正悪の定義を騙る
「えー。今日、先生が死んだとかそういう話を聞いた生徒も居るだろうが、御覧の通り俺はピンピンしてる。気にしないでくれ」
七月に入って早々、担任の先生がそんな事を言った。テスト後の冷却期間中にも誤報は毎日続いており、案の定、最悪の傾向が俺の周りでも現れ始めている。
『いやもう全然気にしてなかったわー』
『死ぬ訳ないじゃん先生が~』
『死ぬとかないでしょ。全部誤報誤報』
死に対する無関心。
それはゲンガーという存在を抜きにしてもあってはいけない事。全ての死が茶番となり、あらゆる死因が間違いであると認められればこの世の終わりだ。死とは根源的な恐怖であり、人格破綻者でもなければ超えられない恐れ。今となってはその壁も随分小さくなっている。
分からないか、俺達は窮地に立たされている。元々勝てる筈のない勝負だとは思っていたが、それでもここまで追い詰められているとは思わなかった。本当に、もう少しじっくりと進むものだと。
「だから、そろそろ俺達も本格的な解明に移るべきだと思う」
新設組織ドッペル団、その初めての会議が今、屋上で開かれていた。この場を仕切っているのは暫定的に俺だが、現在この組織にリーダーはいない。この組織にあるルールは極々単純。全会一致の原則だ。証拠や確証が弱くて誰か一人が乗り気でないなら調査のみを続行。そしてメンバーの誰かにゲンガー疑惑が出たなら当人を除いた全員で決を取り、一致次第殺害。これだけ。
「具体的には?」
積極的に話題を回すのは朱斗の役目だ。一応、参謀の立ち位置になっている。本人は当初嫌がったが、『俺の隣でサポートしてほしい』と言ったら、突然掌を返して承諾してくれた。性別バレがそんなに恐ろしいのだろうか。口に出さないだけでレイナはとっくに気付いているのだが。
「俺達は、ゲンガーの条件や状態なんかを知らなすぎる。多分、このままのやり方じゃダメだ。レイナ、悪いけど書記頼めるか。俺達全員に見える形で真ん中にノートで書いてほしいんだ」
「ん。分かったわ」
言われるがままに彼女はボールペンで俺の言葉を綴っていく。
『ゲンガーの特性
一度なり変わったら他の人には変われない。
身体能力は変わった人に依存する
ゲンガーは互いの正体を見破れないのでどちらかが割り出して接触するしかない。リスクが高い』
これが朱莉から聞いた、そして実際にそう思われる特性だ。特に上二つは俺も信用している。誰かに変化できる状況なら、物理法則を超えた動きが出来るなら、幾らでもするタイミングはあった。ころされない為ならば手段は選ぶまい。
最後だけは確認出来ていないが、報連相がまともに出来ているなら逆にハメ殺されている可能性が高いので、今は疑う余地がない。
「朱斗。これ以外になんかあるか?」
「ないね。知る限りは」
「全員に聞きたいんだが、俺達の知ってるこの情報……有効に使えた事があるか?」
沈黙。その通りだ。これだけの情報を持ちながら俺達は一度も有効に活かせていない。それは決して俺達が悪いのではなく、問題は情報の種類。これらの情報は知ってどうなる訳でもないジャンルなのだ。言うなれば、テストで出てきたら点数が取れる程度のもの。結局ゲンガーを割り出す為に俺達はブラフ、時には本物の協力も借りなければいけない。それしかない。他の人に替われない特性を知っていてもそれがゲンガー割り出しにはつながらないし、他も同様だ。身体能力が変化先に依存するとして、何だ。互いの正体を見破れないので協力関係は築けない。だから何だ。
ゲンガーについての情報と、ゲンガーを割り出すのに必要な情報は違う。
考えてもみれば当たり前の事に、俺達は気付けなかった。
「おまけにこっちから接触して鎌かけるのにも限界がある。俺達がどう頑張っても総理大臣や人気配信者には会えないだろ。だからこのままじゃ駄目だ。改めてゲンガーを未知の存在として調査する必要がある」
「本格的な解明っていうのはそれにかかってるんだよね。何をするつもり?」
「アイツ等の区分を調べる」
言いつつ俺は、大神君との個人グループのやり取りを開示する。話の流れを簡潔に説明すると、何故か肝試しの事を知っていた俺が風紀委員会への密告で後輩を強請って、無理やり参加枠を勝ち取るまでの流れが記されていた。
「肝試しって。まだギリギリ。夏じゃない」
「いや、七月は夏だろ。九月が夏か秋かなら分かるけど。レイナの方はどうか知らんが、俺達のクラスじゃ早速ゲンガーの影響が出てる」
「……あの事だね。クラスは和やかだけど、誰かが死ぬっていうイベントが陳腐化して、誰も真面目に受け止めなくなってる。それもこれも性懲りもなく誤報を続けるメディアのせいだけど」
「……あ。確かに」
そちらにも心当たりがあるようだ。なら話は早い。同じ経験の共有は迅速な理解を引き出せる。
