我らは風の調停者


 例えば俺の好きな人が消えても、学校は変わらない。いつも通り授業をして、終わるだけ。流れるだけの日常だ。恋の魔法から目が覚めた俺にはあまりに退屈で緩慢。授業なんて耳に入らなかった。どうやら俺は感受性が強すぎて『他人事』でもまだ引きずっているようだ。自覚がなかった。

「という訳で、女心の透かし方を教えてくれ。朱斗」

「ブッ!」

 単なる休み時間に何となく口に出してみたが、朱莉は盛大にお茶を拭きこぼした。クラスメイトは「朱斗に何で聞くんだよー」などと呑気なガヤをしているが、問題はそこじゃない。彼女は女性なのだから女心は当然把握しているのである。

「……ぼ、僕に聞かないでよ」

「口頭が駄目なら本でもいいぞ。広辞苑くらいなら頑張って読破するから」

「だーかーらー! 何で僕に聞くのさ。後、広辞苑程度で女心語れる訳ないっしょ。それは君、舐めすぎよ」

「仕方ないなー。この俺が教えてやろ」

「お前はいいや男だし」

「朱斗も男だろうが!」

 クラスメイトとの他愛ないやり取りも、全く面白みがない。彼等は余程の状況に置かれない限り良識ある人間だ。それがどうしようもなく……何というか、退屈。美子はその極みに位置する女性だったかもしれないが、それでも愛せたのはゲンガーという隠し事があったからかもしれない。俺は、癖のある女性が好きなのか?

 その意味なら適任なのは朱莉だが、彼女とは―――相性が良すぎる気がする。作為を感じる程ぴったり嵌ってしまいそうで怖い。こと恋愛に関して俺は束縛を嫌う。いや、違う。束縛するのは好きだが束縛されるのが嫌なのだ。

 ひねくれていると思うのは勝手だが、どうせ生きている限り何らかのルールには縛られる。それならせめて、自分でルールは決めておきたいだろう。法律を変える力はないが、飽くまで生きる方針としてのルールなら自由だ。

「美子と別れてから大分重傷だな、こいつ」

「僕も何とかしようとは思ってるんだけど、このままじゃ勉強にも身が入らなさそうで困るというかなんというか。まあ……こればかりは難しいよ。男心もそれはそれで難しいものだからね」

「『人の心』が分からないとは言わないよな?」

「ははは。流石にそれはね」

 ゲンガージョークのつもりだったが、目が笑っていない。ゲンガーが明確に関与しているでもない限り、この話題は控えた方が良いだろう。『他人事』とはいえ、あまりちょっかいを出しても対岸の火事が燃え移る可能性を生むし。


 ―――部活、いこっかなあ。


 美子が居なくなってからの二週間あまり、部活にも出ず、無意味な日々を過ごしていた気がする。実感が湧かないが無意味とはそういうものだ。覚えているようないないような。取り立てて面白い事もなくつまらなくも穏やかな日がずっとずっと。

 全日出席した朱莉曰く、部長はまだ意気消沈しているらしい。破局という明確な理由がある俺はまだしも、部長は何故そこまで凹んでいるのか。この無自覚の悲しみを紛らわせるには丁度いい時間潰しになる気もする。

 休み時間が終わると同時に携帯を出すと、教科書を立てて隠し、部長に声を掛けてみる。


『今日、部活行きます』

『そう』


 返信が早すぎる。体感『す』を打って送信した瞬間に返ってきた。機械的な速度に畏怖すると共に、俺の脳裏にはある一つの仮説が浮かび上がる。


 部長、bot説。


 botとはリアクションに対して特定ないしは一定の行動を繰り返すプログラムで、この場合俺は部長を人扱いしていない。もしや機械なのではないかと馬鹿馬鹿しい妄想を繰り広げている。馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、その方がよっぽど面白そうではないか。

 ゲンガーが居るくらいだ、機械が人間に紛れていても不思議はない。そう思うのは俺だけだろうか。もし真実がその通りであったなら、報道部や新聞部を潰してしまう事になるのではないか。想像するだけでワクワクする。暇つぶしには十分だ。報道部と新聞部の違いについて考えるくらい面白い(一応新聞部の正式名称は校内新聞部なので内と外とで差別化は出来ているが)。

