


 アカいお札。


 否、それは紅にあってアカにあらず。妙な世界に引きずり込まれてから、初めて正常な色を認識した気がする。素人知識ながらお経のようなモノが書かれているのだろうと思えば、ほぼ白紙だ。裏側には『匠悟先輩』と書かれている。


「…………?」


 よく分からない。

 何故こんな物を持っているのかも。

 何故アカと黒の秩序に縛られていないのかも。






「きゅーう」

「じゅーう」






「がゃあああああッ―――!」


 断末魔、そして何かを捩じる柔軟性の欠片もない頑固な音が聞こえた。あちこちを壊しながら強引に創作を繰り返すそれは、さながら幼児が重いのままに粘土遊びをしているようだ。

 古いトイレを嬲る風には、子供の笑い声が混じっていた。


 コンコン。


 初めてのパターンに、俺は心臓が止まりそうになった。この状況で律儀にノックする存在が居たとは驚きだ。何があっても開けてたまるか―――!


「匠悟」

「…………その声は」


 速水君の例がある。迂闊に断定はすべきではないとしても、心を落ち着かせる為に声を振り絞った。


「絶賛ノーパン中の風紀管理部のエロエロド変態部長」

「はぅッ!? …………全部。違うわ」

 

 ……判別方法は酷かったが、怪異がこのノリに付き合ってくれるとは考えにくい。おそるおそる扉を開けると、髪が乱れているくらいで未だに目立った外傷の無い部長、霊坂澪奈が佇んでいた。俺の生存を肉眼で確認したからかほんの少し表情を明るく―――ほぼ同時に、顎を引いて伏し目がちに。口をムッと引き締めながら頬をアカくした。


「変態ッ! 人の事。言えないわ!」

「え?」

「トイレで。何してるの」


 言われて気が付いた。

 手が痺れるから、今一番楽な支え方を選んだのだが、結果対面座位っぽく……いやこれ以上はやめておこう。恐怖から目を逸らせるかもしれないがまた別の問題で心が乱れる。


「……まあ。誤解って奴だ。お前もお前で結局履き直したんだな」

「え?」

「え? だってノーパンじゃないんだろ」

「…………あれは。勢いで言ったの」

「じゃあお互い様か。所で提案なんだが、この話をやめてもっと建設的な話をしないか。下ネタに逃げなきゃいけないくらいお互いに余裕はなさそうだ」

「……ええ。そうね」






















「もういいかーい」


 トイレにはギリギリ三人入れる事が判明している。『かくりこ』の提示したルールにも一致していたので、今度はレイナがトイレに入室した。千歳が気絶しているせいでスペースの確保に幅が利かないので、彼女には扉を密着するように立ってもらっている。


「じゅーう」


 やり過ごすのにも慣れてきた。これは一番分かりやすいし、多分『かくれんぼ』で合っている。


「朱斗は?」

「分からないわ。大神君が。生きてて。襲われたから」


 証言の裏付けが取れたのは収穫だ。來原君がデタラメを言っている可能性は一応あったので、それを気にしなくて良くなった。 


「走ってると。規定の長さが引っかかって。邪魔だった。色々、気にしないで」

「ん? あー……」


 だからスカートの丈が短くなっているのか。

 目線と同じ高さにレイナの太腿があるので、どうしても目のやり場に困っている。かと言ってトイレの狭さで俺が立つのは困難で、千歳を支えるのが更に難しくなる。かと言って彼女の方を座らせると今度は角度によってはモロに見えてしまう。気にするなと言ったばかりだが、これは気にする。


「―――そんな事はどうでもいい。何か分かった事は?」

「…………ゲンガー。関係なら」

「そんなの後で個人的に聞く。今はコイツだ。そっちはそっちで色々動いてたんじゃないのか?」


 気まずい沈黙が流れる。無言は時に受け取りての都合の良いように解釈される。答えていないからノー、答えるまでもないからイエス。

 今は…………言うまでもなさそうだ。


「そうか……」


 お姉ちゃんが居てくれれば。

 それだけで何か変わるのに。


 携帯を使わずにお姉ちゃんと連絡を取る方法。助けてくれるなんて考えちゃいない。ヒントをくれるだけでいい。ヒントを…………


「……レイナ。ここの道を進んだ先には何があるんだ?」

「歩いたけど。分からないわ。ずっと続くの」

「………………そうか」

「何か思いついたの?」








「ヒントを貰いに行く」

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