形而上の青春

「匠悟。勉強教えてよッ」

「数学の事で聞きたい事があんだけどよ、時間ある?」

「うぇいうぇいうぇい。いいカンニング方法教えてくれよ」

「かてきょのぱいはなにっぱい?」


 放課後になった突端、急にモテるようになった。


 俺も馬鹿ではないので純粋にそうなっている訳ではないくらいは分かる。どう考えても男子の七割はマホさんについて知りたがっているだけだ。ただ、残る女子はというとこれは純粋にモテていると言って差し支えないのでは?

 ああ、それも嘘。頭の良さが最近顕著なので頼られているだけ。ここで勘違いする男子の十割が恋人なんて出来ない。頼りにされるのは嬉しいがあまり応じていても結果的に直帰が難しくなるので適当に答えるしかない。

「ノート貸すからそれで我慢してくれ。そっちは、ああ。この後とてつもない用事があるからさ。いいカンニング方法とか知らん。あれはミステリアスダークおっぱい」

「君は何を言ってるんだ」

「質問に文句言ってくれ。後は任せたわ」

 マホさんのファンがやたらと多い原因は朱莉もとい朱斗にある。いや、俺にもある。ここでも共犯。素描なんて頼むんじゃなかった。クラスのグループにはマホさんの絵が出回って男子はお祭り騒ぎだ。しかも素描と呼ぶには精密過ぎた。美術の時間に提出したら一発で金賞を取れそうではないか。

 ノート希望者に渡したノートはマホさんに教わった方法で写している。俺から見てもそれは非常に分かりやすい書き方で、とにかく空白の取り方が上手い。書いているのは俺なので多少字は雑だが、それに目を瞑れば成績優秀者にも劣らぬ綺麗なページだ。


「わーすっご。センキュー!」

「まじかてきょ神じゃん」

「いいな~!」


 返ってくるとは思っていない。彼女も『返されなくてもいい用ね』と半ば諦観していたし、偏見だがマホさんには貸したものが返って来ない苦い過去がある。

 集団を適当にあしらって昇降口まで移動すると、大神君が千歳に話しかけていた。同じ一年生だが面識はなかったと思う。それは別段おかしな話ではなく、うちの高校の在学生徒とクラスの数を考慮すれば全然あり得る。

 何故急に……? 千歳は明確に(不幸にも)モテる女子だが、告白されているとも思えない。周りには人がたくさんいる。外から下駄箱を回り込んで聞き耳を立ててみると、何かイベントに誘っているらしかった。


「すみません。そういうの興味ないので……」

「いやでも、面白いよ!?」

「季節の風物詩、という点は分かりますが、私は信じてるので、怒らせる様な事はしません。おばあちゃんも揶揄うような真似はするなって良く教えてくれたんです」

「絶対何も起きないから! あと一人なんだよ、頼むよ~」

 主語の部分が上手い事抜けていて要領を得ない。大神君は同年代相手だと気が大きくなるタイプか。声音からも千歳が迷惑している。俺が助けなかったら正義の山羊さんがまた介入するだろうが、どう考えても話が拗れる。かと言って俺が入るとおかしな噂が立って千歳に迷惑が掛かる。相手が大神君なら猶更おかしな事になりそうだ。

 外に出て大神君に電話を掛ける。無視したら乗り込む口実が生まれるのでどちらでも構わない。


『もしもし?』

『大神君? ああ、大切な用事があって電話した。暇だよな?』


 脅迫するように尋ねてみる。


『え……用事って?」

『ああ、そうそう。用事だったな。うーん。取り敢えず誰も居ない場所で話せないか?』

『そんな大事な用事すか? じゃあちょっと待って下さいね』


 マイクをオフに素早く千歳との個人グループへ。『今の内に離れろ』と伝えると、『ありがとうございます』の顔文字が返ってきた。既読を付ければ意思疎通は終わり、マイクをオンにして再び大神君との会話へ。


『あいあい~。で、大事な用事とは?』

『銀造先生が最近ピリピリしてるのは知ってるな。お前は一番面倒を掛けたんだから、何だ。悪いが…………ご機嫌取りに行ってくれ』

『ええ~!? 嫌ですよ、何で俺がそんな事』

『迷惑掛けたし俺達も掛けられた。それで知らんぷりは都合が良すぎるぞ大神君。所で君はレイナの事をどう思ってる?』

『めちゃ美人です』

『アイツって品行方正なタイプが好きだから好感度稼げるかもな』


 それだけ言って電話を切る。千歳の逃げる時間を稼げば十分だ。銀造先生がピリついているのは要するに平常運転だし、レイナの好きなタイプは知らない。つまり完全な出任せ。殺しの一線を超えた事で俺はますます悪くなっているようだ。


