ハイリスクハイリターン



 放課後などという言葉は今すぐにでも廃止すべきだ。さも自由時間であるかの様な面をしておいて、俺達に自由は許されていない。星代美高校の校則には特別な事情がある場合を除き部活には強制加入という事になっている。


 加入は自由意思だが加入自体は強制。これにあるのは選択の自由だ。そんなものは放課後ではない。部活は学校の正規の活動ではないと? ではどうしてそんな校則を? 校則と拘束のダブルミーニングか? 


「…………え?」


 どうしても放課後を自由時間として使いたい。ダメ元で部長に電話をかけてみると、返事はあっさりとしていた。何故か意気消沈していたので要約すると「何するつもりか知らないけど問い詰められたら活動の一環って事にしておく。先生にもそれを通しておく」らしい。



 ―――マジで?



 うちの部長は寡黙で融通など利きそうもない性格だ。今度はどういう風の吹き回しだろうか。少し心配だ。性格は苦手かもしれないがそれはそれとして友人だ。同じ顧問に怯える仲でもある。どちらも俺にとっては苦手なタイプだが、その認識は『他人事』に過ぎない。窮地に陥ってるなら助けるし、相談があるなら喜んで乗ろう。それが、部員たる者の務めだが―――


 今は後回しだ。


「え、マジで?」


 朱莉も同じ反応をした。あの部長が気を利かせてくれるなんて信じられないだろう。気持ちは大いに分かる。協力的なら美子との恋愛を応援してくれても良かった筈だ。事実、俺は相談させてほしかった。乗ってくれたのはそこにいる悪友一人で、それも親身というより半分からかい気味。


「……まあ、先生もどうにかしてくれるなら、いいか。見つけに行くんだね?」


「いや、その前に確認したい事がある。取り敢えず、女装してくれ」


 女装……女性が女装とはこれ如何に。本来の服装なのだから正装と呼ぶべきだ。しかし一応まだ校内なので、男設定は貫いておく。朱斗の方がずっと良く知っているから設定の一貫は簡単な筈なのに、何故だろう。一度女子として認識すると身体が違和感を覚えてしまう。頬を叩いて目を覚ませときつけを図る。


 目の前にいるのは誰だ。男装しても誰も気づかないくらい胸が残念で性別を隠し続けるあまり『僕』という一人称が板につきすぎた現代最後の僕っ娘。絶滅危惧種ならぬ絶滅危惧娘であり一昔前(少年という言葉に性別がなかった頃)には居たらしいが、この年齢になるまでに矯正されなかった者は少ないだろう。



 ―――何の話だ?



 秘技、自分の思考を煙に巻く作戦。お蔭様で違和感は落ち着いた。 


「…………ん?」


 会話としては不自然な間が空いていた。思考に時間を費やし過ぎたと思ったが違う。朱莉が固まっていたのだ。突然ギネス記録に挑戦しだしたのかと言われても仕方がない。瞬きもしていないのだから。


「おーい、朱斗」


「は、は、破廉恥な!」


「え」


「僕は男の子だ! 女の子の格好をするなんて恥ずかしいよ! そ、そりゃあ男の子っぽくないのは分かるけど、だからってそんな……女装なんて」


 放課後に自由などないが、部活に行くまでの猶予はまちまちだ。まだ教室に残っていたクラスメイトは朱莉が騒ぎ立てた事に驚いていた。意図せぬ騒ぎは脳裏に混沌を過らせる。大した損を被るものでもないが裏切られた気分だ。後輩の下着をパンスト越しに見た事といい、朱斗に女装を求める事と言い、最近の『俺』は風評被害を被りがちだ。



 ―――嘘自白と単なる事実は風評って言わないけどな。



 それ自体は『他人事』なので気にしていない。可愛い後輩の信頼をちょっとは得られたし。


「お、おい。ちょっと落ち着けって」


「落ち着かないよ。この変態ッ。美子にフラれたからって僕を彼女にしようとするのはどうかと思うなあ!」


 朱莉は去ってしまった。後に残された俺は同情よりも流石に奇異の眼で見られ、教室からの退却を余儀なくされたのだった。






















「着替えておいたよ」


 あれが演技だと気付いたまでは良かったが、どうやって合流するつもりなのだろうと思った。突発的過ぎて困惑は隠せなかったが、ともかく報連相の欠片もなかった密会は無事夕方に実現した。どうせなら俺に合図の一つくらいくれれば喜んで乗っかったのに、それをしなかったという事は、求めていたのは役者ではなくサクラか。


