点数上の対立
「ねえ匠君。君は僕達の戦いを忘れた訳じゃないだろうね」
テスト一週間前は一部を除いて部活がなくなる。具体的には部活が無くても活動に支障がない部活が。風紀管理部は秩序機構の一端を担っているが裏方の立場上、休止せざるを得ない。と言っても集まる事までは禁止されていないので部活メンバーで勉強会、という様な名目なら相変わらず部室は借りられる。
何故朱斗に問い詰められているかというとその誘いを断ったからだ。数学の授業をほぼサボった事も含めて、遂に堪忍袋が爆発したようだ。
「テストの点数が高かった人が名前を決められる。そういう約束でしょ。これじゃフェアじゃないよ」
「アンフェアな方がそっちに有利だし別に良くないか?」
「……アンフェアな勝負ゲームに面白さなんてないよ。僕達は対等な条件で勝負するべきだ。同じ学習をして同じくらい勉強する。それがフェアってものじゃない?」
「平等な条件で戦ったら俺の地頭が悪いのバレるだろうがッ」
「そんなに悪くはないと思うけど。心配ならこっそり教えてあげてもいいけど?」
「それもフェアじゃないぞ。どうせ命名権を要求されるんだから俺のメリットが成績の向上しかない」
「あーバレちった。まあそっちはいいとして、勉強会くらいいいでしょ? 三人で牽制しあってバチバチ勉強するのって戦いっぽくない?」
「そう言われてもなあ……姉貴が家庭教師呼んでくれたから」
姉貴を出すと朱斗の語気が一気に弱まる。苦手意識とかではなく、友達と家族という関係には決定的な隔たりがあり、それを乗り越えられないと知っているからだ。時刻は午後四時。早い奴はとっくに勉強を始めているか帰りの最中か。姉貴が呼んだからとはいえ善意から来てくれるような人に対して失礼な真似はしたくない。遅刻はどう考えても失礼だろう。
彼女は一瞬だけ瞳の奥を潤ませたが、沈黙をして感情を遮断しているとやけくそになって俺を軽く突き飛ばした。
「ばっきゃろー! 後悔すんじゃねえぞッ。テストが終わるまで僕達は全員敵同士だかんな!」
分かっている。
俺が相対するのは秀才と奇才だ。真面目に勉強してる奴と何故か点数操作が出来る奴。フェアだ何だと言っていたが、土台から違うのに何がフェアだ。そういうやり口は悪平等というのだ。廊下の奥で朱斗がこちらに向かってあっかんべーをしていた。いい加減階段を下りた方がいい。たまたますれ違った後輩が変な目で見ている。
―――保健室での悪行がバレてたらもっと怒られてたな。
無条件にゲームで遊べる友達はこの時期においてとても貴重だ。朱斗とは表面上悪友を続けているが、ゲンガーを知って以降、明確に関係性が変わったのを感じる。共犯者に不快感は無い。ストレスもないし、不満もない。ただ、関係が置き換わったという事は、かつての立場に空きが生まれたという事でもある。
『これも何かの縁だし、連絡先交換しようよ。匠ちゃんがその気なら幾らでもゲームに付き合うぜ?』
等と言われて押し切られた。後悔はない。
年上が好きなのか、俺は?