「ああ、楽しいなあ」

 早く終わらないかなあ。 






















 授業が怠い。

 特に六時限目の数学が怠かった。二次関数だか三次関数だか知らないが、こんな知識を人生の何処で使うのやらと小学生みたいな事を考えてみる。実際はいつか使うだろう。ただし、そのいつかを見据えられる深慮さを高校生に求めるのは些か酷ではないだろうか。ましてや単なる県立の高校生に。それとも俺が特別浅はかなだけでクラスメイトは全員哲学を嗜んでいたりするのだろうか。

「部活だ部活! ほら行くぞ朱斗!」

「こういうのは昇華になるのかな」

 彼女の手を引いて足早に生徒会室―――の横にある名もなき部屋へ。一時期『ロストルーム』と読んでいたが俺以外の全員から『イタいからやめて』と言われた。なのでここは今も名前が無い。基本的には式典や行事に使う長机や椅子、テレビが保管されているだけだが、あまりにも空き教室が見つからなかった結果、生徒会の厚意からここを貸してもらっている。とはいえ生徒会にとっても俺達は有用な存在なので、わざわざ排斥する理由はない。


「失礼します」


 極めて平常に入室すると、およそ五十を超えたとは思えぬ屈強な肉体をした老人が部屋の奥から俺を睨みつけた。

「てめえ、ようやく来やがったか」

 見た目は教師というよりも頑固な老人に近い男の名前は冴橋銀造さえばしぎんぞう。どう考えても教師には見えないが教師だし、顧問だ。教科担任ではないが顧問のせいで必然的に顔を合わせる回数が多い。部活には顔を出すだけで済ませる事も多いが、万が一居残った場合は彼による強権に活動そのものが振り回される事になる。

 ただ、俺達が何か問題を起こした時に庇ってくれるのもこの人なので、その手前悪口は言い辛い。敵であり味方であり、その時どちらに偏るかは俺達の活動成果次第というのが正確な評価だ。


 ―――田舎こきょうのじいちゃんに似てて個人的にはやっぱり苦手だけど。


「……破局で、腹ぁ下したってのは本当か」

「え? ……ああ、はい」

「十キロ痩せたってのもか」

「はい」

 それは姉ちゃんの料理を食ったからな気もする。

「ここ二週間寝不足だったってのも本当か」

「ああ、はい…………睡眠薬の服用まで考えましたね」

「―――あんまり、心配かけんじゃねえ」

 柄にもなく心配してくれるのは嬉しいが、ちょっと待って欲しい。俺が居ないからって朱莉も随分大胆な嘘を吐いたものだ。何となく話を合わせてはみたが―――どれだけ破局で傷ついた事になってるんだ。

「待ってたわ」

 その前髪は眉毛の上で綺麗に切り揃えられ、左右の長さまで几帳面に同じ長さまで伸びている。唯一自由に伸びた後ろ髪は腰と同じくらいまで伸びており、さぞや手入れの大変な、しかし一日も欠かしていないと分かるきめ細やかなツヤと柔らかさ。

 霊坂澪奈たまさかれいな。この『風紀管理部』の部長を務める不思議な女子だ。

 美人なのは確かだが、あまりにも寡黙だからその外見の美しさからは想像できないほどモテない。というか近寄られない。一時期は喋れないのかとさえ思われたが、そんな事はない。流石にデマだ。部活中は喋るし個人的に会話した事もある。ただ、あちらから話しかけてくる事は少ないので結果的にそういうイメージが先行しているだけだ。

「今日は。このまま。始めましょうか」

「……一人足りないみたいだけど」

「大神おおかみ君は。その内来る」

「俺が連れて来る。てめえらは先に始めてろ」

 有無を言わせぬ老人の圧力に屈した俺達は所定の位置へ。俺は部長の斜め後ろで壁に凭れ、朱莉が長机の横に座る。





「始めましょう。まずは。互いの。近況報告を」

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