用法用量正しく守って
「ころす……ころす……!」
「ちょいちょいちょい。おかしいおかしいおかしい。おかしいって匠君。一体何したのさ」
それは授業が全て終わってからの放課後。いつも通り直帰しようと思ったらレイナが突っ込んできたもので、教室は騒然となった。朱斗が引き離してくれたから良かったものを、危うく俺達の関係が明るみに出る所だった。
その代わり、中庭で痴話喧嘩をする羽目になったのは果たして釣り合っているのか。
「ううううううう! そんな訳。そんな訳。ないもんッ」
「ないもん!? なんかキャラがおかしいな。え、僕に男子共押し付けといて何したの?」
「レイナって意外とエロエロだよなって言ったらこうなった」
「うわ、最悪。それを誉め言葉として使ってる内は一生彼女なんか出来ないよ」
「別に褒めてはない。単なる感想だ」
「じゃあ軽率で、しかもデリカシーがない。言われた側の気持ちを考えなよ」
レイナは高熱にでもうなされているかのように顔を真っ赤にして涙を滲ませている。ここまでアグレッシブな反応をされるとは考えてもみなかった。しかし「他人事」なので少しも罪悪感というものが湧いてこない。謝ったら負けな気さえしてきた。
「ほら、図星突かれて泣いちゃってるよ」
「はぅッ。朱、朱斗まで」
「ふはは、秘技『梯子外し』!」
等と呑気なことを言っていないでお前は理解しろと。本当の性別は女子なのだし、よくそんな空気の読めない便乗悪ノリをしておきながらデリカシーがないなどと言えたものだ。自分に味方などいない事を悟ったレイナはひとしきり怒りを噴火させた後、鎮静。呆れたように溜息をついていつものテンションに戻った。
「馬鹿らしく。なったわ」
「あ、戻った。じゃあ勉強会の続きと行こうか。匠君は勿論帰るんだよね」
「一緒に。勉強。したい」
「駄目だよ澪奈。匠君は結構マジで一位取ろうとしてるからそこは尊重してあげないと」
「朱斗は。いいの」
「まあね。正妻の余裕ってや…………強者の余裕だよ。言い間違えたんだ」
無理しかない。
レイナには随分前からバレているので事情を知る俺からすれば何の危険性もないやり取りだが、二人きりの時間に共有していない限り今の発言は迂闊な性別カミングアウトだ。それとその迂闊さがさも発言が真実であると言わんばかりだが、俺は朱莉を娶った覚えはない。今の彼女は正妻を名乗る不審者だ。
「その代わり僕達も本気でやる。なーに元々匠君は頭がよろしくないからね、圧倒的な地頭の良さって奴をみせてやればいいだけの事さ。因みに澪奈はもう名前考えたの?」
「…………一応」
「オーケーオーケー。じゃあそういう訳で、また明日」
「じゃあな」
一段落。
改めて校門まで戻ってきたが 千歳が絡まれている様な事は無かった。俺の牽制が効いているようだ。高木とかいう二年生が俺について何やら吹聴しても三年生は信じない(俺が美子を追い回していたのは本当に有名な話だ)だろうし、一年生は被害者の千歳が居るので影響も少ない筈。学校での立場が危うくなる可能性は低い。
彼がゲンガーだったら、ざまあみろだ。
己の疑心暗鬼を嗤いながら門を過ぎると、見覚えのある顔が視界の端に移り込んだ。否、その人物の詳細を判明させたのは手に持った携帯ゲーム機である。
「……山羊さん」
「や、匠ちゃん。良かったら一緒に帰らん?」
強く否定はしない。沈黙は肯定となり、菊理は俺の歩みに合わせて動き始めた。家の近くに居たら登校時に遭遇している筈なので、多分何処かで別れるのだろう。
「保健室でサボってるんじゃ?」
「ゲームやってんのがバレて、追い出されたら途端に目立っちゃってさ。帰ろうかなと思ってた所に丁度匠ちゃんが来た訳なのよ」
「いや、そういう理屈ならどう考えても待ってただろ」
「あはは~バレた?」
気恥ずかしそうに笑いながら菊理は後頭部を掻いた。わざわざ俺を待つ辺り、ゲーム相手に相当餓えているようだ。成り行きで知り合った千歳でも誘えば同性という要素も相まって瞬く間に距離が縮まると思うのだが、もう帰ってしまったのだろうか。
