風詠みの使徒
学校の多くには部活の他に委員会が存在する。風紀委員会は勿論風紀を守る為に活動するもので、俺達の部活はその代替……ではない。この学校にも風紀委員会は存在するし、俺達は別動隊として飽くまで独立して存在している。
説明は難しいのだが、風紀委員会は腕章をはめるだろう。自らの立場を明らかにするとともに権力を明確にして校則違反を威圧している訳だが、言うなればあちらが表で俺達は裏。現場を抑える、または証拠を取り揃えて風紀委員会に譲り渡す。それが風紀管理部だ。
極端な側面ばかり言ってはみたが、良い面もある。階段の踊り場には各一つ相談箱があるが、正直な所誰も使おうとしない。『なんか入れるの恥ずかしい』とか、『入れるの誰かに見られたくない』とか、『馬鹿馬鹿しい相談だからしない』とか、もっともな理由をつけて何かと使用を拒否する生徒が非常に多い。だから代わりに俺が『ゲンガーとかいう謎の存在の対抗策を練ってください』とでも入れてやろうかと。
それは冗談だが、そんなシャイな生徒達の為にこの部活がある。俺達は個人的に校内にないしは校外へ赴き、生徒に関わる悩みであったり相談であったりを収集しているのだ。校内でどうにか解決出来る問題―――例えば予算関係なら生徒会に掛け合うし、部室のどこどこが壊れているという話なら先生にかけあって業者を呼ぶ。恋愛関係ならそれなりのサポートはするし、成績で悩んでいるなら……どうにかしよう。そんな感じで、問題の芽を摘む。
校則違反そのものを摘発してもまた直ぐに新たな違反者が生まれる事を憂いた風紀委員会の意向によってこの部活は生まれたらしい。飽くまで秩序として君臨する風紀委員会は校則違反にならない限りはその権力を行使出来ないが、そうでないなら話は別。俺達で出始めを抑え、抑えられなかった違反を風紀委員会が取り締まる。そういう関係。生徒の自立性を重んじるこの学校らしい成り行きだ。
「俺は……恋人と別れた。今まで部活休んでたのはそういう訳で」
「ふふ」
「え? レイナ? 今笑った」
「いや。それでも部活に来てくれた事が。嬉しいだけ」
「他人の不幸は蜜の味っていうからね。澪奈はとんだ性悪女だ」
「はぅ。人聞きの。悪い」
性悪さで言えば美子はピカイチだ。性悪というより邪悪だったが、気にする程ではない。どうも俺は……その……認めたくないが、一癖ある女子に惹かれる傾向にあるようだ。レイナは表情のバリエーションが少ないものの流石に性悪と言われて腹が立ったのか頬を膨らませている。なんだその怒り方は。
「私は。弟と。喧嘩してしまって。悲しいです」
なんだその不幸事情。可愛いかよ。
―――ていうか姉弟だったのか!
三年目にして初めての真実だ。今更こんな近況が出てくるという事は、つい最近までは問題なかったのだろう。先生や大神君が居ればこの後も続いたが、全く戻ってくる気配がないので改めて話が切り出される。
「では。改めて。活動を。七時まで自由行動とします」
今思えばとてつもなく自由な部活だと思う。七時まで生徒に関係するなら何処へ向かってもいいなんて部活としてほぼ破綻していると言っても過言ではない。しかしそれくらいしないと風紀委員会が『目に見える違反だけ取り締まってそれっぽく風紀を取り繕ってる薄い連中』とこき下ろされる可能性があって、それは秩序の形として不健全だ。頼られるべき存在が敵視されたら、秩序は単なる抑圧となり果てる。
因果関係を無視するなら本当に楽な部活である事は認めよう。入部条件さえなければ帰宅部が取り敢えず入部していた可能性は大いにある。
部屋を出てから、当たり前のように朱斗が付いて来ようとしてきた。
「匠君。今日は何処に行く?」
「あーそれなんだが、退屈ばらしに勝負しないか?」
「勝負? いいね、どんな勝負?」
「どっちがより解決しがいのありそうな悩みを拾って来れるか勝負だ。勝った方は」
「負けた方に結婚を申し込んでも良い!」
「カードゲームの裁定だったら何もしなくていい奴な。後なんか賭けになってない気がする。ご褒美無しで良くないか?」
「僕のやる気が出ない」
「じゃあ俺が勝ったら無し。お前が勝ったら何でもで」
「乗った!」
