あかねさす光
監視されているのが怖いのでその後は朱莉と合流して普通に清掃を頑張った。サボりたいのは本心だったらしく合流されると露骨に嫌な顔をされたが、最終的には「君と正道に墜ちるのも悪くない」と納得してくれた。正道には墜ちると言わない筈だが、彼女は何か致命的な勘違いをしている。
「あー、疲れたなあ」
「お疲れ様」
近くのベンチに座り込み、担任が気を利かせて買ってくれたアイスを並んで食べる。真面目に考えたら報酬と労働が釣り合っていないが、何となく報われた気がするのは俺がちょろいからだろうか。こういう時に男女が並んで座ると勘違いされるのが高校生の常だが、朱莉は男として通っているので、隣にいようが身体を密着させようが仲の良い男子がじゃれているくらいにしかならない。
「……寄りかからないでほしいんだがな」
「疲れたからねー。ゴミが多すぎるんだよ大体。こう何となくノリと勢いで生きたい僕にとっては苦痛でしかない。なあ、僕達に清掃させたくて誰かがわざとゴミ出してる説ないか?」
「一番の暇人じゃん」
外で暮らさざるを得ないホームレスでもそんな事はしない。わざとゴミを出す真似は彼等にとっても自分たちの肩身を狭める害悪であり、そんな真似をした奴は直ちにホームレス社会から爪弾きにされ、いよいよ何処にも居場所はなくなるだろう。
「……サボってる間、色々聞いてみたよ。主に美子の友人に」
「で?」
「知ってる限りで情報を照合してほしいんだが、甘い物が好きらしい。で、今は友達と毎週のようにカラオケに行ってて、好きな下着は紫。で、彼氏……っぽいのが居る」
サラッと流されそうになったが、元恋人として看過出来ない情報が後半に揃っていた。まずは順に消化していくべきだろうが、根本から食い違っている事に問題がある。好きな物は知らないが、甘い物は苦手と言っていた。クラス全体と仲良しに見えるが、それは八方美人なだけで深い付き合いの友達はいないとも……だから、開幕からどうでも良くはないのだが、霞むくらい気になる部分が言外に隠れている。
「ちょちょちょちょ。ちょっと待って。え、お前男だよね?」
「何を今更」
「女子が時々男子も引くレベルの猥談してるってのは聞いた事ある。あるが、好きな下着を何で男のお前に教えるんだよ」
余程その男子にゾッコンな女子なら理解は出来るが、朱斗にそこまでの魅力があるかと言われると……そもそも女性なので、あんまりない。となるともう一つの可能性は美子がとてつもないビッチだった可能性だ。それは想像したくない。少なくとも俺の知る彼女は物腰柔らかで笑顔の素敵な女子高生だった。
「クラスの子に一人、口が緩い女の子がいるんだよねえ。その子に耳寄りなネタをあげたら代わりに教えてくれた。それはそうと、下着の色如きでえぐい猥談とは、匠君も大概純粋だねえ。ニヤニヤ」
「口でわざわざ言うのが腹立つ。単に信じられなかったんだけなんだ。で、彼氏っぽいのって何だ?」
「んー。それはあの子の憶測も入ってるから確証はないけど。たまーにカラオケ断る時があって、一回尾行してみたら男子と会ってたらしいよ」
……浮気?
ではない。破局した事になっているのでその二文字は翻って俺に『逆恨み』を宿す。もし俺と交際している時も会っていたならそれは浮気になり得るかもしれないが断定は早い。飽くまでまだ情報として留めるべきだ。
「俺からも一つ聞く事がある。ゲンガーって、跡形もなく消えるとかそういう超能力染みた真似出来るか?」
「聞いた事がないな。使えないと思うよ。要するにテレポートでしょ? そんなの使えるならわざわざ君を追い回すなんて考えにくい。後ろにワープしてぶしゅぶしゅ刺しておしまいでしょ」
「その擬音はどうかと思うが、確かにそうだな」
つまり、ゲンガーには擬態以外の能力はないと。もし消えるとするならそれは物理法則と知恵に基づいたトリックであると。そう考えて良いらしい。それなら放課後も調査したいが、これ以上部活を休むと顧問が殴り込んできて大騒ぎになる可能性が高い。
首相自殺誤報から死亡記事の誤報が続いている。
姉貴の話と朱莉の『侵略』という言葉が繋がっていると考えた場合、ゲンガーは放置すると増殖するようだ。地球を守る使命もなければ侵略の話もまだ半信半疑だが……朱莉でさえ乗り気なくらいだ。俺の理由にかこつけてゲンガーを消したそうにしている事くらい気付いている。理由は分からないが彼女は明らかにゲンガーという存在を嫌っているのだ。
「朱斗。部活休んでも大丈夫か?」
「僕は顧問じゃないから何とも」
「いや、お前の方」
「僕の方ッ? ややこしい言い方をするなあ。無理だよ無理無理。大体理由が思いつかない」
「病気」
