恋の幕引き



 念の為野球場で『生存確認』をしてから、俺は改めて旧校舎で美子を待つ事にした。夜七時を過ぎて十分と少し。旧校舎に足音が入ってきた。



 ―――本当に、こればかりは命がけだな。



 見回りは部活が終わってから――ー厳密には全生徒が下校してから始まる。が、何か気まぐれな不運があって早めに始まらないとも限らない。手っ取り早く終わらせよう。


「匠悟君。こんな所に呼び出して、どうしたの?」


 来た。


 芳原美子。俺の彼女だった女性。果たしてこの状況下で彼女を元カノと呼ぶか他人と呼ぶかは好みが分かれる。




「美子。ずっと好きだった。俺と……付き合ってくれッ」 




 動揺の色が、見て窺える。既成事実的にフッたっぽい男が性懲りもなく告白して来ればこうもなるか。『他人事』じゃないとでも? 心底不愉快だ。


「ご、ごめんなさい。そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、私、貴方の事良く知らないから」


「じゃあどうして、『俺』と付き合ったんだ?」


 深々と下げた頭を上げて、ポケットからネックレスを取り出す。


「忘れたとは言わせないぞ。ああ、これは俺達二人で買ったネックレスだ。内側に名前を入れられるんだよ。こういうのって普通はイニシャルだが、オーダーメイドでもないし万が一同じイニシャルの人が居たらって思って、二人でちゃんとフルネームを入れたよな。お店に確認してもいい」


「…………」


「俺の事を良く知らないのに、何で付き合ったんだ?」


 分の良い賭けに、俺は勝利した。



 美子の困りきった表情が突如、豹変したのだ。



「…………トイレに捨てなかったっけ。それ」


「知ってるんだな。じゃあ何で他人行儀なんだ?」


「私じゃないから。それだけよ」


「私じゃない?」


 ゲンガーの事は言わない。俺は彼女の真意を確認したいのだ。


「美子は美子だ。そんなシラの切り方はどうかと思うよ」


「馴れ馴れしく呼ばないでくれる? もう一人の私と付き合ってたなんて言っても、アンタは信じないだろうけど」


「信じない。みー子は、俺の愛したみー子は世界で一人だけだ」






「気持ち悪いんだよ!」






 美子の右手が机を突く。


 どうも逆鱗に触れた様だ。


「あーきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもいきもい。マジで無理、マジで無理! 何なの? 二年もアタックしてきてさ。その性格で、その頭で何で私が好きになってくれると思ったの?」


「いきなりディスリとは酷いな」


「最初は? ちょっと好みの顔じゃんとか思ったけど、テストはいつも六〇点とかで同級生と馬鹿みたいに騒ぐその性格がマジで無理。高校生なんてガキばっか。私、もっと大人っぽい男性が好きなの。アンタみたいにがっついてて、媚びてて、スペックも低い男なんか眼中にないの! 分かれよいい加減! 二年間ずうううううっと声を掛けられてた私のストレス分かる!? 一生付き纏われるかと思ったらいよいよ寒気がしてきたわ」


「そんな男と、君は付き合ってたのか」


「もう一人の私がね! なんか辛い事を引き受けてくれるとか言ってたから、任せたのに……使えない奴。言う通りに自殺してくれた時は最期くらい役に立つじゃんって思ったけど、ネックレスにそんな事してたんだ。やっぱ気持ち悪」


「いや?」


「…………え?」




「このネックレスは俺が一人で選んでプレゼントした物だ。名前なんて入ってない」




 美子の顔が醜悪に歪む。怒りに憑りつかれるとはこういう事かと思った。


「騙したの!?」


「お互い様だ。知ってたよちょっと前から。あれがゲンガーだって。あの子は俺の目の前で自殺したんだから」


「ふざけないで! 私帰るから―――」


 制服の首根っこを掴み、教室の中心へ引き戻す。尻餅をついた美子は、ここでようやく俺の足元に転がる金属バットを目撃した。


「その時な、言われたんだ。『自分』を殺してほしいって。あの時はさっぱり意味が分からなかったけど、あの子が偽物なら説明がつく。つまりは美子、お前の事だ。あの子はもしかしたら俺みたいな不良物件と付き合わせたお前に恨みがあったのかもな。だから恋人として―――お前を道連れにするよう頼んだ」


「や、や。た、助け―――!」


 左手で口を抑え込むと早速抵抗に遭ったが、体格差もあってまず負ける可能性はない。強引に大きめに結び目を作ったハンカチを舌の上に置きつつそれ自体も噛ませる。猿轡の完成だ。これで声は出せないし喋れもしない。


