降り出しに戻る



「はっはははははははは! つまりそれはあれだよ、匠君! 君は知らない内に破局したんだ!」


「ふざけんな! 何なら携帯にメールが残ってるぞ。それを見れば―――」


 慰めたいのか嘲笑したいのか分からないが悪意はない。席の周囲に居るクラスメイトが他人事のように楽しんでいた。実際、他人事だ。この中で仲良しと言われたら俺の事を匠と呼ぶ小柄な男―――否、同年代にも拘らず少年に近い―――明木朱斗あかずきしゅうと


 仲良しと言っても世の中は一括りに出来るものではない。家に泊まるくらい、頻繁に家に行くくらい、学校で毎日話すくらい、体育の時いつもペアに誘ってくるくらい。彼との付き合いは今あげた三つめが近いか。四つ目は『身体を動かしたくない』という理由でいつも適当に体調が悪い事にして誤魔化している。


 さて、俺が周囲に噛みつかないのは彼と話しているからで、聞かれる事は本意ではない。噛みついても脱線するだけ……というか同じ立場なら俺は抱腹絶倒している確信があるので、これは飽くまで騒音として受け止めておく。


「ふーむ。でもなあ、君達に痴情のもつれがあったとは確かに思わないよ僕は」


「いや、実際ないんだが」


「でも美子に話しかけたら他人行儀なんだろ。しかも色々ブロックされて携帯じゃ接触出来ない。他の交友関係はどうやらそのままらしい。君だけ消えた」


「そうだ!」


「じゃあフラれたんだね、可哀想に! はい、この話は終わり。解散!」



「おおっいッ!?」



 納得いかないが、客観的に見ればそう思われても無理はないのが筋というものだ。誰だって元カノカレと今まで通り友達の関係を続けられる道理はない。実は美子の前にもうまく行きそうな女性が居たが、その時はここで揉めて、それっきり。


 女性がおかしいのかそれとも俺がおかしいのかも人に因るだろう。まあ、そういう事だ。この場合、美子が元カレと今まで通り付き合えないので距離を置くタイプだったというだけ。例えばこれが、本人とまるっきり行動も言動も趣味嗜好も違うなら話は少し変わってくるが、そうではない。



 だから、何かがあって破局した。



 俺は自覚していないが、何か逆鱗に触れたのだろうか。授業中ながらSNSでのやり取りを確認してみるがそれらしきものはない。交際関係が消える前はこれからテストが近いとかで重点的に勉強すべき場所を教えてくれていた。



 ―――後で美子を尾けてみるか。



  或は配慮が欠けていた。当事者としてはそれが自然ではないだろうか。恋人感の問題をよそに―――つい先程みたいな騒音を挟みたくなくて、敢えて他人行儀に振舞った。何か逆鱗に触れたのなら、俺は触れてしまったのだ。


 何処かに女性の取扱説明書がないものかと探したが、そんなものがあったら少子化云々の問題はそもそも発生しないだろう。たった今から教鞭をとる禿げた頭の先生がそれについて悩む必要が無くなる。


「なあ」


「ん? 何だい山本君」


「君って……まあいいや。実はさっきは流したけど、俺―――美子のとんでもない情報を持ってるかもしれない」


 そう言った彼の顔は酷く神妙で、嘘を吐いているようには思えなかった。実際はそういうのを見破るスキルなんてなくて、単に見栄を張りたいだけだが、ともかく友達にさえ合理的な方向へ流された俺には、その言葉が魅力的に思えた。


「本当か?」


「ああ。放課後、旧校舎で会えるか?」


「会える……けど。あそこ夜の見回りやばいぞ。そもそも入れんのかな」


 防犯目的というよりは逆。生徒の取り締まりだ。日中はどうにかなっても夜間は分からない。特に旧校舎は先輩達が暴れに暴れたせいで監視が大変厳しい事になっている。いっそ普通に本校の方が密談はしやすい。


「……え。おい。普通にどっかの道とか公園でいいだろ」


 山本君はそれきり何も答えなかった。授業に集中したいと言わんばかりの横顔にはらしくなさを覚える。下の名前は覚えていないが、これでもクラス全体の雰囲気は観察しているのだ。



 君は勉強を進んでするタイプじゃない。



 それとも他人の耳を余程気にしているとか?


 あり得る。俺の悩みに寄り添ってくれたのは彼だけだ。本当にとんでもない事情があるかもしれない。放課後になるのを待とう。
























 暇で退屈で窮屈な授業が終わって、放課後。


 俺は大きく伸びをしながら席を立った。


「今日も、生き残ったな~」


「何を大袈裟に。僕達の状況の何処をみればそんな緊迫感があるんだ」


「いいや、退屈に殺されそうだった。俺にとっちゃ勉強なんて点数を取る為の手段でしかないからな。ああ、将来の為にとかは考えてない」


「嘘だね。美子との将来はきちんと考えてた」


「……なかった事になっただろ」


「もう少し食い下がらないの? 僕としては笑い話で済ませてくれるならネタにしやすいから助かるけど、当事者は違うだろ」


「……ああ、食い下がるつもりだ。だから放課後は、ちょっと遊べない。悪いな」


 立ち位置の不安定な朱斗と、少しズレた会話を交わす。彼は気分屋な所があるので全面的に頼るのはリスクが高い。だから家にまで遊びに行こうという流れも起きないのかもしれないなー。