 ―――一応口裏を合わせておくか。


 レイナにその旨の返事を残し、直帰する。因みに返事は『正反対のタイプなんだけど』。





















 家に帰ってから俺を待ち受けていたのは疑似テストだった。定期考査とは授業の総決算でもあり、授業さえ真面目に聞いていればある程度の点数は保障されている―――失礼。語弊があった。真面目に聞いて一定以上の理解を持っていれば必ず点数は取れるようにできている。習っていない部分は出題されない。されたとしたらそれは教員側のミスなので、平均点数が上がったり上がらなかったり。

「……化学が少し弱いかな」

「え、何点ですか?」

「七五点とかそこら。点数配分までは分からないから正確な数字はちょっと。他は九〇点超えてるし大丈夫じゃない?」

「……実は俺、点数で友達と競ってるんですけど、勝てると思いますか?」

「相手によるけど、突貫工事で積んだ基礎学力だから、元々積み上げてるタイプには厳しいね。ただ、君が正解しなかった問題は私が敢えて難しく作った問題だ。学校のレベル的にもこんな意地悪な問題出す奴は余程底意地が悪いに違いない。心配する必要はないと思う」

「マホさんは腹黒?」

「否定はしない」

 ミステリアスダークおっぱいがデタラメじゃなくなるとは。頭の悪い会話をしたつもりだったのに。

「歴史の授業は毎年授業中にした余談を最後の設問に持ってくるんだって?」

「はい。だから資料集とかにメモしてる奴が多数」

「それは……こちらでどうにか出来るものじゃないな。頑張れ。国語だけど、先生は字に厳しいタイプかい? 例えば部首を書いた時に手癖で一部の線がちょっと飛び出したら減点するとか」

「ないです」

 もしそんなシビアな採点をされたら勝ち目がない。小学生時代に書写の授業をいい加減にやったツケが現れたと言い換えても……いや、学校以外で勉強は禁止されてたから俺だけの責任と言われると流石に言い訳したい。させてくれ。

 その後も教科担任の傾向や性格などを細かく聞かれ続けた。普段から真面目に授業を聞いていないせいでその記憶はネガティブなモノを除いて朧げだが、一五分もすると意図の掴めないノートが完成した。一見するとそれは無秩序に並べられた五十音。目を凝らしてもその法則は全く読めない。

「これは?」

「覚えて」

「は? この一ページ全部使ったひらがなの大軍を?」

「今の君なら覚えられるでしょ」

 覚えられるのだが、円周率の小数第三位以下の数字を暗記するようなもので、徒労感が凄い。何の意味があるのか尋ねても「覚えて」の一点張りで埒が明かない。一時間かけて覚えた。

「覚えました」

「もし答えがどうしても分からなかったらテスト用紙にこの文を書けばいい。速筆術はついでに教えたでしょ」

「書いてる間に絶対テスト終わりますよ」

「どうしても分からなかったら、と言っているんだ。気軽に頼れとは言っていない。それでは何の為のテスト勉強だったか分からないだろ? 考えても考えても答えなんて絶対に出ないって時に使ってくれ。神にも縋る思いで書けば、或は救われるかも」

「……イカサマですか」

「違法行為は直接的に因果関係が証明されないとみなされない。人の名前を書いたら死ぬノートで誰かを殺しても殺人罪にはならないように、不正は飽くまで行為と結果が繋がらなければ認められないよ。カンニングは答えを用意してそれを見たから点が取れる。で、それが不正。ところがこれは、テスト中に君が書く文章だ。このノートを隠し持つなら摘発もされるが、テスト中に書いた文章の何処に不正があるのか。それとも落書きは怒られる?」

「怒られはしない……ですね。野球部よくやってるし。寝ちゃ駄目だからって。でも消してますよ」

「じゃあ終わるまでに消せばいい」

 そうか。

 消せばいいのか。

「不正じゃないなら信じます」

「うん。では残る三日間は復習に充てようか。頑張って一位を取ってくれたまえ」

「はい。あの、マホさん。あの時の事なんですが……」




「テストに、集中して」




 聞いてほしくないらしい。

 なら、テストで一位を取った時にでも聞こう。名前のついでに聞けば流れで許されるかもしれない。

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