 俺には演技だと分かったが、それ以上に唐突だったもので動揺を隠せなかった。それが良い隠れ蓑になる。間違っても俺と朱斗が手を組んでゲンガーを探していると、一体どんな偽物が考えるのか。女装と敢えて一度言い張る事で自分の性別を強調したのも上手だ。大声で騒ぎ立てたお蔭でクラスメイト含めて多くの人間が朱斗の性別を改めて再認識した。



 だから女物の制服に着替えても、誰も気づかない。



「こうしてみると、つくづくインチキくさい話だよな。だってお前、全然変装する気ないし」


「だから制服は便利なんだ。あれだけ嫌がって着替えるとか思わないでしょ? フフ、私ってば完璧だ」


「完璧か? ああ、完璧だな。どさくさに紛れてトイレで着替えも済ませられたし、ただちょっと美子をダシにされたのは苛ついた」


「それは……ごめん。後、その他も……匠が辛いんだったら、彼女でも何でもなるからね。恋人でもお姉ちゃんでも妹でも母親でも。私とデートするなら、ちゃんと別の高校の制服も着るから心配しないでくれ」


「お姉ちゃんは間に合ってるが、有難う。それに免じてどうして通ってもない高校の制服を持っているかは聞かないでおこう」



 さて、現在俺達は通話中だ。



 さっきの今で直接合流は果たせないのでそれも当然。前述の通り朱莉は三階の女子トイレに、俺はグラウンドの茂みの中に。ビデオ通話も併用して中を探索するつもりだ。開けっ放しの窓に向かって手を振ると、朱莉が満面の笑みで振り返してくれた。ちょっと可愛い。


「じゃあ早速だが、窓は開いてるよな。そこからジャンプして五体満足の保障はあるか?」


「受け身が滅茶苦茶うまい人なら行けると思う。下は茂みだし。でもそんな人がこんな高校に居るかと言われたら」


「いないな」


 しかし朱莉曰くゲンガーには瞬間移動の能力がない。擬態が出来るだけの人間もどきとは彼女の言だ。評価が辛辣なのはさておき、その言葉を信じるなら中を通らずに脱出した方法がどこかにある筈。


「ゲンガーが化けたとするだろ。本人と身体能力は一緒になるか?」


「……それはゲンガー本人じゃないと分からないなあ。でも大きく外れたりはしないと思う。筋肉とか骨格とか血液量とか内臓とかそっくりそのまま写し替わるから」


 山本君である保障はないが、彼は野球部だ。純粋な運動神経で言えば上位にあるだろう。彼が出来るなら他の誰かにも出来る。彼なら可能という前提は、その他の可能性―――純粋な変態にも繋がってくる。


 もし山本君なら偽物判別手段として使えるし、他の変態なら千歳の前に連れて行って然るべき裁きをさせればいい。後輩の好感度アップは間違いないのでどちらにしてもお得だ。


「そっちで何か見つけたら教えてくれ。俺は下を探してみる」


「トイレに何かあるかなあ」


「用具入れとかにありそうだろ。女を隠すなら男の中だ」


「…………あのさあ。まあいいや」


 窓が開きっぱなしという状況に着目したい。換気の名目で放置された可能性もあるが、うちの女子はどちらかと言えば寒がりが多い。男子が暑い、女子が寒いと言って教室の窓を開けるか否かは良く口論になる。


 放課後までに誰もトイレを一切利用しなかった可能性は低いだろう。千歳はともかくあの騒ぎは周知されていない。つまり彼女の見た男子は警戒心が薄くて来なかったか、行きたかったが不自然な動きをしたくなくて行けなかったかのどちらかだ。前者は無い。そこまで警戒心が薄いなら直ぐにでも発見出来ただろう。


「そう言えば、ゲンガーの変身は一回きりって事でいいんだよな?」


「うん。だって『本物』の人間は自分の姿を何度も何度も変えたりしないでしょ。そういう事。一度『本物』になったなら、後は変わらない」



 


 ……そうか。




「そっちは何か見つかったか?」


「ああ、見つかったよ―――言い辛いけど、ある意味決定的な手がかりだ」


「それは気になるな。言い辛いならビデオで見せてくれ」


 暫くの沈黙の後、彼女は何も言わずビデオ通話に回してくれた。用具入れが映っており、逆さに立てかけられたモップの中に銀色のチェーンが見えている。朱莉が引っ張ると、知恵の輪みたいに重なった指輪が出てきた。


「……ああ」


 悲しくないと言えば嘘になる。


 空しくないと言えば嘘になる。


 今までとは何だったのか。ずっと幻覚を見せられていたのか。最早その正体に拘らず、俺と過ごした時間は偽物だったのか?



『他人事』に過ぎなくとも言わせてもらいたい。愛していたのは俺だけだったのか、と。




 それは、俺が美子にプレゼントしたものだ。せめてもの愛の証として。



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