恋と心の隙間
ほぼ押しかけ気味に泊まりに来た朱莉と俺は約束を交わした。
・朱莉は二人きりの時以外は引き続き朱斗と呼ぶ
・放課後は出来るだけ別行動を取る
・それ以外はいつも通りにする
簡単そうに聞こえるならこの状況のハードモードっぷりに気付けていない証拠だ。男と思っていた友達が女だったなど、そうそうない。始業前に男のクラスメイトとじゃれ合う彼女を見ていると普通に心配だ。いつ、何の拍子でバレるやらハラハラしている。
「やだなあ。僕は運動部じゃないんだよ。筋肉勝負なんてどう考えてもそっちの勝ちじゃないか」
「あ、バレた? いやあははは。じゃあ俺の不戦勝って事で―――」
「それは駄目。僕だってお金はギリギリなんだ。他のもっと余裕がある人に頼んでよ」
―――皆、意外と見てないんだなあ。
胸が無いのはいいとして、のどぼとけもそうだがまず体の作りがしなやかだし、声も重低音というよりはまるで女性が少年を演じてる時の様なあどけなさの残る低さで―――俺も気付かなかったのであまり人の事は言えない。結果を知ってからあれこれと言う。人はこれを事後諸葛亮と呼ぶ。結果さえ分かってたらどんな愚かな人間もまるで知将のように振舞えるのだ。
「……い。おーい」
「あ、え。何の話だっけ」
「は? お前から話しかけて来たのに何だよ。昨日は悪い。来れなかった。他の奴と出くわして流れでな……今日こそ行くよ」
この山本君は、本物?
分からない。人狼ゲームをやっているみたいだ。何処かでそれっぽい手がかりを得て確証を得る為に近づいてきたのかもしれないし、単に謝罪したいだけかもしれない。イエスともノーとも断言しにくい。本物なら彼に罪はないが、偽物なら命の危機に瀕している最中だ。
「ああ………うん。気にしなくていいよ。俺も色々あったから」
「色々? ほへー。じゃあ今日こそ」
「いやいや、いいよいいよ。俺の方も急に立て込んでさ。そっちだって野球で忙しいじゃん。だから、いいよ別に」
「……そっか。すまん」
返事を濁したが、どうだろうか。偽物にマークされた?
『顔を見られたからって? 顔布被っておいて良く言うよ……それに多分だけど、山本君のゲンガーはやり方が未熟なんだと思う。僕の予想が正しければ、単に二人いる状況を作ったんだ』
―――彼は本物だ。
朱莉が言った通りの仮定を前提にさせてもらうとして、単に二人いるという言い回しは文字通りの意味しか孕まない。『単』という言葉がその根拠だ。含意はないだろう。『山本君が二人いる。それだけの状況』。本人にも接触していないだろうと彼女は言ったが、俺は事情も知らないのではと考えている。
事情を知っているなら顔を見ていなくてもあの時立っていた不審者の正体くらい暴けるし。
始業のベルが鳴る寸前、チャイムに紛れて彼に最後の質問を送る。
「山本君。美子が誰と仲良しだったか知ってる?」
「え、お前以外だろ? 違うクラスだしな。吹奏楽部員とは大体仲良いんじゃないか?」
授業なんて耳に入らない。
勉強よりも部活よりも、恋に生きた男だ。破局の真実を確かめない事には身が入らない。集中力が足りないと言うならそれでもいい。草延匠悟の優先順位は覆らない。『他人事』だと思って、無視してもらえないか。
一時限目の休み時間に俺は美子が居るであろうク教室へ赴き、廊下から中を眺めてみた。談笑しているようで、何人かの女友達に囲まれている。俺と交際関係にあったのはこちらのクラスでも知られているから、誰かが突っ込んでくれればと期待したが、多分それは初日に終わっている。俺が他人行儀に相手されたのだ。空気の読める人物なら「あ、これは触れちゃいけない奴だ」と勝手に納得して終わらせる。
―――これは、見てても駄目な奴か。
もっと積極的に行動を起こす必要がありそうだ。それこそ本人に聞いてみるのが一番早いか。いやいや、それはリスクが高すぎる。ゲンガーは偽物と見破られるのが許せないんだったか、ならば勘繰られていると思われるのもこちらには不利か。『アイツなんか偽物って疑ってるっぽいから殺しとこう』などと思われた日には手の打ちようがない。
仮に本物でも同じだ。ゲンガーと付き合っていた男が馴れ馴れしく話しかけてくるなんて本人としても不本意で…………待てよ?
ゲンガーならどうして自殺させた?
