新まじき噂

 外から一人で戻ると、大神君が怪訝な表情を浮かべながら立ち上がった。

「あれ、しゅうさんは?」

「は?」

「しゅうさんが一人っきりにすると心配だからってそっち行った筈ですけど」

「ああ…………? そうなのか? 出会わなかったが」


 全員の視線が俺に集中する。そこには疑念や好奇心、不信感、困惑など様々な感情があり、どうやら俺は日頃の行いが悪すぎて信用されていないようだ。千歳を助ける為の虚言だったとはいえパンツを見ただけでこの疑われようは酷い。

「え。え。え。え、ちょ。え? マジすか?」

「ああ、大マジ。それに嘘吐く意味よ。お化けなんて居ないのはもう皆分かってるんだろ? 俺の方こそ聞きたいな。朱斗が行ったのはマジなのか?」

「センパイ、本当ですよッ」

「…………」


 お気楽で、和やかだった雰囲気に陰りが見える。何よりもそれを助長させていたのは他ならぬ主催者の大神君であり、『よりにもよって』大好きな先輩が消えてしまったという事実は確実に彼を動揺させていた。


「探しに行った方がいいでしょ!」


 菊理からの提案は沈黙を以て受け入れられた。否定する理由が誰にもない。真っ先に飛び出していった大神君に追従して他の人間がぞろぞろと飛び出していく。俺もそれに倣って最後尾についていくが、家を出た瞬間にレイナを家の反対側に連れ込み、口を塞いだ。

「ゴースト。仕事の時間だ。始めるぞ」

 どう振舞うべきか、どういう立場なのか。ややこしい説明は不要だ。『その名前』を呼べば、ドッペル団のメンバーなら自ずと理解してくれる。朱莉と違って、彼女は叫ばず冷静に尋ねてきた。

「……どうするの」

「取り合えず不安定なフリをしてくれ。感情的な人間が一人いるだけで理性的な判断は邪魔出来る。俺が合図したら姿を隠してくれ」

「ネームレスは?」

「俺はまあ色々と……両側面からやる事がある。デモンは噂を乗っ取るつもりで動いてるから何か協力を求められたら助けてやれ。ただし、俺の指示してない行動とか、妙な変化を見たら後で密告を頼みたい」

 ドッペル団全体の目的は、自作自演でこのちっぽけなお化けの噂を恐ろしくも強大な存在の噂に仕立て上げて、そのどさくさで大神君を殺害する事、および余剰・潜伏ゲンガー(ヒトカタ)の殺害。

 俺、千歳、菊理の正義チームの目的は潜伏ゲンガーのあぶり出し(居るなら)及びこの噂の引き立て役として舞台装置になってもらう。分かりやすく言い換えればドッペル団としての創作怪奇現象に付き合ってもらいたい。仲間だからと贔屓は駄目だ。それはかえって俺を怪しませる結果に繋がるから。

 しかし身の安全は保障する。俺は二人を怖がらせつつ守るのだ。自作自演の好感度稼ぎと言われても無理はないが、勝手に『ゲンガーだった』という事にして殺すような人物が居ないとも限らない。元々お化けから守る前提で連れて来たのでそれ自体に変わりはない。全て終わったらアフターケアでたっぷりお礼してやらないと。

「…………もう少し、話さない?」

「は?」

「後ろから。連れ込まれて。背中から手が回って。口を塞がれて。無理やり。されてるみたいで」

「―ー――エロ部長めが。いいんだよそんな事は。取り敢えず任せたからな」

「あらぬ。誤解を受けたわ」

 事実だろう。

 これ以上離脱すると最初から隠れ続けないといけなくなるので、レイナを先に行かせてから少し遅れて俺も合流。幸い、後ろから不自然に遅れてきた俺達を気にする者はおらず、鳥居の中を通して掛けられた絞首縄に全員が釘付けだった。

 当然、誰もくくられてはいない。居ないが、直前までこんな縄が存在しなかったのを誰もが知っている。では誰かの悪戯―――例えば現在失踪中の朱斗ではないか。そう思う人間も、居ただろう。主催者を焦らせて強制的に捜索状態に入らせなければ。