「これはオカルト好きの姉ちゃんが言ってた事なんだけど。怪異の多くは人しか襲わないらしいんだ」
「それはどうして?」
「怪異の発生源の多くが『噂』にあるからって聞いた。『呪い』になると少し話は変わってきて、それ以外の『正体不明』だと無差別とも言われてる。大神君が企画してる肝試しは一年生から三年生まで無差別に、かなりの人数が参加する予定だ。今のところ十二人だっけ。俺達含めてね」
「意外と。誘えてないのね」
知らない二年生から肝試しに誘われていく人間が多くあってたまるか。
場所は救世人教が焼身自殺に使ってくれた山の奥にある神社。何でもそこは、あの山火事を経ても損壊一つなかったとか。彼は自由研究の一環とも言っており、参加を希望した人間には少なからずその目的があるだろう。夏休みの課題を早く終わらせたい気持ちは分かる。決して大神君の人望ではない。
「……あ、そっか。その怪異が多数派なら『人』しか襲わないから―――ゲンガーが襲われなかったら、ゲンガーは人判定されてない事になる」
「そういう事だ。これも姉から聞いたんだが、怪異同士は親和性が高くないと互いに牙を剥いたり同時に遭遇する事はないとされてるらしいんだ。だからもっと踏み込むなら、ゲンガーが襲われなかった場合、その正体は人でもないし人っぽい生物でもない、『怪異』かそれに類似した存在の可能性が高い。大体がして化ける所からそれっぽいし」
「ゲンガーが。参加しなかったら。どうするの?」
「大神君がゲンガーだろ」
あ。とレイナも気付いた。
全くの偶然だが、彼はこの為に生かしておいたと言っても過言ではない。企画の立案者ならばうっかり死んでも文句は言えまい。否、死んだ所で誰もそれを信じようとしないだろう。先程、参加者は楽をしたいから企画に乗ったと言ったが、それだけで得体のしれない存在に立ち向かうような壊れた人間はいない。
きっと、死ぬ事に恐怖が無くなってしまったのだ。『お化けなんて居ない』の理屈で、『死なんて存在しない』と思い込みつつある。だから参加を決意したに違いない。そうと考えないと、辻褄が合わない。俺は姉貴越しに話を聞いても怖いのに。
「もし怪異なら。どうするの?」
「その時は今後に姉ちゃんの協力を仰ぐさ。専門家が居た方がいいからな。もし違うなら―――その時は俺達で工夫して、大神君だけでも処分しようか」
そしてゲンガーが襲われないなら大神君以外の襲われなかった人間も自動的にゲンガーだと確定する。今後は姉貴に頼るとしても、その時は生存者に紛れて一人ずつ着実に殺していけばいい。これがテスト勉強で学力を培った男の完璧な作戦だ。
自慢気に胸を張ると、朱斗が余韻を差し止めるように渋面を浮かべた。
「待って、その計画には穴があるよ。怪異のジャンルなんて見て分かるものじゃないだろ。多数派じゃないケースだったらどうするんだよッ」
「それも大丈夫だ。ちゃんと『噂』を拾ってきた」
「俺達が行く神社には、『かくりこ』ってのが居るらしい―――」
かくりこ。
その意味はよく分からないが、元々は遊ぶのが大好きな子供だと言われている。かくれんぼが大好きで、いつでもどこでも、誰からも見つかるまいと隠れるような子供が、ある日神隠しにあって消えてしまった、という話。
それ以来、神社に足を運ぶと姿の見えない子供の笑い声や足音が聞こえるという。ただそれだけの、ほんの少し怖いだけの噂だが怪異は怪異。『人』を対象にそういう脅かしをしているなら、ゲンガーたる大神君の身には何も起こらないと考えられる―――
―――屋上ではなく体育倉庫の中で、俺は『二人』にもそれを語った。
「そういう訳で、俺はあの偽物達の正体を暴きたい。手伝ってくれないか?」
「……センパイたっての頼みとあらば、分かりましたッ」
「匠ちゃんも面白い事考えるね~。それじゃあたしら、『正義の味方』って訳? 人間社会に潜む宇宙人を暴き出す的な? ま、いっか。世話焼かせろって言ったのあたしだしね。匠ちゃんと一緒に何かやるなんて初めてだけど、天才山羊さんに不可能はなーし! やってやろうじゃん」
複雑そうに、共通して少しうれしそうに意気込みを語る二人。作戦会議を切り上げると、何事も無かったように俺達は三人で帰路についた。
ああ、本当に申し訳ないと思っている。でもどうか許してほしい。レイナは承知済みだ。『個人的に協力する約束』を俺から申し出た手前、黙る訳にもいくまい。
ただ一つだけ。ゲンガーに対する憎しみは本物かもしれないが、山本君から送られて来た写真を見てからというもの、どうしてもお前を信じられないんだ。
朱莉。
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