「体調不良の嘘ってバレやすいんだよ。身体は正直だから」
「恋の病」
「それは常時だから不可能だな」
…………。
「え?」
常軌を逸した受け流し方に、思わず硬直してしまった。不幸にもその後担任から招集が掛かったので、事の真相については聞けずじまいだ。大抵の話は『他人事』として済ませる俺だが、今回は『他人事』だから気になる。
悪友の恋愛事情に首を突っ込みたい欲求を抑えて、招集に従って駆けだした。
清掃のお蔭で午前の授業はほぼ免除され、昼休み。後輩のスカートを覗き見た不埒な俺には弄られる未来が分かり切っていたが、想像以上に疲れが溜まっているのか静かなものだ。駄弁りはするが、俺を弄りに来る余力はないらしい。サボってた組は何故疲れているのか。
断る理由がないので朱莉と向かい合って弁当を食べていると、山本君の姿が無い事に気が付いた。目配せで彼女にも知らせてやると、携帯のメモ機能で『さっきトイレに行ったのを見かけたよ』と返ってきた。男子トイレらしい。やはり山本君と千歳の件は関係ないのだろうか。たまたま繋がってしまっただけで因果関係は特にない…………結論はまだ出せない。ゲンガーをどうやって見分けるかも分からないのにどうしろと。
「にしても千歳って子、可哀想だよなあ」
それは野球部の集いから聞こえた言葉だ。誰が発したかは知らない。野球部は全員同じ顔に見える。主に髪型のせいで。
「だってパンツ見られたんだぜ? やばくね?」
「自白する匠悟もおかしいけどな」
「俺らだったら絶対言わねえしバレたら逃げるわー」
「いやそもそもバレなくね? 声かけられるとかないと振り返らねえじゃん。ストーカーとかされてるならともかく」
―――ストーカー?
「君が助けた子だけど、実はかなり人気の子で、転入生だったかな。君が美子とラブチュッチュしてる間に来た記憶がある」
「……記憶にないな」
「誰が広めたのか過去も少し分かってる。中学までは新体操やってて、今は弓道部に所属してるね」
動と静で正反対という訳か。一貫して続けていたスポーツを辞めたのには訳がありそうだが、ゲンガーには関係ないと思われる。あんなに礼儀正しい上に容姿端麗ともなれば人気なのは当然か。朱莉曰くまだ誰も告白していないそうだが、水面下では苛烈な競争が繰り広げられて……
「―――って何で知ってんだよ」
「いやあ話に混じるだけなら簡単さ。美子と付き合ってた君だけだよ蚊帳の外は」
覚えてないので何も言えない。惚気た生活に意味を求めるのは間違っているが、どうも人の醜さから目を背けられるくらいの意味合いは確かにあったようだ。何が何でも復縁しようとする俺が醜さについてどうこう言う筋合いはないが。
「……あ、もしかして今回の一件で俺がレースに加わる事がないからあんまり弄りがないのか?」
「それは……どうだろう。でも誰かの恋を応援するって取引ならある程度の人数は君の事情にも付き合ってくれるかもね」
「なんか、醜いな。人間って」
「高校生の癖に悟った気になるな、と言いたい。まあしかし、嫌気が差したならそれでも結構。幸いここに君の事をよ~く知ってる悪友様が居る。恋の駆け引きに飽いたならいっそ安牌を選ぶというのもだね」
「………………」
「無視は酷くない!?」
口を大きく開いて猛抗議を重ねる朱莉を横目に、俺はゲンガーの見分け方について思案を巡らせていた。思うのだが、リスクを恐れてコソコソと動いていては一生見つからない気がする。この状況はお互いかくれんぼをしているようなものだ。鬼が居ない。隠れているだけ。どちらかがどちらかを先に見つければ勝利というルールなのに探しに行こうともしない。これでは駄目だ。
―――あっちも困ってると思うんだよな。
偽物と気付かれるのを嫌うなら、あの時顔布を被っていた男を密かに探しているだろう。しかし尻尾を出さないので割り出せず、割り出されたくないので迂闊な行動もとれない。
「なあ、そう言えば替わった後はどうするんだ?」
一応、発言には気を遣う。他に完全潜伏中のゲンガーが居ないとも限らない。朱莉が声を細めて呟いた。
「……自分と全く同じ偽物なんて怖いだけだ。血縁関係もない知り合いでもない、でも全く同じ。そんなの怪物と一緒だろ。だから『本物』らしく『偽物』は消さなきゃね」
「……簡単に殺されるか?」
「……だって元に戻りたいだろう。最初取り入る時みたいに優しい対応をすれば、こっちは自分が『戻る』為にも従わざるを得ない。殺しても死体は隠せばいい。どうせ誰も消えないんだから」
その言葉は、或は朱莉の本心か。
「同じ人間は、二人も要らないんだ」
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