シのない世界

 昼休みに二回目があるならレイナを誘っても良かったのだが残り数分とない時間に交えても会話は高が知れている。チャイムが鳴った瞬間、レイナは落胆気味に自分のクラスへと戻っていった。部活中でなければ寡黙系美人で通っている彼女の行動は少なからず波紋を広げており、何故か男子共には俺が弱みを握っているのではと言われる事になった。持っていない訳でないのが辛い。

 男子達は冗談半分にエロいお願いをするつもりらしいが、彼女の弱み……否、俺達の弱みはそういうテンションで乗り切れるものではない。一般的に殺人罪と呼ばれる大変重い罪を犯している。彼女とはその上でお互い様と割り切っているので売るつもりはない。確かにあの弱みを握られたらどんな事でもしてしまいそうだが―――本当にそんな真似をするつもりなら、俺がそいつを殺そう。人間かどうかなど知った事じゃない。



 人間を殺そうが、ゲンガーを殺そうが、俺にとっては『他人事』だ。



 ゲンガーの方に殺す理由があるから間違いがない様にしているだけで。人間の方に殺す理由があるなら俺は殺す。レイナには勿論嘘を吐いて。心が腐っているらしい俺に誠実さなど求めるな。そこに正当な理由があるなら嘘だって吐くし本当の悪にだってなろう。

「今日もお前等は勉強会か?」

「まあ、あんな顔されたら私だけでも付き合わないとね……家庭教師の件、漏らしていい?」

「全然強請りネタになってないぞ。もうクラスにバラした癖に。勝手にしてくれ」

「ふふふ。どんな顔をするかな」

「普通の顔だと思うわ」

 過保護な親じゃあるまいし。レイナはどこぞの朱莉とは違う。今度は引き留められる事もなく直帰を果たそうとしたが、その前に一度だけ保健室に寄ってみた。流石に菊理は居ない。彼女も帰ったのだろう。ほんの少しならゲームに付き合うつもりだったが居ないなら仕方がない。

 昇降口を抜けて校門へ差し掛かると、弓道部室の横で三人がただ事ならぬ様子で揉めていた。何人かはその騒動に気付いているようだが関わり合いになりたくないのか避けている。面倒事は誰だって御免だ。

 俺も、避けたかった。


「そいつは話がおかしいだろお! この子はたった今断ったじゃんかッ。デートの約束なんて取り付けようとしてキスまで迫るって何考えてんのさ!」

「あ、あの……?」

「千歳ちゃんは僕の事が好きなんだよッ。何処の誰か知らないけど先輩の僕に楯突くなッ!」

「あたしは三年生だよッ」

「先輩だからってプライベートの侵害はいかがなものか!」


 二人が関与していなければ。

 しかもぐっだぐだの言い合いが繰り返されて終わりが見えない。話を聞いていると被害者は千歳っぽいが、複雑化したトラブルに最早当人は蚊帳の外であった。仲裁を試みようとしているのが良い証拠だ。菊理が虐められていた原因が分かった気がする。


 ―――火種に自分から突っ込むとかヤバいぜお前。


 イジメの原因なんて俺は聞かなかったが、誰かを助けようと割り込んだとかその辺りに違いない。手違いだったのは彼女の前のいじめられっ子が味方をしなかった事で、俺が来るまでずっと損を被っていた事だろう。

「はーいストップストップ。そこの二年生の君、名前は?」

「は? ……誰ですか?」

「ああ、草延匠悟って三年生だ。そっちは?」

 高木、というらしい。

「そうか高木君。自己紹介し合ったから俺達はもう恋人同士だ。一緒に帰ろうじゃないか」

「―――は?」

 三人の空気が、絶対零度に固定される。気にせず後輩を奥の壁まで押し込むと、目と鼻の先まで顔を近づけて吐息をかけた。

「君、可愛い唇してるじゃん。キスしてやろう」

「ひっ―――うわあああああああああああ! 変態だアアアアアアアアアアア!」

 弓道部室を迂回して二年生の高木君は去っていった。得も言われぬ風評被害を被った気もするが、『他人事』なので気にしない。変態を演じるのは二回目か。振り返って―――距離を縮めるべきか悩んでいると、二人の方から歩み寄って来た。

「匠ちゃん、アンタまさか両方行けるクチか!?」

「センパイ、有難うございましたッ。助けてもらっておいて何ですけど、やっぱりもっと良い方法があったと思います」

「うーん。それはその通り」

 今の俺の風評被害を纏めるなら後輩女子のパンツを覗き見る同性愛の肉食系男子か。いやはや何とも罪深い男だ。その気も無いししていないのにわざわざ損だけを被りに来るとは。何処かの男性誌に『これから人気なのは冤罪系男子』という特集を組んでくれたら確実に俺がトップを飾れる。

「告白?」

「はい。でも断ったら……襲われて。そこをヤギ先輩に助けていただいたんです」

「あれは緊急事態だったんだ、許しておくれ火翠ちゃん。本当、プライベートな事に首を突っ込むべきじゃないってのはそうだと思う。どう見ても嫌がってる感じだったからさ……」