「な、縄です」

「何だよこりゃ」

「悪戯……悪戯に決まってるわよッ」

「誰も使ってないのは良いけど、じゃあ朱斗君は?」

「……霊的なモノ、ではなさそうだが」


 朱斗にはこれをする意味も無ければ身長も無い。だから誰も被害者である彼女を疑わない。

「し、しゅうさん! しゅうさん何処なんですかッ! しゅうさんッ!」

 そうやって焦ればいい。どんなつもりであっても想定外の事態はたった今起きてしまった。ゲンガーとしても本物としても、この場で大神邦人は焦らなければならない。そうでなければ不自然だから。

 半狂乱で本殿の方へ走り去った彼を見送り、残る十人がひそひそと話し始める。

「死、死んでる筈ないよね……」

「縁起でもない事言ってんじゃねえよ相田ぁ! 死ぬとかあり得ないし……」

「あたしはその意見に反対だな。だって一か月くらい前にあたしのおじいちゃん死んだんだ。老衰だけどさ。死なないならなんでおじいちゃんは死んだのさ」

 菊理は死に対する無関心に侵されていない、か。俺との約束を守ってくれるなら、頼りがいがありそうだ。この極限状況での発言は注目を集めると考えているのか千歳は沈黙している。決して落ち着いている訳ではない。伏し目がちに視線を右へ左へ動かして、持ち込みであろう紅いお札をぎゅっと握りしめている。


 ―――立場を入れ替える時だな。


「山羊さん、千歳。ちょっと話したい事がある」

 心を『正義』にチェンジして二人に駆け寄ると、会話相手に餓えていた(恐怖を紛らわせたいのかもしれない)後輩が先に到着。遅れて真剣に縄の意味を考察していた菊理がやってきた。

「せ、センパイ。これって怪奇現象っていう奴なんでしょうかッ」

「ああ……その前に千歳。落ち着け」

 お札を握る後輩の滑らかな手を上から包み込むと、意図に気付いた菊理も見様見真似で彼女の手を握った。するとどうだ、接触しなければ分からない微細な震えが止まった。それは断じて寒さではない。今の季節は夏で、ここは山の中。単純に怯えているのだ。

「あ、有難うございます」

「あたしにはいーぜ? 匠ちゃんの真似しただけだし。にしてもこれはちょっとおかしい。匠ちゃんは本当に見てないの?」

「くどいぞ山羊さん。見てるなら見てるって言うさ」

「じゃあ大神って子と違って何で落ち着いてるのさッ。多分、仲良しとかなんじゃないの? やり取りとか見てるとそう思うよ」

 鋭い。

 山羊などと穏やかな印象を植えるべきではなかったか。でも名前が名前なので仕方ない。

「他人事だから」

「な……確かにそうかもしれないけどさ。自分もそうなるかもって思わないのッ?」

「思わないけど、千歳や山羊さんが消えたら俺も狂っちゃうと思う。だから二人だけは守るつもりだ」

 不平等で、不誠実な優しさを口にする。付き合いこそ浅いが二人は俺の捻くれ具合をよく分かっている人間だ。


 後輩のスカートを覗き見るような変態の汚名を被っても、『他人事』だからどうでも良い。

 新たなイジメのターゲットになったとしても、『他人事』だからどうでも良い。


 そんな歪んだ善意に二人は助けられている。それが俺なりの照れ隠しなのは明らかで、張り詰めた空気が局所的に緩んだ。

「匠ちゃんって、優しいのか酷いのか分かんないよ」

「ヤギ先輩もそう思います? センパイってよく分からないですよね」

「本人の前でそんな事言うな。それよりも縄の事だ。……ちょっと歩こうか。大神君の様子も気になるし」

 レイナも一人の方がやりやすいだろうと、敢えて二人を連れて大神君の行った方向へ。誰の指示もなく分離する俺達はどうしてもある程度の注目を集めてしまうが、複数人での行動もあって、怪しまれるまではいかない。

「お化けは居ないと思うが、居ないなら誰の仕業か。『偽物』だ」

 偽物。つまりゲンガー。二人には最近色んな事件が起きてるのは『偽物』のせいだと説明してある。学校で起きたあの事件も『偽物』の仕業だと。嘘は吐いていないし、恩人という立場もあって二人は信じてくれた。

