完全不明につき
静寂に満ちた扉の外を、誰も開けようとはしなかった。現状維持は事態を進展させないが、見たくないものは見たくない。
「……う、嘘だよね! そんな……今の……」
「…………ッ」
「――――――」
気丈な菊理でさえ、努めて冷静でいようとした明亜君までも、扉越しに聞こえた音が原因で取り乱していたのは明白だった。深呼吸は気分を落ち着けるのに有用かもしれないが、それを何度も行わなくてはならない時点で彼の動揺は露骨だった。
―――これを『意図的』に使うのは、初めてだ。
胸の『楔』を奥深くへ挿し込むと、頼まれるよりも早く俺だけは扉を開けた。
「……センパイッ!」
「『他人事』だ。俺は気にしないぞ」
誰もが扉の先に凄惨な光景を想像しただろう。骨と肉とがごちゃ混ぜにかき混ぜられた、人を人とも分からなく思わせるような物体が。咀嚼途中の食べ物を吐き出したみたいな、醜悪な残飯が。
開かれた扉の先に、そんなものは存在しなかった。
決して見落としている訳ではない。全身を外に出して周囲を確認するも肉片はおろか血痕すら見つからない。所でこの世界、血はアカいのだろうか。だとしたら見落とすかもしれないが、足元は黒いので底を塗り潰すようなアカがあればそれが血だろう。そしてやはり、見当たらない。
背後から安堵の吐息が聞こえて振り返ると、三人が気の抜けた表情でその場にへなへなと崩れ落ちていた。
「よ、良かった……」
「もう~びっくりしたじゃんかよー! し、死体があったらほんと、どうなるかと……」
「…………俺は、間違ってなかったんですよね。なら……良かった」
「……悪いが、俺は安心出来ないぞ。もう一つ重大な懸念事項が増えてしまった」
「それは?」
「俺達、何かしたか・・・・・?」
言われて三人もハッとした。気付いてくれたようだ。俺達は何もしていない。厳密に言えば、何をすればいいか分からなかったので出来なかったのだがどっちでもいい。色を指定された時とは違い、今度は何の選択もしていないのだ。にも拘らず、俺達は助かった。
「山羊先輩」
「あたしも知らんよ。明亜君や、君は何か知らないの?」
「……さっぱりです。草延さんの言う通り、安心していられる状況じゃなさそうですね。それともルールの提示というそもそもの仮説が間違っていたのか、それかルール違反があったとしても一回につき一人…………ああ。全然駄目ですね。絞り込めない」
三人そろえば文殊の知恵とも言うが、この場に居る誰も適切な知識を持たないのでは意味がない。一回だけでいいから姉貴に電話させてくれないだろうか? 遊んで欲しいならその後に幾らでも―――
「…………ルールはルールでも、遊びを提示してるんじゃないか?」
「遊びですか?」
「ノイズ塗れで酷い音だったけど、俺の背後に立ってた子供は『ぼくとあそぼう』って言ってた筈だ。そうしたら『もういいかい』の言葉もかくれんぼのルールを端的に説明してると分かる。色の奴は……よく分からんけど」
「色鬼だと思いますっ」
千歳が手を挙げて発言した。因みに今は授業中ではない。
「―――色鬼ってなんだ? 字面だけはそれっぽいけど」
「鬼が指定した色を触ってれば安全っていう遊びです。逃げる側がその色に触ったら別の色を指定するっていうルールでもあります」
その遊びは、知らない。子供の時の遊びは地域格差が大きいと言うし、俺だけの問題ではなさそうだ。
「じゃあ、『ぼくといっしょ』は?」
千歳は困ったように笑う。心当たりがないのは相変わらずか。今の所の仮説として三つの『遊び』が出ているが……最期に出たルールに説明がつけられないと他の可能性も考える必要がある。自分から遊びと言い出した手前、先入観が入ってどうしてもそうとしか思えないのはご容赦だ。偶然たまたまルールを順守していたとするなら、そこに二度目は無い。もし条件不明なまま次も生き残れたならこの仮説は崩壊する。ルール
「気になる事と言えばまだあります。ルールの提示の間隔です。ランダムなんですかね」
「今は随分と話せてるから、俺はそう思ってる」
