知識的病毒



 信じられない話だが、授業が耳に入る様になった



 マホさんとマンツーマンで勉強していた成果だろう。聞くつもりがないのに耳に入るというのは、即ち理解しようと思わなくても脳が半自動的に理解してくれるという事だ。率直に言って今日の主役は俺。化学だけはどうしても無理な側面もあったが、それ以外の授業における挙手たるや優秀な生徒のそれだった。


「……何か悪い物でも食べましたか?」


 国語の先生が引いていたのは、悲しむべきなのだろうか。クラスの間ではやはり俺が雇った正体不明の美人家庭教師のせいなのではという憶測(というより単なる事実)が広まり、休み時間が来る度に邪な男子共が写真を要求してきた。こんな事なら事前に撮影くらいしておくべきだったかもしれないが、何となく、完全に勘だが、断られるような気がしている。


 朱斗だけは純粋に成績向上を褒めてくれたが、邪念に満ちたクラスに居るととにかく相手するのが面倒で、構っていられない。



「お前等全員知らないと思うけど、朱斗ってデッサン得意だから絵でも描いてもらえ」


「―――ッ!? き、君って奴は僕を……!」



 そこから先は聞こえなかった。俺が彼女を生贄にしたのは昼休み。共犯者であるからには俺が一人で受ける艱難も分け合うべきで、つまり当たり前の権利を行使したまで。彼女からの怒りの声は煩悩に彩られた声を前に霧散。もみくちゃにされている矮躯に手を振って、俺は悠々と廊下に脱出した。



「うわあ。最低」


「友達売ったってマジ?」



 廊下の女子に罵られた気がするが、それは気のせい。この時間だと恐らく菊理がまたゲームで遊んでいるだろうから、そこで時間を潰してしまおうか。


「匠悟」


 レイナが階段からひょこっと顔を覗かせなければ、俺はいじめられっ子同盟に基づきゲームをしに行っていただろう。あまり部活以外で会うのは得策ではないのだが、前回みたいな事があると要らぬ勘違いをされそうなので、付き合うのも一興か。どの道時間を潰したいだけだし。


「どうした?」


「一緒に。弁当を。食べたいわ」


「いいよ」


 彼女の顔がぱぁッと輝いたのは一瞬の事だが、目の前に居て見逃す道理もない。寡黙美人が台無しだ。しかしこれはこれで良い傾向だし、女性の笑顔が好きなのは否めない。ぎこちない笑顔から生まれる可愛さもあると言いますか、千歳とは違う趣がある。


 個人的な趣向はさておき、便宜上『殺人』行為に手を染めてからレイナのメンタルには不安があった。明らかに慣れた様子の朱莉やひねくれ者の俺は何人殺しても心すら痛まないだろうが、悪党になっただけの彼女には辛いという弱音さえ強気な言葉だ。


 こうして、何か下らない気持ちに逸れてくれればその方がいい。近い内かは分からないが、どうせまたゲンガーを殺す事になるのだから。


「何処で食べようか」


「屋上」


「え」


 うちの高校の屋上は、恋人達が使う憩いの場として有名だ。少し前にエアガンの試射場みたいな使われ方をされていた気がするが、基本的にはそういう場所としての利用が主だ。誰が言い出したとかではないが、三年も高校に居れば自ずとしみついてくる常識だ。


 レイナも知らない訳がないのだが、弱気な本性とは裏腹に今は有無を言わせぬ圧力を発揮している。一部員でしかない俺には、到底逆らえない立場からのもの。


「あの……屋上は……」


「屋上」


「いや、だから」


「屋上」


「…………」


「二人きりで。食べたい」


 勝ち目がなかった。


 負け犬は負け犬らしく勝者に従うのみ。この時に限って強気なレイナに引っ張られて屋上へ昇る。先客さえいればまた強気に出られたが、最近の治安の悪さも相まってかそんなことをしようと思う人間は一人も居なかった。実行犯の俺達くらいだ。


「何か、そういう相談なら朱斗も呼んだ方がいいんじゃないか?」


「いいの。私は。貴方と。二人きりに。なりたかった」


 アブナい雰囲気だ。


 もしや恋愛面においてレイナは肉食系だったか。満更でもない気持ちがあるのは認めるが、風紀管理部が率先して風紀を乱しに行くのはどうなのだろう。膝の上でお弁当を開く彼女の動きは見ているだけでも美しい。育ちが良いのだろう、所作の一つ一つに上品さが窺える。



 育ちが良い奴は人殺しなんかしないって?



