奇矯な気遣い
多くの人間は、物事に連続性があると考える。
物事を単純にとらえたい癖に、おかしな所で複雑にしたがるのが悲しい理性の悪癖だ。立ち位置からしても、周囲の状況からしても、俺がたまたま後輩のパンツを見たから騒ぎになったとは考えにくい。大体そういう不埒な輩は普通逃げる。この騒ぎだって何も聞こえなかったとシラを切ればそれで済む話だ。まともに考えれば、俺がウソを吐いているのは明白。パンツを見られた事と後輩が尻餅をついた状況も繋がらない。
だが、人は単純に考えたがる。
全く別の状況を繋げて、さもそれが当然の流れであるかのように考える。後輩がトイレに潜んでいた不審者に驚いていただけならこんな真似はしなかったが、後輩の様子には見覚えがある。集団の恐怖だ。病的に周りを囲まれたくない 囲まれた結果平常心を失ってパニックに陥る寸前だった。
「いやあだって。見ちゃうでしょ? 先生だって見ません? 男子なら大体見ると思うな~」
だから、全ての注目を引き受けた。
心にもない最低発言を連発した俺は速やかに職員室に連行。こってりと説教を食らった後、反省文の提出を義務付けられる事となった。美子との関係修復以前に学校全体で危うい位置に立たされた気もするが、『他人事』なのでそこまで気にはしない。
理由が理由なので、男子からは揶揄われる程度で済んでいる。どうやら女子の評判は最悪になってしまったみたいだが―――ああ、それはちょっと痛いかも。聞き込みを人任せにする事になる。なった。考えが浅はかだったか。もっといい方法があったかもしれないが一番手っ取り早いのはこの方法だ。
俺ならこうするという確信がある。
「はい。という訳で書きました」
「何だお前、随分早いな」
「反省の態度が出てるんですよ。」
「そ、そうか。次の授業だが、ちゃんと体操服に着替えておけよ」
「なんかありましたっけ」
「町内清掃」
…………そんなものも、あったような。なかったような。
「記憶にございません」
今更犯人みたいな反応をしても手遅れだった。学校という狭き社会で生きる俺達に一体どんな罪があれば町内清掃をさせられるのか。環境が綺麗になるのは良い事だと思うが、それはそれとして面倒なのも事実だ。
―――いや、チャンスかもしれない。
町内に出れば山本君のゲンガーが現れるかもしれないし、美子について情報が得られるかもしれない。前向きに行こう。そうしないと勢いだけで後輩を助けた事を自覚してしまって心が折れそうだ。
案の定、環境について良くなるよりも己の気分を優先したがる高校生は大多数で、乗り気ではなかった。先生にそう言われたから、というだけの者は間違いなく多数派であり、もしこの瞬間から自由に行動して良いなら生徒達の大半は遊ぶだろう。ファストフード店に行ったり、デパートに行ったり、家に帰ったり。
そんな消極的やる気しか見せない集団の結束は弱い。町内清掃と言っても俺達が動けるのは一エリア分で、先生の眼を掻い潜ってサボるのは不可能に近いが、それなりの人数が明確に清掃をやめている。まだ始まって十五分と経っていない。
ラッキーだ。
謎の自白により目を付けられた俺がサボる事は許されていないが、その行為は紛れもなく悪であり、注意する為に話しかける事は出来る。そして残念ながらサボっている人間には必ずサボっている自覚があるので、パンツ覗き魔として有名になっていそうでも俺の接触を無碍にする事は出来ない。
「さて、理由を聞こうかな」
己の立場も弁え完璧な計画を立ててしまったと内心誇らしげに思っていた所、全てをぶち壊す存在が話しかけてきた。朱莉だ。体操服だけだと万が一という事があるのか冬でもないのにジャージを着ている。流石に暑さは無視しづらいようで、前は開けていた。
「君が僕のパンツを見るのではなく、見ず知らずの後輩のを見た理由を」
「えーと、大丈夫かこれ」
「こんなに広範囲に広がってるんだ。多少の密談は耳立てられないよ」
「お前自分が男って事忘れてないか? ズボンからどうやってパンツ見るんだよ」
俺の眼はスーパーヒーローよろしくX線を搭載していないし、徐にベルトを外してズボンを脱がさんとする気概もない。というかそれは性別関係なく変態だ。
「スカートを履けと? 無理だね」
「うん。だからそういう事だよ……理由については、何だろうな。人に囲まれるの嫌そうだったから助けたんだ」
「成程。君はろくでなしだと思ったがどうやら違うようだ。しかし自分の立場に対していまいち危機感がないらしい。美子と復縁するんじゃなかったの?」
「……アイツは、そういうので人を判断したりする女性じゃない」
「噂話というより君は自白したんだ、冤罪的事実だろう。悪い男に近寄りたいと思う人間はいないんじゃないかなあ。特に女性は、痴漢とは違うだろうけど生理的な嫌悪感を催す筈だ」