何の意味もない賭けだが、一々人生に意味を求めたら疲れてしまう。たまには無意味さも必要だ。それに朱斗から離れて単独行動出来るという意味なら無意味ではない。取引の基本は相手に花道を作ってあげる事だ。
反対の廊下へ去っていく彼女を見守ってから俺は直ぐに昇降口から外へ出た。実を言えばわざわざ離れたかった理由はさほど深いものではない。ただ少しだけ、歩きたかった。真面目に部活をしてみて、何となく一人で、色々探ってみたくなったのだ。興味本位と言われたらそれまでで、それが正しい。
ふと、花壇の方でしゃがみ込む女子に視線がいった。
「ん。どうした?」
「め、眼鏡を悪戯で取られちゃって……」
「返してもらったのか?」
「それがまだ……」
賭けに使うには小さすぎるが、名前も知らない後輩女子の頼みを無碍にする程俺も薄情ではない。帰ろうと廊下を歩いてたら背後から通り魔的に取られたという事で誰が取ったかも分からない。別に虐められている訳ではないとの事。
いじめられっ子が言いがちなセリフだが、今は殆どの生徒が部活の真っただ中。風紀管理部はその活動内容を公開してはいけないという暗黙の掟があるので、誰かにチクったとかそういう勘繰られ方は……されるだろうか。
どちらにせよ虐めかどうか判断するのは俺達ではないし、今はどうでもいい。眼鏡を探そうか。
「もしかして眼鏡かけないと全然前が見えないタイプ?」
「あ、そう……です。部活には所属してないので、帰るだけなんですけど……」
「うーん。そうか。じゃあ取り敢えずこの辺りで待っててくれる? 探してくるから」
「え? あ、有難う……ございます。貴方は……上級生の人ですか?」
「ん。そう。通りすがりの上級生が親切にしただけだから恩とか感じなくていいよ。じゃあね」
帰り道に襲われたなら犯人は同級生の可能性が高い。として。帰宅部は絶対的少数派だ。その誰かは何らかの部活に所属している可能性が高く、今はきっと活動中だろう。メガネなんて文字通りの割れ物はいつまでも持っていたって邪魔なだけだ。他の誰かに咎められたら本人は軽い気持ちでも事実上の窃盗行為でリターンに見合わぬ代償を支払う事になる。
―――どこかに隠したんだろうが、見当もつかないな。
眼鏡の特徴くらい聞いておけばよかったと後悔した。軽はずみに受けるものじゃない。何となく覗いた一年の教室には帰宅部か部活のない奴等が集ってゲーム機で遊んでいた。今は見逃すが風紀委員には後で報告しておこう。
「眼鏡見えてるぞー」
全員が間抜けな表情で俺の方を見た。鎌をかけたが失敗だ。誰も眼鏡をしていないから丁度良かったのだが。
二階に上る。
廊下の端の方で、二年の男子が告白されていた。
「好きです。付き合ってください!」
今時SNSで告白しないなんて逆に感動してしまいそうだ。手助けも吝かではないが、どう考えてもこの空気に乱入した方が重罪なので大人しくこの場を去るとしよう。これは長い目線で見た時に必要な見逃しだ。不純異性交遊とは言うが、恋愛経験が一切ないまま社会に出るのもそれはそれで難儀である。具体的に言うと、最終的に損を被るのはこの社会全体だ。俺は不純な恋愛など存在しないと思っている。相手にその気が無いなら別だが、愛し合っているならその結末も責任も二人に背負わせるべきだ。
「あ……うん。えっと、いいよ」
「ほんとに!? やったーーーー!」
―――長続きするかどうかは今後次第って所か。
男側に何となく受け入れた感覚がある。少し心配だが、所詮『他人事』なのでこれ以上は首を突っ込まない。お幸せに。
一階を経由してから改めて反対側の二階に上ると、今度は誰も居なかった。約一名課題をやり忘れたのか教室でシャーペンを握ったまま突っ伏している。これは……手伝っても本人の為にならない。却下。ただし男子にしては髪が長すぎる(あまりにも髪が長い場合は指導が入る)ので、これは後で報告しておこう。二年C組だ。勿論賭けには使えない。
「匠悟」
レイナと遭遇してしまった。活動中は間々ある事なので特段気まずくはないが、必然同じ方向に視線が集中した。
「彼は」
「知り合いとかじゃないぞ。単に見つけただけ。まあプリントに絶望して寝てるのかもな。俺もそういう事あったし」
「今。も?」
「うん?」
「もし。残ってて困ってるなら。みてあげるわ」
「いや、流石に無い。姉ちゃんにみてもらったし」
「そう。何かあったら。頼ってね。絶対」
