童心に還らねば



「走れええええええええ!」



 向かう先は明亜君に示された裏道。振り返ってる暇などない。己の足を信じて、最速を、全力で続けるしかない。


「センパイ、痛い……!」


「我慢してくれ!」


 千歳を気遣う暇などない。足音は急速に接近してきている。べちゃべちゃとゲルを打ち付けるような気味の悪い音が背中から聞こえるのだ。振り返ったその瞬間に手遅れだと確信しかねない近距離。全く勝負になっていない。


「痛い! 痛いですセンパイ! はなし……きゃッ!」


 何かに躓いた千歳と、その刹那、指が離れる。それで慌てて振り返ると、慣性に遠ざけられた俺の身体は、どう足掻いても『かくりこ』には勝てない。アレは今まさに、その捩れた腕を千歳の背中に向けて伸ばしていたのだから―――



 ―――行ってください、センパイ!



 彼女の双眸がそう言っている。『他人事』なら、見捨てるべきだ。俺には関係ない。俺が死ぬ訳じゃない。本人もそう言っているから、後ろめたさなどない。


 本当に?


 本当に俺はそれでいいのか?


 自分を慕ってくれる後輩を『他人事』だからと見捨てて、それが最善だと言うのか?


 『他人事』だ何だと冷めたのはいつからだろう。いつから俺は『自分勝手』になったのだろう。俺は。俺は。俺は。『俺』は。



 パキンッ!



 胸の楔が、粉々に砕け散った。それと同時に、自分が今まで覚えた感情は偽りでしかなかった事を悟った。本物の恐怖を前に、俺の足は動かない。助けようとする気持ちだけが先行して、その足は己が身の危険に怯えて震えていた。


「い  き


     ま だ                     す  た」


 千歳の肩に『かくりこ』の手が触れた瞬間、二人の肌が融合。接続された歪みに従うように彼女の肩が持ち主の意思に反して捩れていく。


「あ〝ギャア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アアアアアアアアぁぁぁぁ!!」 


 男のような悲鳴とか。女性っぽい悲鳴とか。そんな分類があるなら今の声は何処にも所属していない。断末魔の叫びは男も女も無く、人も獣もなく、苦悶に絞られ激痛に切り裂かれて声の体を為していなかった。眼球が飛び出しそうな程まぶたを開き、喉がちぎれんばかりに叫ぶ後輩は、今やその美麗さの影もなく喘いでいる。


 それでも足が動かない。


 動かないんだ。


「イタイのは……嫌だ」


 死ぬのは嫌だ。 


 呪いのように繰り返す。当然の様に主張する。滂沱の涙を流して助けを乞う後輩を見捨て、みすて、ミ棄て、身捨て、ミスて。


「つまらないんだよ」


「つまらない遊びに、付き合ってる身にもなれよ」


 俺の口から、俺の意思に従って。誰かの言葉が紡がれる。



「た し よ


  の い ね」



 『かくりこ』の一切の関心がこちらに向いた。それを証明する様に、千歳の肩に繋がっていた手が俺に向けられている。



「いーち」


「に」



「く、草延先輩! こ、こ、ここちらだ!」


 道の奥―――つまり背中側から、來原鋼二の声が聞こえた。距離にして数十歩。近くに小屋でもあるのだろうか。


 無色透明になった千歳をひょいと抱きかかえると、秒数の終わらぬ内に走り出した。



「しーち」


「はーち」

















 俺の予想は当たっていた。ただしそれは小屋というよりも粗雑な造りのトイレであり、來原君を含めて直立状態どうにか入るかもしれないという大きさだった。


「ひぐ……ぐぇあ…………いたひ……いた…………ああああああ―――!」


 その痛みに対し沈黙を守る事が不可能など、俺には自分の事として理解出来た。それでも後輩の悲痛な叫びを許容する事は出来ず、気付かれたら死ぬかもしれない状況において、喘ぐ事しか出来ない怪我人は邪魔でしかない。