そう言われるとその通りだ。もっと注目を集める話題はあったかもしれない。しかしこんな後悔をして何になる。やり直せるならやり直すが、そこまで都合よく世界は出来ていない。俗物が咄嗟に浮かぶ話題と言えば俗な話だろう。仕方なかった。
「お前もそうなのか?」
「私は火遊びしたいお年頃でね―――まあ僕は男だから、そんな心配もないし?」
ふと漏れて女性口調が再び元に戻る。朱莉の背後―――正面に視線を置くと、見覚えのある女子が話に割り込まんとするタイミングを窺っていた。視線に気づくと、恭しくお辞儀をした。それはあの子だ。暫定後輩の女子。直立時の姿勢が綺麗で、女性っぽいしなやかさをありありと感じる。女子用の制服も来ているしちゃんと胸もあるので間違いなく女子だ。
……お前、暫定後輩より小さいとかそりゃ気付かねえわ。
朱莉に敗北を認める一瞥を送りつつ、敢えて最初の発言を譲る。
「あ、すみません。お話し中でしたか?」
「んー。僕は別に構わないよ。彼とは悪友でね。共にサボろうじゃあないかという作戦を立てていただけだ」
「サボるんですか?」
「みんなサボってる。僕達だけ真面目にやるのも馬鹿らしいとは思わないか? ねえ匠」
何故、俺に振る。
気のせいかもしれないが、行動に一貫性が無さ過ぎる。悪戯に周囲の好感度を下げる真似を注意されたと思えば急に同じ方向性を求められた。どう言えばいいか反応に困ったが、彼女はトイレで何かを見ている。俺は山本君だと思っているが、違くとも構わない。別の学年にパイプが出来れば美子の情報も集めやすいだろう。吹奏楽とか。
「や、俺はサボるつもりとかないぞ。先生に目つけられてるしな」
「ありゃりゃ、裏切られちった。仕方ないから僕はお暇するよー、じゃあねリア充」
嫌味か貴様。
そうでないなら破局した上に変態になった俺の何が充実しているか是非述べてもらいたい。テストなら十五点くらいあげよう。やけに敵意を残した背中を見送り、今度こそ彼女へと向き合う。
「えっと、後輩?」
「あ、はい! 一年の火翠千歳と言います! 先程は助けていただいてありがとうございました! センパイのお名前は何て言うんですか?」
「ああ、草延匠悟」
「珍しい苗字ですねっ」
君に言われたくはない。
「一年は別のエリアだろ? こんな所に居ていいのか?」
「あ、気づいちゃいました? えへへ……でも、お礼が言いたかったんです。私、人に注目されるのが苦手で……数人なら大丈夫なんですけど。ちょっと。部活の時とかは大丈夫ですけど」
「全然気にしなくていいよ。それよりも早く離れた方がいいんじゃないか? 俺は一応、君のパンツを見た変態って事になってるんだが」
しかもパンスト越しなのが余計に変態っぽくさせている。この件は考えるほどに悪手だった気がしてくるので俺は考えるのを止めた。朱莉の言う通り、軽率だった。
「同じクラスの子には説明したので、私達の間では意外とセンパイの評価高いですよ?」
「そりゃどうも」
元気な子だ。
ハキハキしていて、爽やかで、人懐っこい。理想的な後輩像とも言うべき少女に俺の心は着実に絆されていた。少なくとも、被った被害とつり合いが取れているかもと考え直すくらいには。可愛いのでコナをかけようとか、そういうやましい考えは一切ない。筈だ。
「一つ聞きたいんだけど、女子トイレに男性が居たんだよね。どういう人だったか覚えてる?」
「あ……うーん。坊主に近かったと思います。殆ど坊主、ちょっと髪が伸びてて―――」
「オーケー。悪いけど少しだけ俺と一緒にサボってくれる? 連れて行きたい所がある」
可愛い気のある後輩を背中に伴って担当エリアの中心へ。野球部は生来の陽気さも然る事ながら仲間意識が強く、クラスメイトと分け隔てなく接するとは言ってもこういう時はどうしても身内で集まりがちだ。少し見渡せば、自販機から購入したであろう飲み物を片手にサボる五人組の坊主隊を発見出来る。
「あの中に居るか?」
「うーん。すみません、ここからだと顔が良く見えないです」
「他に憶えてる事は?」
「えっと……センパイが立ち去った後、私もう一回入ってみたんですけど。その時には居なくなってました」
…………そんな特性、聞いてないが。
「分かった。有難う。もう戻っていいよ。これ以上居たら君の内申点に響きそうだ」
「あ、そうですね。では失礼しますッ!」
再度お辞儀をして、千歳は自分の持ち場へと帰っていった。収穫があったので良しとしよう。これは山本君について調べる際に大きな手掛かりになりそうだ。携帯を開いて朱莉にその旨を伝えようとした所、既に彼女からメッセージが届いている事に気付いた。
『連絡先交換するの忘れたーとか、思ってる?』
……思ってない。多分。
『見てるからね、ずっと』
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