 他人事に聞こえるとしたら、その通りだ。


「因みに部活は?」


「破局してそれどころじゃないから休む」


「誓おう。それは殴られるからやめた方がいい」


「ただでさえよく分からない理由で失恋して、センチメンタル気味な高校生をぶん殴るとか先生としてどうなんだろうな」


「んー……じゃあまあ、僕が何とかしておくよ。確かに慮るべきだ。じゃあね」


 お礼も程々に、俺は一足先に校舎を後にした。



 少々、ひねくれている人間だというのは自覚している。



 実の所、今まで彼女が出来なかったのは俺の性格のせいかもしれない。色々と悲観的で、時に楽観的で、それは奇矯の振る舞いにも見えるかもしれない。或はこれさえも考えすぎで、破局したショックが想像以上に大きいのか。


「―――美子…………」


 精神の安定を保つ為の独り言。恋人だった彼女の名前を呼んで、周囲の反応を窺ってみる。手ごたえはないし、騒音もない。


 わざわざ先に帰ったのは夜間になる前に密談を済ませたいからだ。致命的に話がズレていたので彼は無視したのだろう。放課後と夕方は違う。部活をサボればの話だが。彼は確か野球部なのでもしそうなら 手短に終わらせたい筈。好都合な条件が揃っている。


 万が一にも警備員か先生が中を覗いてきたらまずいので、ちゃんと顔も隠しているつもりだ。ハンカチから作った顔布を被れば晴れて宗教的不審者の完成―――!


 それはそれで問題だが生徒とバレるよりはマシだ。







 いつしか、彼はそこに立っていた。







「え―――」


 ここに来たなら、山本君だ。理性はそう判断を下したが本能が身震いを隠そうともしない。俺の立つ階は二階だ。錆び付いた非常口の扉を開き、すぐ横にある階段を上って適当に廊下で時間を潰していたのだ。


 何の音も立てずに後ろへ立つなんて、そんな事が可能なのだろうか。いや、それは重要じゃない。大して仲良くもないクラスメイトに君は悪戯を仕掛けるのか、という話だ。微妙な空気間違いなし、最悪キレられる。


 振り返ると、そこには星代美高校の制服を着た謎の人物が立っていた。背格好は山本君に似ている。似ているというか彼そのものだ。キャッチャーが装着する防具(野球に興味がないので名前が分からない)もつけていて、バットを持っている。違うのは防具の内側に黒くて薄い布が仕込まれていて、それで顔が見えない事。


 バットを両手で握りしめた事だ。


「―――ああ、来てくれたんですか?」


 鎌をかけた。彼はさっき他人行儀に呼ばれる事を気にしていたので、『本物』なら反応してくれると考えたのだ。ただし、俺の言った言葉は同時にその含意を相手に伝えている。




 ―――お前は誰なんだ、と。




 理由のない防具。ただし顔を隠す以外。


 あってはならない金属製のバット。ただし凶器として以外。


「…………」



 俺が背を向けるのと同時に、無言の狩人になり果てた山本君が追いかけてきた。



「うわあああああああああああああああああ!」


 情けないと罵れば良い。


 あれはどう考えても俺を撲殺する気だ。追い回したからには冗談で済まされない。警察で正式に動くべき案件である。大声をあげれば誰かが気付くと思ったが、つくづく俺の運が悪いのか丁度その時誰も旧校舎の周りにはいなかった。


 実を言えば暫定山本君の反応を窺っているのだが、一言も発さないなんて徹底しているとは思わないだろうか。最初から俺を殺す気だったと認めているようなものだ。



 ―――まだ、死にたくない。



 理由も分からず破局して、そのまま死ぬなんて心残りがありすぎる。そんな軽薄な理由でさえ命を守れるなら十分だった。俺は走った、校舎中を。そもそもこの場所は取り壊す予定で、人が快適に行動出来る場所ではない。暫定山本君との距離は三メートル。扉を押した瞬間にバットが届く。


 抵抗? やってみるか? 妄想の中みたいにイキがって、痛い目を見てみるか?




 こっち。




 凛とした少女の声。


 あどけなさを失ったそれは妖艶でさえありながら、恐怖を取り除く光だった。前方を見ると旧二年A組の扉から白い手が伸びていた。お化けじゃない。その小さな手を、知っている気がする。背後で空振った凶器の風を受けつつ一目散に教室へ。


 当然、山本君も入って来たが、俺に殴りかかる事は無かった。





 それよりも先に、少女がナイフで横腹を刺していたから。






「…………!」


 まさかの伏兵に驚いたのか、暫定山本君は踵を返し早々に階段を下りて行ってしまった。身体を刺されて遂に一言も発さなかった人間を見た事はない。噛み殺しているという風にも思えなかった。


「―――あれはゲンガーだよ。匠」


 女子タイプの制服を着た少年が―――振り返る。





「私の名前は明木朱莉あかずきじゅり。君の悪友であり、たった今君の恩人になった」





 朱斗……朱莉は腰を抜かした俺の前にかがんで、ニコっと微笑む。 


















「―――ああ、ありがとう」

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