おおかみが笑った

 夜とはいえ堂々と殺しに来るとは見上げた根性だ。そこまでして見立て殺人を行いたいか。実を言えば俺の推理では説明しきれない状況が存在するが、何にせよ今の幸人は放っておけば確実に大神君を殺す。動機はどうあれ彼がゲンガーなのは間違いない。

 だから、殺す。

「貴方は、おおかみでしょうか」

 別方向から接近していた大神幸人の前に飛び出して、そう尋ねる。突然現れた不審者の存在に常人なら防犯教室で習うような対応をするだろうが、相手にも後ろめたい事情があるのだろう。怯みこそしたが、それだけで逃げるつもりはないらしい。

「誰ですか?」

 大神弟は俺達を知らない。

 だから声を聴いても他人だ。ゲンガーを殺す時はこういう所でも細心の注意を払いたい。ゲンガーは基本的に連携が取れないらしいが、もし情報を共有されたら逆にこちらが嵌められる可能性もある。

「おおかみは、殺さなくてはいけません。死ななくてはなりません。分かりますね、獣の呪いに穢された一族よ」

 コートの下から斧を取り出し、両手でしっかりと構える。片手でも使えるが、振りが雑になりそうなので圧力にならないと考えた。幸人君は今度こそ自分の置かれている状況を知って、またもう一歩後ずさる。

「抵抗しないなら、優しく殺します。それが狩人としての僕の務めです」

「―――もしかして貴方が、両親を殺したんですか……?」

 ん?

 ああ、そういう事か。引っかかる所だった。『おおかみ』は嘘を吐く。ゲンガーも本物らしさの為に嘘でなり切る。大神幸人はこの件を知っていてはいけない。自然体でなければいけない。家に帰らないのは全く関係ない別の事情で、今は両親を殺した人間を探していたとかそんな所だろうか。


 ―――乗ろう。


 飽くまで被害者を演じるつもりなら、こちらも飽くまで襲撃者となり切ろう。その方が狩人っぽい。見立て殺人を行うゲンガーを殺すには丁度いいシチュエーションだ。

「ああ、その通りです」

「俺は、殺されないからな!」

 不意に幸人君が背を向けて真後ろに走り抜けようとしたが、襲撃者が俺一人だと思ったのが運の尽きだ。同じように進路を朱莉―――デモンが塞いで、逃げ道の一つを断つ。

「おお~かみが~くるー。人を食べる~悪いおおかみが~」

「……うッ!」

 歌のセンスは壊滅的だが、恐怖を与えるのには成功した。間髪入れずにデモンは家から持ち出したであろう包丁を一閃。咄嗟に顔を防御した腕を切り裂き、出血を引き起こす。幸人―――おおかみは堪らず残った逃走ルートを選んで逃げだした。


『デモンは側面を潰し続けろ。ゴーストは待ち伏せをアピールして安全な進路を選ばせるな。しくじるなよ』

『ネームレスは?』

『追い立てる。夜の鬼ごっこだ』


 夜と言っても深夜ではない。人通りも加味するならもう少し遅い時間帯が望ましかったがこればかりはおおかみの都合なので我儘は通せない。それと、あまり時間が遅いとかえって見回りをされている可能性がある。警察だって馬鹿じゃない。犯罪の起きやすい時間帯くらい目を付けている筈だ。

 今回の鬼ごっこは、おおかみが誰にも頼らない前提の追いかけっこになる。一見するとリスクが高い様に見えるが、前回の二人組襲撃と今回の家族殺人も含めて警察は彼を探しているだろう。俺達に殺されたくないからと警察を頼ればあえなく誤用。俺達はノーマークなので逃げればそこで終わりだ。デモンが怪我させてしまったので俺達の存在自体は認められるだろうが、それなら保護の名目も追加でやはり逮捕されるしかない。

 ゲンガーは侵略者の癖に平和主義。面倒事を嫌う。その性質を信じるなら逮捕もまた避けるべき状況。彼が頼れるとすれば事情を知らない民間人だが、救世人教を皮切りとして最近の治安はゲンガーという事情を差し引いてもおかしいので、夜間の外出は自然と減っている。仮に外出したとしてもその人だって警戒はしている訳で。