逆の可能性について考えろと朱莉は言ったが、手持ちの情報ではここが繋がらない。ゲンガーを自殺させてそのまま姿を眩ますなら話は分かるが、本物が出張ってしまった。これに何の意味がある。
「なあ、ちょっと聞きたいんだけど」
一〇分の休み時間と言えども外出はある。取り敢えず出てきた男子生徒を捕まえると、俺は肩で丸め込みながら踊り場の方へ連れて行った。
「な、何だよ」
「美子って仲良しの友達とかっているのか?」
「はあ? でも女子と仲良く話してるのは―――見りゃ分かる」
「どの女子と仲が良いんだ?」
「真由子だっけ? その真由子か世江良とかは仲良かった記憶があるな。何でそんな事聞くんだよ」
「お前は好きな子に告白したいのに何の情報も集めないでするタイプなのか?」
黙られた。無理もない。余程自分というモノに自信がなければ誰だってそうするだろう。例えば『ピンク色の服を着た男子は無理』みたいな女子だった場合、それを知っているといないとでは地雷を踏まずに済むという利点がある。
穏やかに言い返したつもりだったが性根がネガティブなのか怯えてしまった。おそるおそる俺の顔を窺う同級生は、ふと何かに気付いたかのように跳ねた。
「あッ。お前、確か美子の彼氏だった奴!」
「その言い方嫌われるからやめとけよ。元カレって事でいいから」
「……えっと、だったら何で俺に聞くんだよ」
「もう一度口説き落とす為だが?」
嘘でもあり、本当でもある。俺達は互いの名前も知らないような薄情な仲だが、それでも同級生になったからには妙な連帯感があると勝手に信じている。それにこれは、俺ばかりが得する取引ではない。彼がもし心の底から惚れてしまうような出会いをした時、この恩を使って俺に協力を求める事だって出来るのだ。
『他人事』故、『他人事』だからこそ出来る無茶もあるだろう。
「すげえな。お前、やる気なのか」
「俺はいつだってマジだぜ! とことん情報を集めてくれとは言ってないんだ。ただ、身の回りの情報を掴んだら教えてほしいって事」
「じゃああれな。俺が校則違反かなんかで捕まって反省文書かされる時に代筆頼んだわ」
「お安い御用だ!」
「はええなおいッ」
「『他人事』だからな」
そんな未来のリスクは、取るに足らない安さだ。ここで美子について手を進める事が出来るならなんでもいい。今後どうなってもいい。それは後悔にも満たない苦痛だ。無茶な要求を吹っかけて撤退させるつもりだったのかもしれないが、流石に基準が学生的だ。その程度では考慮に値しない。
臓器を売った金を俺にくれ、くらいは言ってくれないと。
即答された事で彼はかえって追い詰められた。ややの逡巡を挟んで承諾。ここに友情もなければ善意もない、損得だけのビジネス関係が成立した。これで暫くは彼を放って美子の情報を集めよう。問題は山本君だ。彼をどうするべきか。
教室に居るのが本物だとするなら、偽物の位置を割り出さないといけない。単に二人いるだけというなら、本人にも見つかってはまずいだろうし、その上で人通りの多い校内をほっつき歩けるとは考えにくい。
放課後を狙って混じっている。それなら不自然は無い。
「きゃああああああああああああああああああああああ!」
―――まさかのそっちですか!
決めつけるのは早い。が、そんな場所に隠れている筈がと思ったのは事実だ。トイレの中なんて、今時小学生でもかくれんぼの時に使わないというのに。
その声は校舎中に響いたが、多くの人間はその叫び声に硬直を余儀なくされた。紛れもなく危険を知らせるその声は、本能に眠りし猿を呼び起こしてしまったのだ。唯一そこで動けたのは運の良い事に俺だけ。『他人事』に過ぎないからだろう。そういうアドバンテージはある。
赤の混じった茶髪を高めの位置でポニーテールに纏めた女子が尻餅をついていた。後ろ姿だけではそれ以上の感想を抱けなかったが、振り返った瞬間、なんと綺麗にまとまるやその小顔。身長は一六〇あるかないか。スカートはやや短めだが余程校則に厳しい先生でもない限り指導はしないくらいの誤差だ。俺はもっと短くスカートを履く女子を見た事がある。美子とか。
「大丈夫かい!」
直感的に後輩と察した俺はその場に跪いて気遣ってみる。身体に触ると何かとんでもない勘違いを去れそうなのでそこは避けておこう。
「あ、あ、あ。じょ、女子トイレに男性が!」
「なるほど……なるほど」
遅れて大勢の野次馬と共に職員室に居た先生達がゾロゾロと揃って俺達を囲んだ。完全に成り行きで巻き込まれた事についてはこの際目を瞑ろう。彼女は今、大事な情報を残してくれた。本来は完全なる無関係なのでさりげなく野次馬に溶け込みたいが、追求が面倒くさそうだ。それに、暫定後輩の様子が何かおかしい。目の焦点がブレて、今にも蹲ろうとしている。
お礼替わりと言ってはなんだが、ここは先輩らしく助けよう。
「……ああ。ええっと」
「いやあ参ったなあ! たまたま階段上ってたらパンツ見えただけなのに、まさかこんな騒ぎになるなんて~!」
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