「飽くまで予想だが、この噂を流したのも『偽物』だと思ってる」

「え、そうなんですか?」

「ああ。噂を流して肝試しに来る人間を襲う……ありがちな話だろ。だからあの縄も恐らく、この十二人の中の誰かがやったんだ」

「匠ちゃん。あたし達でその偽物をやっつけようってのは分かるけどさ、何かヒントとかないのかい。ずっと見てたけど、皆人間っぽいよ」

 俺もそう思う。人となりを知らないからだろうが、山本ゲンガーみたいにあからさまな奴は居なかった。あれは本当に、未熟だったのだろう。

「…………それはまだ判断がつかない。もう少し様子を見る必要がある。『偽物』は演技が上手いからな。ただ、場が混乱すればいつかボロが出る。今までの行動方針や言動と食い違うような事をするかもしれない。そいつらを見つける事が出来たら、全員帰れる筈だ」

「センパイ。その『偽物』って、外見がおかしい事はないんですか? 目の位置が違うとか口が大きすぎとか」

「火翠ちゃんって『偽物』を福笑いか何かと勘違いしてない?」

「それは……断言はできないが、今まではなかった。でもまあ、そこも一応注意しといてくれ。山羊さんもな」

「ばっちり見といてやろうじゃんかッ」

  肌の出ている場所はともかく、隠れている場所は雑になっている可能性は否めない。例えば菊理は微妙に制服で抑えられているが目測でFとかGくらいはある。これが急にAAとかになっていたら偽物確定だ。

 こんなセクハラ式の見破り方が通用するならゲンガーは馬鹿ばっかりで、そんな馬鹿に侵略される人類は救いようのない馬鹿となるのでやめてほしい。




「しゅうさああああああん! 何処に居るんですかあああああああ!」




 本田では、御神体に向けて椅子を投げつけている大神君の姿が確認された。

「何で! 何処に! 消えたんですか! しゅうさん!」

「お化けの仕業なんじゃないか?」

 敢えて弱弱しく呟くと、互いの上下関係を忘れた後輩が俺に近寄ってきて、その胸倉をつかみ上げた。返答を間違えた暁には漏れなく百裂パンチがお見舞いされそうだ。『他人事』として、遠慮なく殴るといい。

 それで気が晴れるなら、肯定しよう。

「お化けなんて居ないって。匠悟さんもそう言ったでしょ」

「あの時まではな。アイツは悪ノリが好きだが、あの場における悪ノリは皆でふざける事だ。それが居なくなるなんて悪ノリというよりも寒いノリ、友達が出来ないタイプのやり方だ。すると消去法で実はお化けは居たという事になる」

「いる訳ないでしょお化けとか」

「さっきまで見つけようとしてたじゃないか、皆で」

「あれはその場のノリで!」


「お化けが居ないなら肝を試す場所として使えないんじゃないか?」


 ああ言えばこう言うの水掛け論で、遂に堪忍袋の緒が切れた彼が全力で俺を殴りつけた。タイマンなら受けいれたが、生憎と隣に菊理が居たせいで、その拳が俺に触れる事は無かった。

「いい加減にしなよ! 匠ちゃんだって色々思い悩んでるんだ。自分の気持ちに寄り添ってくれないからって暴力なんて最低だ!」

 思い悩んでいるかどうかはさておき、それ以外は正論だ。大神君も分かっている。お化けなんて居ない理屈を通せば朱斗が消えた原因が分からない。しかしお化けを認めてしまうのは現実的な物の見方が出来ていない証拠。

 相反する二つの理屈に折り合いを付けられないから暴力で誤魔化しているだけ。演技ではなさそうだ。ゲンガーとしても人間としても、その焦りは正しい。

「本殿は探す場所も少ないし、取り敢えず合流しないか? 神体に八つ当たりなんて罰が当たるぞ」

「……分かりましたよ。でも、もう探す所は一か所しかないじゃないすか」

「建物はな。周りの獣道くらいなら手分けして探せば大丈夫だろ」










「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」











 畳みかける様に、悲鳴。

 レイナの声だ。

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