裏切りモノ
慌てて駆けつけると、参加者たちは一斉に家の方向を見ていた。その先頭ではレイナが尻餅をついており、パクパク口を開きながら虚空に向かって指をさしている。
「こ。あ。あ…………」
「レイナ。どうした?」
「こ。子供! 子供が見てた! 笑ったの! じゅ……じゅ…………ああああああああああああアアアアア!」
まともに会話が成立していない。彼女は恐らく自分でも何を言っているのか分かっていないだろう。支離滅裂、或は真に戦慄を覚えた人間はこうなってしまうのかもしれない。誰一人として疑う者はいなかった。確実に何か良くないものを見てしまったと。そう思わせる説得力があったのだ。
霊坂澪奈は、その場で失禁していた。
―――マジか。
大根芝居をするくらいなら黙っていてくれた方が良いのは確かだが、ここまで真に迫れと言った覚えはない。俺も事情を知らなければ騙されている。逆に、本当に恐い訳でもないのに失禁なんて俺は出来ない。誰かの為であれば止む無しだが、これは他ならぬ自分の為だ。到底出来ない。人間として大切な物を失う気がする。
「うううう……はあ。ねえ。信じて。匠悟! 信じて! 誰も見てないの? 誰か! 私がおかしくないって! ねえ!」
感情的になれって、そういう意味じゃないんだけどな。
長期的な怪奇現象に対して一々ヒステリックな反応をしてくれたらそれだけで周りはどんどん正気を失っていくか……そういう展開のつもりだったが―――残る九人の顔が不安に彩られている。そういう結果になるならこちらにも考えがある。
「ああー皆。他に子供を見た人は居るか?」
沈黙。一応本当に見た可能性も考慮したが虚言か。
「言いたい事は分かる。この人が嘘を吐いてる訳じゃないし俺も疑ってない。ただ、ピンポイントで狙われたっていうのが腑に落ちないんだ」
「どういう事すか?」
「レイナだけが特別狙われる理由はないって事だ。取り合えず全員、ここは俺の指示に従ってあの家に戻らないか?」
「どうしてッ?」
「嫌に決まってんでしょ! 死にに行くようなもんじゃない!」
「死ぬなんてあり得ないんじゃなかったか?」
「センパイ。そういう揚げ足取りは良くないです。ちゃんと理由を説明してください。私も納得出来ません」
「行けば分かるんだ。ああ、これは事前に説明したら駄目なもので、あっちに行ってくれるなら全部説明する。これは強制じゃない。ただ……お化けが簡単に逃がしてくれるとは思わない方がいい」
「俺達を見捨てるのか! 三年生が偉そうに!」
「こっちだって生きるのに必死なんだよ!」
本気の声で、本音を叫ぶ。本当にお化けが居るなら一発で俺達の位置など分かってしまう。森に木霊する筈の声は帰って来ないのは気になるが、今は思考に気を回している場合ではない。騙りに気付かれない為に大切なのは、騙り続ける事。
俺は今、必死に生きようとしているんだと言い聞かせるのだ。
「ああ、悪い。隠すつもりはなかったんだが、俺はこういうのに詳しい人間なんだ。おば……怪異と戦うにはお気楽じゃいられない。俺だって全員を助けたいが、それが簡単に出来るなら朱斗も助けて脱出してる。従わない奴まで気にしてられる訳ないんだよ」
聞きかじった知識と、違いの分からない単語を、より難解な方に解釈する。それはまるで、頭の悪い人が見栄を張る為に敢えて難しい言葉を使うように。前後状況を考慮しても俺の発言は滅茶苦茶だ。怪異を良く知る人間はそれを決して軽視しない。一緒になって茶化していた俺が今になって事を重大に捉えているのはどう考えてもおかしいのだが、自分の命が懸かった状況で正確な判断を求めるのは酷だ。誰もそのことに気付かない。拙い嘘を分析しない。
『自分』が大切で、周りの誰にも目を向けられない。
目的の為に失禁を強いた俺には責任がある。レイナを体の前で抱き上げて一足先に家へ戻ると、異常事態が『自分』に降りかかるかもと恐れた参加者は多少文句を言いながらも全員ついてきた。やはり後輩のパンツを見るような変態の言う事は従いたくないらしい。それでも命が惜しいから従うしかない。
場の主導権を握るのは、一先ず成功した。後は己もろとも追い込むだけ。
「じゃあ取り敢えず、家の扉を閉めてくれ。それと戸も。ここを完全な密室にする」
「……結界ですね?」
え?