 面倒事を嫌うのはゲンガーだけではなく人間もだ。誰かに追われている状況を見て助けようなんて、特に今の時期は誰も思わない。自分もまきこまれたら嫌だから、と。

「田舎育ちを舐めるなよ……」

 多少重い道具を持っているからと言って支障はない。中学生と高校生とでは体格差も出る。おおかみとの差は直線を通る度に縮まっていった。信号無視、道路横断、住居侵入。緊急避難の一環かあらゆる手段で振り切ろうとしてくるが人通りが少ないならほぼ意味を為していない。車の進行を妨害しようものならクラクションを鳴らされるのは自明であり、その場合現在地の把握も容易くなって心理的余裕もなくなるので一石二鳥だ。早速三十メートル先で早速交通事故が起きそうになった。

 車の所有者には申し訳ないが、交通事故で死んでくれるならそっちの方が早上がりまである。

「殺されない! ぜった、絶対いいいいいい…………」

 火事場の馬鹿力という奴だろうか。想定よりもずっと長くおおかみは全力で走っている。こちらは少しペースを落とさないと何処かで転びそうだ。


『デモン。俺のルートを引き継ぎ頼んだ」。こっちはお前のを引き継ぐ』

『チェンジだね。オーケー』


 軽く息を整えて再出発。横に伸びた道小道を抜けてまた走り出した。途中、歩道橋の上で俯瞰的に三人の動きを観察してみると、、度重なる交通事故未遂とも言える無茶な逃げ方のせいだろう。恐ろしく順調におおかみは追い込まれていた。

 事前に憶えた地図によるとたった今彼が入った路地の正面と背後を潰すと使える道は側面のみ。しかもそこは道というよりも室外機が並ぶ建物同士の隙間みたいな通り道だ。その先にはまた大通りが繋がっているが、体力は決して無尽蔵ではない。幾ら火事場の馬鹿力と言っても潜在能力には限界がある。

 休みたいだろう。隠れたいだろう。



 そう思ったなら、正面にある廃ホテルに飛び込むべきだ。足元は保障出来ないが隠れる場所が幾つもある。



『ここまでは予定通り。ネームレスはどうする?』

『予定通り追い込んでくれ。俺も向かう』


 鉢合わせするのは最も避けたい事態だ。逃げ場所がないと分かったら死ぬのを覚悟で突っ込んでくる未来が視えている。殺す手間が省けるだけそれは有難いのだが、山本ゲンガーのように死体が消えてくれるというようなことはないだろう。

 道端で殺せば、誰かが目撃する可能性がある。

 こんな場所には無かった筈だが、監視カメラに映る可能性もある。

 何にせよ外では殺したくない。だから敢えて、ゆっくりと歩く。さながらそれは観光気分。今日泊まるホテルはどんなものなのかと心を躍らせ、足取り軽く目的地を目指す。到着するのに十五分も掛かったが、お蔭で最悪は免れた。ホテル前には二人が待機している。

「……はぁ。はぁあ~。警察と出会わなかったのは幸運だったな。交番や警察署からは遠ざかるように追い込んだとはいえ、巡回ばかりは仕方ないし」

「何か。あったのかな」

「何かって?」

「こんなに。走り回って……はぁ。誰も見てない。声を掛けない……はあ。は。おかしいわ」

 三人寄れば文殊の知恵とも言うが、この幸運に明確な答えは出せなさそうだ。そう言われると俺も作為的ないしは与り知らぬハプニングを感じるが、気にしても仕方がない。あまり深刻に受け止めてもどうにもならないし、『他人事』として素直に幸運だったと思えばいい。

「このホテルにはどんな仕掛けがあるの?」

「仕掛け?」

「うん。だから実行が夜になったんでしょ? 僕は何も知らされてないけど、それくらいは分かるよ」

「いや、何も無いけど」

 夜の闇に空虚な沈黙が流れるが、さっきも言った通り時間的都合はおおかみの裁量にあるのでこちらからはどうしようもない。真性の馬鹿なら警察が来ていた最中にでも突っ込んできただろう。なので仕込む時間とかは無かった。強いて言えば追い込みルートの下見と最終殺害地点を決めていただけだ。それも夜までかからなかった……かける訳にはいかなかったし(二人に共有する時間が足りなくなる)。