年上というか、何かと世話を焼いてくれるタイプというか。考えてもみれば美子ゲンガーもそんな感じだった。『他人事』の視点に立ちすぎた結果、自分の好みすら分からなくなるとは何という灯台下暗し。でも、菊理と話してるのは悪い気がしない。便宜上殺人と呼ぶしかない行為を強制されていると猶更にそう思う。
誰かが日常に居てくれないと、俺は転落し続ける気がする。朱莉は端からこっち側で、レイナは俺が悪道に堕としてしまった。姉貴は多分その中間に居て、千歳と菊理だけが今の所、光の下を歩いている。
どんどんゲンガーと戦う理由が増えるのは悪い事ではない。モチベーションは大切だ。しかし理由が増えればそれだけ弱点が増える。どうせ何を言っても無駄だろうが、侵略をやめてもらえまいか。せめて俺の周りだけは。
一人で帰るのは久しぶりな気がした。ゲンガー捜索やら風紀管理部やら、誰かと行動を共にする機関があまりに多すぎた。何の後腐れもなく、何の都合も無く一人で帰ってみるとよく分かった。
―――寂しい。
俺は子供だった。実年齢に精神が追いついていないと言っても良い。『他人事』に孤独を語り、誰も慰めない現状に愚痴を吐く。最低だ。人の温かさを望みながら、それを拒絶する自分が居る。良く分からない。『自分』の事は。『他人じぶん』の事はよく分からない。
「ただいま」
姉貴の居ない家の中で、空しい声を響かせる。菊理と遊んだのは不味かった。一時は楽しかったせいで心の中に落差が生まれてしまった。
本当に、今日の俺はどうかしてしまった。
「君が、ヒメの弟?」
不審者にしては美し過ぎる女性が、リビングで目を閉じていた。俺の来訪に伴って双眸が開く。
ストレートに伸びた黒髪は夜のように黒く。こちらを射捉える瞳は鷹のように鋭い。しかしそこに敵意は無く、どちらかと言えば仲間を歓迎するような優しさを感じる。当然知り合いなどではないが、姉貴の事だ。会話の流れで俺を出しても無理はない。
「………………あ。はい」
女性を見て声を失ったのは初めての経験だった。何かが俺の知る人と違う。レイナや千歳など、美人とされる多くの人間は距離感が近かった。接触するだけなら壁を必要としない。或は寡黙状態のレイナしか知らなかったなら同じ感想を抱いたかもしれないがそうはならなかった。
それとも、あれだ。美人という言葉を多用し過ぎて誤用していた可能性がある。俺の知る美人は可愛い人達で、真の美人は文字通り美しいという感想以外出て来ない。失礼かもしれないが、俺はリビングでくつろぐ黒い天使に釘付けになっていた。
―――神話じゃなかったのか。
姉より胸が大きい人間を俺は知らなかった。人生経験の不足と言えばそれまでだが、フィクションの一種であるとさえ思っていた。恐らく今までの順位で言えば姉貴の次が菊理で、次がレイナ、千歳と続いて最後に朱莉。一位と二位にはかなりの差がある。
そんな絶対王者よりも二回り以上大きいとなると、どうしても目を引いてしまう。それでいて何故腰が細くなる、姉貴は『色々大変な事がある』と言っていたが、そういう事なら目の前の女性は更に苦労しているのだろう。
「……あのー」
「は。はい」
「うん。反応したね。胸を見過ぎ。視線で分かるよ」
「す。すみません」
住む世界が違うのではと想いながら、女性との会話をぎこちなく続ける。そこはかとなくレイナっぽい。『他人事』として考えても、何か妙だ。まるで鏡を見ているよう。何を言いたいのか分からないと思うが、この女性に対してだけは冷静なやり取りが出来ない。
マホは慣れっこなのか謝罪を気にも留めず、話を続ける。
「ん。もう聞いてると思うけど、私が家庭教師ね。ヒメが帰ってくるまで君のお世話も頼まれてる。勉強する前に聞きたいんだけど、テストでどれくらい取りたいの?」
「……全教科満点」
「分かった」
ハッタリというか、無謀というか。高校生まで生きてれば嫌でも自分の知力というものを理解してしまう。それは無理だろうと思う自分が居て、その上で言ってみたら頷かれてしまった。マホは明後日の方向に目を流して考え込んだ後、指を二本立てた。
「君には二つの選択肢があります。楽して点数を取る方法と真面目に点数を取る方法。どっちがいい?」
「楽する方法」
「素直ね。分かった」
立ち上がるだけでも胸が揺れるってマジ?
二度目の失礼も気に留めず、マホはマジックのように何処からかエプロンを取り出した。
「取り敢えず、ご飯にしようか。勉強はその後で」
慣れた手つきで彼女が髪を縛る中、おそるおそる俺が尋ねる。姉貴の知り合いという事で、どうしても確認したい事があった。
「料理、出来るんですか?」
類は友を呼ぶとも言われている。テロうりを作る姉貴の周りに集うのは如何に美人でスタイルが良くても、壊滅的な腕前の持ち主に違いないという偏見があった。マホは「ああー」と言って俺の心情を汲んだ様子。
「ヒメよりは大丈夫。体調は崩さないよ」
「…………」
「心配? ならリクエストを聞くよ。何が良い?」
「―――じゃあ、ハンバーグで」
「いいよ。じゃあ申し訳ないけど、ほんの少しだけ待っててくれる? それと台所使わせてもらうね?」
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