 それは俺のせいなので、関係ない。



「料理は自分が?」


「ええ」


「凄く美味しそうだ。結婚したら良い奥さんになれるぞ」


「はぅッ。そういうの。良くないわ。きっと。駄目よ」


「どうして?」



「人を。殺したから」


 レイナはあの日の出来事を想起するようにお天道様の方を見上げる。あちらもまた、罪人となった俺達を見ているのだろうか。見ているだけで何もしない役立たずめ。地獄に墜ちようとも俺はそんな漠然とした正義を許さない。


「ゲンガーを殺したんだ」


「大神君は。いつも部室に来てくれるけど。全然、人間らしいわ。時々。分からないの。不安になるの。ゲンガーか。人か」


 ゲンガーだからと言って身体から緑色の血が出る訳でも、人間の身体には存在しない器官がある訳でもない。山本ゲンガーを殺した時の感想だ。あれはきっと、人を殺した時と大差ない。とすれば彼女の不安や疑念は正しい。幾ら状況証拠が揃っていようとも、あの時殺したのはゲンガーではなく本物の人間だったのではないかと。


 果たしてそれを実感したのは解体の時だろう。刺し方が刺し方だったので、大方背中を開いて骨を砕きながら袋に纏め、臓器は絞って骨と同じ袋に詰めてあとは適当に肉体を切り刻んで。俺達は快楽の為に人を殺すシリアルキラーとは訳が違う。殺し方のバリエーションなどに興味はない。解体作業も死体遺棄の際に運びやすくする為だ。


 そこには効率性以外の理由などないが、普通の人から見れば流れ作業にも見える淡々とした工程が猶更そう感じさせられるのかもしれない。



 ―――良くない流れだ。



 話題を変えないと引きずられそうだ。


「お前はあれからゲームセンターに行ったか?」


「……え。何で。急に」


 学生の会話なんて唐突で結構。文脈なんてそう気にしなくても良い。雑談は国語の授業などではない。一字違えば伝える意思がまるっきり変わる文学ではない。多少の脱字誤字は勝手に相手の脳が保管してくれる。だから『い』ぬき言葉『ら』ぬき言葉なんて概念が生まれてしまう。


「あの時は邪魔したけど、楽しかったんだろ? まさか行ってないのか!?」


「だ。だって。そんな気分じゃ」


「そんな気分じゃないのをそんな気分にする為の場所ですゲームセンターは! 一段落はしたんだし好きなだけもぐら叩きすればいいさ。誰かが居ないと恥ずかしいなら同行するよ」


「それは。嫌。匠悟は。悪戯してくる」


「はははそれは職務怠慢を注意したまでの事だぜ。でもあの時のレイナ可愛かったし、もう一回やるかも」


「か、かわ―――?」



「あの時はちょっと遠慮したけど、後ろから胸を掴んだりしたらどんな声出すのかなあ」



 隣り合ってベンチに座っていた筈だが、気づけば両者の間に大きな空間が生まれていた。


「へ。変態! えっち!」


「あーもう可愛いなあ。いやあそれにしてもレイナ部長は迂闊なもんで。恋人でもない男と二人きりの空間に居るとか、何されてもいいって思ってます?」


「~ッ! か。勘違い! 自意識過剰! か。かわわわ。かわわわわわ―――! 美子にもそんな風に。揶揄ってたのッ」


「いやあ美子は身持ちが固くて。恋人だったけど友達の延長線みたいな感じだったかもしれない」


「……そう。なの」


 そう、だった。


 今の発言に矛盾するみたいだが、俺は本気で彼女と結婚するつもりだったし、将来の事も考えていた。今は全てが白紙だが、あれが友達の延長線ならば、最早俺にとっての友達は全員恋人であり、とうの昔にハーレムを作っていた事になる。


 興味がない訳ではないが、こういう発想を俗に気持ち悪いと言う。男子諸君は覚えておけ。


「そそ。まあ恋愛って切り替えが大切だから。美子の事は良い思い出として終わらせてるよ。今は身持ちの固くなさそうなお前の相手してる方が楽しい」


「し、失礼ね! 私は。誰にだって。心を。許してる訳じゃ」


「知ってる。だから普段は喋らないんだろ」


 危うく褒め殺しにされかけていたのをたった一言で脱出。真っ赤になって反論していた彼女は何処にも居ない。人死にさえ関わらなければ気持ちの切り替えは早いようだ。或はそれが『人間らしさ』? 『普通』という二文字は、言外に多くの意味を含んでいるらしい。


「……ずるい」


「何が?」


「一方的に知ってるのは。ずるいわ。匠悟の事。もっと知りたいのに」


「あー……それは、二人で勉強してる時に朱斗から聞けばいいだろ。中学までの俺なら知ってるから」


「それ以前。は?」


「いじらしい感じでお願いしてくれたら考える」


「いじ。らしいって何なの?」


「健気で可憐って意味だ。要するにいつものお前だな」


「はぅッ。そ。そんな目で。見てるの?」


 下世話な言葉で警戒心を持たせたのに、ちょっと褒めたらすぐこれだ。言葉上は嫌がっている癖に、食い気味にそんな事を尋ねるなんて。






「レイナって臆病な癖にエロエロだよな」






 本心からの言葉を口にすると、彼女はこれ以上ないくらい顔を赤くして。


「ほわああああああああああああああああああ!??」


 己の内面を否定するのだった。



 

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