「裏口は元々開かないというか通れないから袋小路に変わりはない。さっきデモンが腕を切っただろ。その状態であれだけ走ったら失血のツケをそろそろ払わなくちゃいけない。何部屋あろうが直ぐに分かるさ」

「残念ながら、出血は初期地点くらいにしかないだろうね。僕とネームレスが役割を入れ替えた時に勿論追い立てるから後ろについた訳だけど。血が流れてなかったし」

「それも。ゲンガーの。力?」

「いや、そういう異能力は『本物』っぽくないし見破られる可能性が高くなるから獲得しないんだよ。人間にそういう力はないからね。だから走りながら道具を使って出血を抑え込んでいたんだと思う」

「それでも痕跡としての血を隠せるくらいで現実的な失血はどうにもなってない。あれだけ走ったら傷口が開いて出血が酷くなった可能性もある。事実はどうあれこちらにとって最大限都合が悪い状態でもおおかみは弱ってる。狙い時だ」

 そろそろ幕引きだ。その際にレイナがゲンガーを殺せるかは分からない。殺せなくても、俺は責めない。それが普通なのはよく分かっている。自分の手で殺した感覚を『他人事』で済ますなんて出来ないのだ。




 俺を先頭に三人でホテルに入ると、無人の気配が埃っぽい空気と共に俺達を歓迎した。このホテルには四階まであるが、失血を考慮すれば悠長に階段を上ったとは思えない。いるとして、一階か二階。


 ―――あぶり出すか。


 二人を二階に行かせてから、俺は再び斧を両手で構えた。そして入り口に一番近い部屋の扉目掛けて全力で振るう。

「ひとぉーつ」

 バアンッと破砕音が響き、一階全体が振動する。手応えはない。斧を抜いて隣の扉にフルスイング。これも反応がない。

「ふたぁーつ」

 更にその隣を、その隣を、その隣を、その隣を。叩いて叩いて叩いて叩いて反応がない。一階にはいないのかもしれないと思い始めたが、それは全ての部屋を試してから結論付けなければ。

「ななーつ」

 近所迷惑もお構いなしにもう一度。渾身の力を籠めて扉の表面に斧を突き立て破砕する。手応えは…………どうだろう。微かに息を呑む音が聞こえたのは気のせいだろうか。斧を引っこ抜いて中を覗くも、誰も見えない。

 部屋の構造上死角が存在するので、まだ気のせいとは言い切れない。



「みーつーけた」



 俺はもう一度、扉へ向けて一撃を放った。

「見つけた。見つけた。見つけた。見つけた。おおかみを。殺さなきゃ。おおかみを。殺さなきゃ。おおかみを。殺さなきゃ」

 木製の扉は朽ちている筈だが、それでも随分頑丈だ。廃墟になっているのにまだ残っている理由とでも言おうか。薪割りの要領で何度も何度も斧を振り下ろしても一部を破壊するだけで時間がかかる。完全破壊に至るまでに五十回以上振った。それでようやく、壁は取り除かれた。すっかり崩れ落ちた木片を踏みしめて、廊下から死角だった場所の確認を―――


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 それは決して不意打ちではなかったが、涙で顔をくしゃくしゃに歪ませながら突っ込んでくる少年の姿に、俺が怯んでしまった。ささくれだった角材で斧を叩き落とされ、即座に振り上げられた先端が顎に引っかかった。

「う……ッ!」

「しね! しね! しね! しね! しねええええ!」

 好機とばかりに角材が叩き込まれる。俺も咄嗟に前蹴りで反撃したつもりだったが極限状態に陥ったせいか意にも介していない。腕への殴打がガードを下げさせ、五撃目が遂に左肩へ命中した。

「がああああああああああああああっ!」

 クソッ。

 反応出来なかった俺のミスだ。所詮素人という訳か。喧嘩自慢でもないから動体視力は人並みだ。それが敗因――――――いや。これ以上痛めつけられるのはごめんだ。負けを認めて殺されるより前に、これ以上の攻撃を止めなければ。