今は何かあったら朱莉を頼ってしまうかもしれない。姉貴はどうやらゲンガー事件と思わしき現象を追っているっぽいし、これ以上迷惑を掛けるのは弟としてのポリシーに反する。事の真意は分からないが、何故か朱莉は点数操作が出来る(俺の取る点数まで予測を立てた上で自分の答案も併せているなんて考えたくもないが)ので、多分教えようと思えば教えられる。時機もいいし賭けに勝ったらそういう事にしてもいいかもしれない。
「……でも。不思議ね」
レイナがまた教室で眠る後輩を見やった。
「さっき。屋上に。上がっていったと思ったんだけど」
「え? それ、ホントか?」
「ええ。見間違いは。しないわ」
少し前なら何て事のない話題だったが、残念ながらここ二週間の間に俺は知ってしまった。ゲンガーという人類を侵略せしめる存在を。外見からは全く見分けがつかないくらい精密に化ける謎の存在を。
「レイナ。この教室を見張っててくれ。俺はちょっと屋上に行ってくる」
「……分かった。後で説明。してもらうから」
あの融通の利かない部長がやけに柔軟だ。ひょっとして弟との喧嘩でそこを突かれて図星だったから直そうとしているのだろうか。だとしたら可愛いが、そこまでは考えすぎか。三段飛ばしで階段を駆け上がって屋上に飛び出すと、三人の男子グループがエアガンを持ち込んでいた。
「何してるんだ?」
俺が風紀管理部に所属している事は、同級生しか知らない。そもそもあらゆる全ての手柄は矢面に立つ風紀委員に向けられる。傍から見れば、単なるサボリの為の部活と思われても仕方がない。後輩は絶対的に警戒心が薄くなってしまう。そこが狙い目なのだ。
「あ……エアガンの試し撃ちっすよ。部活の邪魔にならないようにしてますんで、内緒にしてください」
「そうそう。陸上部が通る時とかは撃ってないすよ」
「眼鏡が見えてるぞ」
約一名、その言葉を受けて反射的に鞄の後ろを触った。触ってしまった。当然俺の位置からそんなものは見えないが、今度こそ引っかかってくれたようだ。
「あの子、二年生だったか。背が小さいから新入生だと思ってたけど。イジメてるのか?」
「関係ないでしょ! これは俺の眼鏡ですよ!」
「じゃあ焦らなくてもいいだろ」
一歩だけ近づいて圧力をかけると、実行犯がたまらず拳銃タイプのエアガンを向けてきた。
「それ以上来たら撃ちますよ!」
「撃てばいい」
躊躇わず近づき、銃口を俺の額に合わせる。これは度胸試しでも何でもない。撃ちたければ撃てばいいだけの話だ。
「撃てば君の人生は終わりだ。イジメと認めないのは勝手だが、先輩に向かってエアガン撃って、そもそも持ち込んで、あまつさえ同級生を狙撃しようとして無事で済むと思うなよ」
「…………け、怪我すんぞ!」
「他人事に興味なんてない、薄情な男でね。ほら、撃って人生終わらせるか、眼鏡を返して脛の傷くらいに留めるかどっちかにしてくれよ。どうする?」
俺の事をヤバイ奴に遭ったと言わんばかりにみるのは勝手だが、誰がどう考えてもヤバいのはエアガンで誰かを撃とうとするそちらの方だ。この学校にここまで深刻ないじめ問題が根付いているとは思えない。何せ花壇に居た後輩にはエアガンを気にする素振りはおろかいじめられっ子特有の挙動不審さが無かった。少なくともエアガンによる狙撃未遂は初めて行われた可能性が非常に高い。
急にイジメようと思ったとか?
うん。これは丁度いい。
三人組は想定よりも早く眼鏡を返すと、俺から遠ざかるように階段を下りて行ってしまった。屋上の出入り口を通り過ぎると、視界の端にレイナの姿を捉える。
「……見張っててと言ったんだがな」
「心配だったの。エアガンの証拠は抑えたから。これでもう。大丈夫」
「そんな事を気にしてたんじゃないんだけど……まあ、いいか。提出宜しく、ついでに聞きたいんだが、2年C組全員の写真とかってどこかから借りられないか?」
頼られる事が余程嬉しいのだろう。レイナの表情がパッと明るくなって、いつもの一割増の速度で階段を下りていってしまった。時々後ろを振り返るので付いてきてほしいのかもしれない。
またゲンガーだったら、もう笑うしかないな。
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