「―――ごめん」



 だから、両者にとって不本意な形で唇を奪った。



 後頭部を抑え込み、抱え込むようなキスをした。口を塞ぐだけなら他の手段もある。ただ、それでは痛みから目を逸らせない。他のどんな行為を後で咎められても、痛みから逃がす為には仕方ないと思った。


「……………ぅ!」


 虚ろな瞳をじっと据えたまま、千歳は動かなくなった。トイレの周囲で足音が聞こえる。ほんの少しの物音も命とりだ。可能なら心拍さえ止めたかった。



 ―――足音が遠ざかっていく。  



 唇を離す頃には、色を失っていた彼女の身体にアカと黒が戻っていた。


「……い。痛みで、気絶したのだな」


「それならさっき気絶する筈だけど」


「……お、こ、お俺にはよく分からん。明亜の奴が居ればいいのだがな」


 相対的には冷静な方か。錯乱していないだけマシと言えるかもしれない。言葉の節々から恐怖が透けているものの、自暴自棄にならないだけ素晴らしい。


「……昔から彼は頼れるのか?」


「へ? あ、はい……ああ、はあ、親しいのは慧の方だった。俺は此度の一件で頼りにしているだけだ」


 思考停止に陥っている彼と共有するような情報は何もない。それよりも気になる事がある。




 何も言われていないのに、秒数が始まった。




 この『何も』とは、ルールの提示という仮説を採用している。『たのしいよね』の何処にルールがある。そして何故、生還出来た? 全く訳が分からない。一応隠れたが、特別ルールの提示がないなら自動的に『かくれんぼ』になるとかそういう理屈だろうか。


「來原君。一応聞きたいんだが、どうして俺を匿った?」


「り、理由はないぞ! 敢えて言えば、目の前で助かりかけている人を見捨てる程外道ではないというだけだ! と、とにかく、あの怪物が十秒を数えた後に見つからなければ良いらしい」


「それは……色を指定された時もか?」


「知らん! 先輩が俺に聞くな! 俺も明木先輩とはぐれたのだ。その時は彼に合わせていたんだよ!」


 敬語など気にしている場合ではない。


 グループの細分化はあまりよろしくない傾向だ。


「どうしてはぐれた?」


 來原君の顔から、見る見るうちに血の気が抜けていく。震える両手を組んで抑えながら、彼は出来るだけ淡白に切り出した。   




「………………大神邦人に、襲われたのだ」




 それは、俺にとって信じがたい話だった。


 ここに来る前、彼は朱莉とレイナに合流し、固まりつつどうにか解決策を探っていたそうだ(鳥居に続く道を逆から抜ければ脱出出来ると考えていたらしい)。その時、前方から大神邦人が現れて。『こっちに出口があるんすよ! しゅうさんも行きましょう』と言って手を伸ばしたそうな。それで、何故か全力で彼を警戒する二人に譲られ來原君がその手を取ると―――強く引っ張られ、腕を草刈り鎌で切られたらしい。


 袖で誤魔化されているが確かに出血している。


 追撃は朱莉が大神邦人を突き飛ばした事で回避。錯乱したレイナが明後日の方向に逃げてそれを二人で追っていたらいつの間にかはぐれたらしい。


「追跡されなかったのか?」


「舐めてたのだ!」


「手加減してた?」




「違う! 俺の血を! 肉を! その場で摂取していたのだ!」




 再び思考が乱される。


 前提が間違っているような気もするし、合っていいて、それとはまた別の話という気もする。良く分からない。統一性がない。この怪異は理不尽と不公平が過ぎる。遊びたいならもっとフェアであるべきだ。


「草延先輩! ひ、一つ提案があるのだが!」


「何だ?」


「お、大神がやって来たという事は、ぜ、前後関係はどうあれ、そちらが出口という事だ! 火翠も怪我で衰弱している。先に俺達だけで脱出をするべきだ! ど、どうだろうかッ!」



 

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