 言いたい事を一方的に言える。


「遺言が遺産を相続させるみたいに、死にゆく人の言葉ってなんかこう、成し遂げてやりたい気持ちに駆られるよな。だから、今から君を殺す」


「―――ッ! ―――ッ!」


 朱莉と違って俺は口封じ以外はさして束縛を加えていない。にも拘らず抵抗してこないという事は、すっかり恐怖に呑まれてしまったという意味に相違ない。他人には死を求める癖に自分は死ぬのが怖いなんて不平等だ。


「そう言えば小耳に挟んだんだけど、君は過去に五人の男性と付き合い、その度に愛の証明として自殺を強要したそうじゃないか」


 涙を零しながら美子は首を横に振った。実を言えば、この情報がデマでも真実でもどっちでもいい。一環でしかない。



『他人事』として、悪になる為の一貫。



「いやいや、君の友達から聞いてるよ。性格悪いって。でも俺はそんな君の事が好きで告白した。結果は残念なものだったけれど―――例えば君がここで死んだら、それは俺を愛してるって事になるのかな」


 身体の自由が利く事に気付いた美子が立ち上がろうとしたのをバットの強打で牽制する。また足がもつれて倒れた。彼女は座った状態で後ずさりをして、自ら逃げ道を塞いだ。背中が壁になれば更に追い込みがしやすくなる。


「そうだ、こんなのはどうだろう。今から二人の腕を折って結ぶんだ。そして口づけをしながら死ぬ。正に愛の証明じゃないか。逃げるなよ、愛の証明をしてこそ恋人だろ」


 泣いて、首を振る。それしか出来ない。精神的にも肉体的にも、芳原美子には逃げ道など許されていなかった。


「嫌だ? ふーむ。じゃあ仕方ない。恋人の意思を最大限尊重するのが俺だ。どうやってころしてあげるか思いつくのに時間がかかりそうだし、先にあっちで待っててよ」


 両手でバットを握りしめ、頭の頂上で構える。美子は首を振って声なき声をあげようとしながらやはり泣いてばかりいた。



 ―――バレたら、人生終了だな。



 まあ、いいか。


 『他人事』だし。






















「終わったの?」


 旧校舎から茂みへ飛び降りて、誰にも気づかれる事なく通学路を下っていると、朱莉が壁に凭れながら待っていた。わざとらしく欠伸をしているが、それはそれとして少し眠そうなのは事実だった。目が伏し目がちになっている。


「『本物』は殺したくないからな」


 美子の隣を全力で叩いたが、あれは賭けだった。


 金属音が先生や見回りをしようとする警備員に気付かれたらそれで全てがおじゃんになる。しかし恐怖を煽る為には敢えてギリギリの状況を作る必要があった。



 誰かが気付いて助けに来てくれる可能性のある時間帯に、誰も助けに来ない不運。


 恨みがましく、或はいっそ清々しく、恋人の頼みを引き受けた狂気に憑りつかれた俺。


 金属バットという、頭に当たれば即死は免れない道具。



 全てを駆使して、恐怖の限界点を突破させた。その結果、芳原美子はあの場所で気絶した。数分か数十分かそれは分からないが、最低でも見回りの人が見つけるだろうと放置。速やかにその場を離れて今に至る。


「でも殺さなくて良かったの? チクられたら不利になるのは君だ。暴行した証拠は残ってるから、警察が動いたら捕まるよ」


「そうなったら、それっきりだな。まあ理由はどうあれアイツは自分自身を自殺させたんだ。これくらいやり返されても当然だろ」


 美子はもう一人の自分、としか言わなかった。ゲンガーと言わない辺りを見るに、朱莉よりは詳しくない……もしくは、何も知らなかった上で自殺を強要した事になる。この場合、無知はより重罪に繋がる。ゲンガーという人もどきを駆除したという意識なら俺達と同じだが、理屈は分からないが自分と瓜二つの『人間』をいいように使って自殺させたでは、精神的に罪が重いのは果たしてどちらか。


「まさか私の手口を真似するとは思いもしなかったよ。あまり真似してほしい所でもないけど」


「何はともあれ、だ。俺はこれでケジメをつけた事にする。この後どうなってもそれは俺の責任だ。美子の恋人だった男の責任」


「本当に、一途なんだね」


「アイするってそういう事だと思ってるからな。俺は帰るけど、一緒に帰るか?」






「ううん、今日はやめとく。まだやるべき事があるから」




 





















 翌日、美子は学校を休んだ。


 その翌日も、その翌日も休んだ。


 その翌日もその翌日もその翌日もその翌日もその翌日もその翌日もその翌日も。




 二週間が経過した頃、隣のクラスの同級生から芳原美子は自主退学した事を知った。

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