「ちょ、ちょっと待て。待て。待って! 俺は、俺は」

「しねえええええええ!」





「俺はゲンガーだ!」





 その一言にどれだけの効果があったかは分からない。しかし確実に、次の一撃を止めた。


 結果、駆け付けたレイナの一撃が間に合った。


「あ。ああ。ああ…………ッ」

 衝動的な行動からか、レイナが凶器を手放して入り口の方へ逃げる。致命傷を負ったおおかみがゆっくりと俺の方向へ倒れてきた。死にかけの身体を抱き留めると、彼の背中には匕首―――俗にドスと呼ばれる短刀が突き刺さっていた。まだ息はあるようだが死ぬのは時間の問題だろう。多分、この栓を抜いてしまえば、直ぐに。

「―――有難う。助かった。恰好悪い所見られたな」

「し。し。し。匠悟。わ。わた。し」

「初めて人を……いや、ゲンガーを殺したな」

 もう、戻れない。

 それは言葉にするまでもなく。たった今刃物を突き立てたレイナが分かっているだろう。ならばわざわざ二度言い聞かせたりはすまい。俺はたった今返り討ちにあって、正に殺されかけていた瞬間を助けられたのだし。

「匠君ッ」

 遅れて朱莉が飛び込んできた。俺にのりかかるおおかみの身体を引き剥がし、無抵抗なのを良い事に抱きしめてきた。

「……肩は、骨折とかはなさそうだね。でも暫く安静にした方がいい。いや、今からでも休むべきだ。この後の事は僕がやるから」

「―――すまん。今回は頼らせてもらう」

 安堵をきっかけに激痛を自覚する。穢れ仕事を彼女にだけ任せられないなんて、かっこいいセリフの一つでも言えれば良かったが。痛いものは痛い。骨折はなくても痣はあるだろう。何となく分かる。

 やっぱり、痛いのは嫌いだ。

 少し離れた所で震えていたレイナが、這いつくばって俺に寄ってきた。その間に朱莉は背部の匕首を抜いて、付着した血液を何やら真面目な顔で眺めている。

「…………匠悟。怪我。ない?」

「これを見て怪我がないって言えるなら、お花畑だ」

 緩やかに伸びた手が、冷え込んだ俺の左手を握りしめる。指を絡めて、濃厚に。

「地獄に。落ちるなら。一緒よ」

「…………そう、だな」






















 死体の解体が終わるまでの間、俺は廊下で携帯を弄りながら待機していた。千歳にメールすれば平和な返事が返ってくるだろうが、今はそんな気分になれない。骨折してないのは嘘ではないかというくらい肩が痛い。湿布でどうにかなるならいいのだが、最悪は今動かさなければいけないので軽傷でいてもらいたい。朱莉が主導してはいるだろうが、レイナに死体の解体まで任せたくはなかった。あまり時間がかかるようなら俺が代わろう。

 丁度そんな時だった。電話が掛かってきたのは。相手は大神邦人。俺の後輩だ。別れる直前に『もし本物を見つけたら電話が欲しい』と言っておいたので、つまりそういう事でいいのか。


『……もしもし』

『あ、匠悟さん。偽物はやっつけたんですか?』

 彼はゲンガーを心霊現象か何かと考えている。決して俺達の手口を知っている訳ではない。やっつけるなんて生ぬるい言い方なのはそのせいだ。

『ついさっきな。もう大丈夫だ。そっちは見つかったのか?」

「ええ! 後は俺だけです』


 ―――ん?


『なあ。弟君はどういう状態だ? 無事ではないと思うんだが』



『さっき頭を潰しました。俺が死ねば呪いは解けるんでしょうかね。偽物が居なくなったならこっちの幸人が本物だろうし、大丈夫か。ではさようなら』



『ッ。大神君ッ。おいちょっとまー――!』  


 通話が、終了した。

 外からの大声を受けて、血塗れの二人が飛び出してきた。

「匠君。大神君に何かあったの?」









「大神君が。自殺した」

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