―――まあ見かけて思わず助けただけの相手にその役目は重いか。
見かけて助けただけなのは俺も一緒だが、その辺りは彼女なりの線引きがあるのだろう。いじめのターゲットが俺に替わっても、どうでも良かったのでわざわざ彼女を責めるような真似はしなかったし。
「ながらゲームは確実に事故るからお断りしたいな」
「そう言わないでってば。何処か落ち着ける場所でもいいよッ」
「…………山羊さんよお。そんな回りくどい方法取らなくても、何か相談したい事があるなら聞くぞ?」
わざわざ外で固まってゲームをするとか、昔か。偉そうに言ってみたが中学までゲームのゲの字も知らなかった俺が言えた例えではない。それはともかく、現代のゲームは進歩したもので、オンライン機能が大体搭載されている。そこまで遊びたいなら連絡先は交換しているので時間を示し合わせて二人でゲームをやれば済む話だ。その発想に至らないという事は、他に用事があるか、馬鹿か。
菊理は多分、分かっている。互いにイジめられていた時期があったとはいえ、本格的に知り合ったのは保健室で出会ったあの日。ゲームに誘う以外に接点がないと思ったからこんな回りくどい真似をしているのだ。
彼女は困ったように口をすぼめて、目線を逸らした。
「ん~匠ちゃんにはお見通しか。参ったな。何か調子狂っちゃう」
「またイジめられてるとか?」
「それはないッ。お蔭様で今は普通な感じだよ。匠ちゃんの方はどうなのさ」
「俺の方も大丈夫。じゃあ何だ?」
「何か困ってる事があったら、言ってほしいなって思ってさ」
困ってる事は大いにある。ゲンガーの特定とか効率の良い解体方法とかゲンガーの正体とかゲンガーの起源とか侵略の阻止条件とか。しかしそれが何だ。菊理を頼れば全て解決出来るというのか? 俺は全くそうは思わないし、レイナに続いて彼女まで悪道に堕とそうとも思わない。
確かに『他人事』かもしれないが、だからと言って無暗に横暴になる様な行動は控えたい。『俺には関係ない』精神で自由になれば、いつか必ず、最悪の形でツケが回ってくる気がする。それだけだが、主観の判断材料には十分だった。
「何でそう思う?困ってる事があるって」
「匠ちゃんとはそんな付き合いなかったけど、同じいじめられっ子だったからかな、何か、分かんだよね。そういうの。あたしは凄くしんどい所を匠ちゃんに助けてもらったし、恩返しじゃないけど、何かしてやりたいじゃん」
そう思ってくれるのは有難いが、誰かと親密になるのもそれはそれで恐ろしい。話を聞いている限りでは彼女がゲンガーという可能性はなさそうだが、まだその実態を何も掴めずにいるのに断定するような真似は出来ない。
真剣に悩んでいると、不意に菊理が俺の肩を叩いた。
「って、やめてよもう! ほーらなんか湿っぽくなったー! そんな重く捉えんでもさ、世話焼きたいだけなんよあたしゃ。何でもいいから言ってみ。ほれほれ」
「んーじゃあ一つだけ」
「お! 何さ」
「何が起こっても、そのままの山羊さんで居てくれ」
マホさん程ではないにしろ、確実に大きな胸に手を置いて―――彼女は首を傾げた。
「それ、どういう?」
「そのままの山羊さんで居てくれって意味」
「かー! それじゃお願いになってないでしょうが!」
この状況で、この立ち位置でするお願いだ。俺の中では最上級に切実で、誠実な願いのつもりだ。これ以上絡まれるのも面倒だしと、俺は助走もなしにいきなり走り出した。
「あ、こら!」
出遅れた菊理を置き去りに、真っ直ぐ家の方向へ。
「何もする事ないじゃんか!」
「世話、焼かせろ!」
『私が弟君を世話するから、何も手出ししないで。口も挟まないで。自分の弟が壊れていくのはもう耐えられない』
いつぞや、姉貴が誰かに言った言葉を思い出した。
何だ。
シスコンとかそういう事ではないのだが。
少し、ドキっとした。
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