「そんな! 気になさらないで下さい。私も怖かったので……あんな乱暴な告白する人も居るんですね」

「『も』って事は初めてじゃないのか」

「今月で六回目ですね。好きな人が居ないのでいつもお断りさせて頂いているんですけど。『好きな人が居ないなら俺を好きになれ!』とか『うるせー口だな』とか、個性的な言葉で告白してくる人が多いです。なるべく傷つけないようにはしてるんですけど、断ってから付き纏ってくる人が多いって言うか……」

 魔性の女過ぎる後輩、千歳。

 可愛いのは分かるがそこまでの魅力があるかと言われたら首を傾げたい。タイプが違うではないか。彼女はどちらかと言えば背中を追いかけてくるタイプで、大変失礼だが『魔性』と呼ぶのに相応しい色気を持つ女性は学校に存在しない。偏見だ。現に千歳は困っている。

「火翠ちゃん、優しく断り過ぎてるんじゃない? まだワンチャンあるかもって思われたらそら付き纏われるよ」

「一理あるが、そこは俺達が口を挟む場所でもないだろ。まあしかしさっきの男は俺のせいで近寄れないだろうな。俺に感謝したまえ後輩」

「はい! センパイが一番優しいですッ」

 偽悪的に振舞ったつもりだが、弾けるような笑顔で純真な感謝を述べられると反応に困る。もう少しおふざけというものを理解してくれないとやりにくい。その純粋さを何よりも尊いと思ってはいるが……真っ直ぐな気持ちは、どう返したらいいやら。

「ん? それってあれかい? 火翠ちゃんの知ってる男の人で匠ちゃんが一番優しいって意味?」

「はい。私が部員とかを除いたら接点を作らないっていうのはあると思いますけど」

 菊理は後輩の肩に手を回すと、ずいっと背中を押して俺の目の前まで連れてきた。身長差と距離の関係で少し顎を引かないと顔が見切れる。

「良かったな匠ちゃん! 今告れば成功するぜ?」

「勘違いが過ぎるッ 僕の目を見て笑った、消しゴム貸してくれた、班作成の時誘ってくれた、褒めてくれた、席を貸してくれた。そういう些細な切っ掛けを理由に好きになると厄介の元だ。私、そんなつもりじゃなかったって言われて一番傷つくの本人だからな?」

「うふふふッ。経験がある言い方ですね?」

「うちの男子の一部はそんな感じだから」

「うわあ。匠ちゃんとこの闇を見た気がするぜ……」

 闇という程の大袈裟なものではない。筈。


 …………。


「あっ! 早く帰らないと大変だ!」

「なになになにッ? どうしたのよ」

「いや、家庭教師が待ってる筈だから、道草は不味いなと思って」

「そんな事情が……すみません。私のせいで」

「火翠ちゃん。謝るこたぁないよ。匠ちゃんは多分気にしてないから」

 理解度が高くて助かる。二人への別れも程々に、俺は全力で帰路に着いた。  


   



















「恥ずかしながら帰ってまいりました!」

「何処に行ってたんだ、君は」

 玄関を開けたと思ったらマホさんが腕を組んで待っていた。しかし胸の上で組むのは難しいのか胸の下で組んでいるのが印象的……じゃなくて。

「……待ってたんですか?」

「別に。用があったから立ってただけだよ」

「用って?」

「楽な格好に着替えたら勉強の続きを始めようか。ほら、行った行った」

 まさかの無視。

 真っ直ぐな気持ちの次は捻くれた善意を受け取ってしまい、俺の脳みそが混乱している。感情を処理出来ない。リビングに戻るマホさんを横目に過ぎつつ階段を上って自分の部屋へ。


 今日一日を振り返ってみると、怪しい動きをした人物はいなかった。


 案外、奴等のステルス能力も侮れない。テスト中なので発見しても殺害までには至らないが、近くに居るなら目星だけでもつけておきたかった。テレビではやはりというべきか一日中誤報について報道されている。これも一種のなり替わりか。『報道』がゲンガー色に染め上げられている。食べ歩きであったりバラエティであったり、娯楽番組がこんなに有難いと思った日はない……いや、それは言い過ぎだ。中学生になって初めてテレビというものを見た時が一番感動した。何事も最初が頂点に君臨するものだ。

 今日も一人、誰かの死が誤報になった。

 そんな事件を報道するメディアにも問題がありそうだが、有名人が死ねばそうもいかない。そして結局誤報になる。誤報について原因を探る特集が組まれる。誤報したメディアについて語るメディアが誤報する。この繰り返し。

 ―――やばいよなあ。

 世界中で利用されているSNSで声を聞けば明らかだ。誤報に善も悪も右も左もないので、このトレンドにおいては純粋な声だけが聞こえる。




 みんな、誰かの死に興味を示さなくなってきている。




 それは声が大きいだけでまだ、極一部かもしれない。しかし食傷気味な死は、確実に人々を無関心へと追いやっていた。

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