予想外の所から反応が入り、危うく素で尋ね返す所だった。それは本人としても脊髄反射の反応だったのだろう。俺に代わって全員の注目を浴びた事で千歳は固まってしまった。言わんこっちゃない。それを避けたくて発言を控えていたのだろうに。
「火翠ちゃんに代わってあたしが説明する。敷居は結界の一種なの。敷居の前と後ろは全然違う世界で、敷居そのものはどちらでもない不安定な場所とも言われてる。多くの人が呪いとかそういうのを信じてた時代は、家に閉じ籠って悪いモノを避ける事もあったって話。呪いを掛ける時は誰にも見られないように密室が用意されるよね」
「……とある怪異に魅入られた際には家から一歩も出ず、声を掛けられても扉を開けるな、というものがある。便宜上聖域と呼ぶが、怪異みたいな不浄な存在は、相手からの許可がないと入れなかったりするんだ」
アドリブで適当に繋げたが、菊理も千歳も何故俺より詳しいのか。少し気になったが、良い助け舟をくれた。にわか知識で騙り続けるのは正直キツイ。レイナはダウンしていなければならないし……少し予定と違うが、正義側も加担させてしまおう。
レイナを奥の和室で寝かせ、手前の和室に足を戻す。複数人からの証言で正当性に同意が得られた。ドッペル団を除く十人がいそいそと外界に繋がる場所を閉じる。怠けているみたいに取られるのは屋だがやる事がない。
「せ、センパイ」
同じく人手の余剰につき仕事のなくなった千歳が四つん這いになって近づいて来た。複数人に注目されなければ、普通に過ごせる。それは緩いようでいて、中々どうして厳しい制約もといトラウマだ。俺や菊理が隠れ蓑になってやらねばそもそもの助け舟など期待出来ない。
「隣、いいですか?」
「おう」
許可を出すと彼女は俺の真横で素早く転進。四つ足を正座に切り替えて、その場に小さくまとまった。
「怪しい人、居ましたか?」
「まだ絞れない」
「そうですか……」
主導権は握れても他人の行動までは操れない。どうやら千歳はお化け云々を信じているというより、戦略の一環であると考えている。二人にだけ部分的にゲンガーを教えたのだから無理もない。引き続き二人の協力を求めたいならこの策略にオチを付ける必要がある。『大神君こそが偽物だった』というオチが。最低でも。
「有難う。ああ、改めて全部説明しよう」
こうして密室の中にレイナと朱莉を除いた全員が集合する事となった。名前も知らない人間は置いといて、菊理と千歳は俺の両隣、大神君は真正面だ。朱莉が消えたショックで、ライトに照らされる彼の表情はそれにしても浮かなかった。
何となく勝ち誇りたくなるのを堪え、飽くまで平常心で言葉を紡ぐ。
「まず率直に言おう。俺はこの場所に伝わる本当の噂を知っている。大神君、君は何処でこの噂を知った?」
「え。ネットですけど」
「かくれんぼが大好きな子供が神隠しにあった。それ以来足音や笑い声などが聞こえるって?」
「はい。だから肝試しにピッタリかなって……」
「成程。では生き延びる為にも全員聞いてくれ。ここに伝わる本当の『噂』を」
下らない怪談話を乗っ取る。その本番だ。
―――うまく合わせろよ、朱莉。
「ここは昔、人を食う鬼が住んでいたんだ。いや、封じ込められていたのか。ただ一人の子供は、その鬼と話すのが好きだった。鬼は封印されている間優しかったんだ。ある時、鬼は封印を解いてほしいと子を騙し、自由になった。鬼は人を喰らう。そんな当たり前の話を思い出した子は食われまいとあらゆる手段を駆使して鬼から隠れ切ろうとした。その内、鬼も子も行方不明になってしまったそうだ。でもその二人はその事に気付いてない。だから子は鬼から逃げる為に迷い込んだ俺達を餌にしようとしてる。鬼は子を探しているが、迷い込んだ人間が居るならそれも食べようとする。怪異になってしまった子は、時に迷い込んだ人間の中に紛れてあわよくば外に出ようとするらしい」
ザッザッザッザッザッ!
結界の外から足音が聞こえる。耳をすませばクスクスと笑う女児の声が。右へ左へ上へ下へ。正体不明の笑い声を、この場に居る全員が聞いてしまった。『お化けなんて居ない』理想を掲げる人物はいない。俺達は完全に目を付けられたのだ。
「結界を作ってる限り、子は中に入って来られないし邪魔も出来ない。だから入りたかった。俺達の勝利条件は子を捕まえる事だ。つまりまあ……率直に言いますと」
「この後『子』を探す為にどうしても外へ出なきゃいけないが、見つからない場合は俺達の中に紛れてると思っていいから。皆、くれぐれも隣に居る人物が本当に人間なのか気を付けてほしい。死んだらもう、それっきりだから」
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