これで『外』を歩き回ったらあの子供に鉢合わせるなどと言われたらもう、駄目だ。そこは諦めよう。何も知らなかったのと、姉貴を連れてこなかったのが敗因だ…………。
これからどうしよう。
取り敢えず合流したまでは良かったが、明亜君でどうにもならないなら他のどのメンバーでも頼りになるかは疑問点がある。これでもついさっきは対立していただけ、彼の事は信用しているし、それなりに信頼もしているのだ。ただし彼が脅威だったのは現実のちょっとした異常では動じなかったその冷静さであり、本人は決して洞察力が鋭い訳ではない。それが裏目に出ていると言うか、本物の異常事態には頼りない。
俺も人の事は言えないので、これは心に留めておこう。
「草延さん、一つ提案があるんですけど」
「お、何だい明亜君」
「二手に分かれた方がいいと思うんです」
「それはどうして?」
「隠れんぼと思われるルールの際、大勢で行動してたら隠れ場所の取り合いになるじゃないですか。丁度四人いますし、どうですか?」
「生き残る為だったらあたしは何でもいいよ。どうせこのまま待ってても死ぬんだから!」
「私は…………怖いので、反対です」
やれる事はやってみようという精神も、それでも怖いから一緒に居たい気持ちも分かる。勿論彼の提案も悪くない。密室は本当に聖域だった訳だが、『かくりこ』が中に入ってこない保障はない。何故ならアレは一度密室の中に居た。人と協力して聖域を作り、平然とその中に居た筈なのだ。
その辺りの判定はよく分からないが、仮に入って来ずとも引き分けは事実上の敗北だ。
「二手に分かれよう」
まだ、怖くない。
死体もなければ、怪異も活発じゃない。大丈夫だ。試した肝が少し冷えただけ。何事もなく、笑い話として終わらせる。
「山羊さん、悪いけど明亜君に同行してくれないか?」
「ん。おーけ。匠ちゃんは火翠ちゃんと?」
「ちょっと待って下さい。ペアを変える意味がよく分からないんですけど」
「君は俺と似たタイプの気がある。人一倍冷静なだけ、立ち止まって考えがちだ。あの怪異はきっかり十秒数えてる。考えてたら時間切れでしたとか笑えないだろ。だから衝動的な山羊さんを隣に置く」
「守れって事ね。そういうのあたし得意かも」
特に反論も無かったのでペアの入れ替えが実行。千歳は俺の腕をひしと抱きしめてからナマケモノのように動かなくなり、山羊さんはそんな後輩を見て伏し目になっていた。
「ではこれで。俺達は血痕だらけの小屋の方に行くんで、草延さんは裏にあった道に行ってはどうでしょう」
「道? そんなものあったのか?」
「あんなのが現れる前は、なかったと思います」
「アオ色どーこだ」
本殿を出た瞬間、子供の声が聞こえた。本当に気まぐれな怪異だ。タイミングはランダムと見て間違いないか。それにしてもタイミングが最悪だ。
「アオ色なんてないぞ!」
畳がキ色かったのは単なる偶然だったか。もしやその時付く色までランダムなのか? ここから十秒であの畳を確認しに行くのはリスクが高い。
「さーん」
「し」
周囲三六〇度、アオ色が存在しない。アカと黒の世界にアオ色なんんて不純物があれば目立つだろう。それが何処にもないのは不幸だ。ただでさえこの神社には物が少ないのに、一部分にだけ色が付くなんて理不尽は一体誰が考えた!
「センパイ、あれ……」
視野狭窄に陥っていた為だろう。目の前の―――鳥居で佇む存在にさえ、指摘されるまで気が付かなかった。捩れた子供が佇んでいる。悪意に満ちた平面の口を裂けるまで上がっており、その端は色が垂れるかのように胴体まで広がっている。
「は し と し ん じ
や く な う ゃ
よ い ?」
「しーち」
「はーち」
アオ色がない。
何処にもない。
「千歳」
「……?」
「俺と一緒に、死んでも良いか?」
それは菊理によって生まれた信頼を問う質問。秒数も秒数なので答えは手短に欲しい。千歳は何も言わず、ぎゅっと俺の手を掴んだ。
「……そうか」
「きゅーう」
「逃げるぞ」
「じゅーう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます