見えてる世界

甘木 銭

見えてる世界

「波川、奴らが来たぞ!」

 岩堂君が私の名前を叫んだ。


 騒がしかった昼休みの教室が一瞬で静まり返り、私は口に入れたばかりの卵焼きを喉に詰まらせかける。


 岩堂君はつかつかと私のもとまで歩いてきて、そのまま腕を取って教室の外まで連れだした。

 まるで王子様がお姫様を連れ出すように。


 でもこれは決してそんなにいい物じゃない。

 更にドラマチックさを薄れさせることに、この光景は今月に入ってもう五回目だった。


 だからクラスのみんなも、もうそれぞれの昼食タイムに戻っていく。


 私は友達とくっつけた机の上に置いてある、まだ半分ほどしか食べていないお弁当を見つめる。

 友達の顔は見ない。

 もう慣れ過ぎて心配も何もしてくれていないから。


 岩堂君は私の腕を取ったまま、廊下を進み続ける。

 一つだけ王子様らしいところを上げるとすれば、強引に引っ張られている腕に、全く痛みを感じないところだろうか。


「奴らって何?」

「邪心崇拝者どもだ!」

「それは前回倒したんじゃなかったの!?」

「生き残りが新しい組織として結集したんだ!」

「三日で!?」

「それだけ奴らの動きが速いということだな」


 なるほど。


 もちろん、ただの高校生である彼が邪心崇拝者と戦う道理はないし、その戦いに私が巻き込まれる理由もない。

 そもそも彼の言う邪心崇拝者やら何とか協会の構成員を、私は見たことがない。


 彼はいわゆる、中二病というやつなのだ。

 そして私はその遊びに付き合わされている。


 事あるごとにこうして連れ出される私を、友達は「大変だね」などと言う。

 確かに、宙勅を中断してまで突発的に連れ出されるのは大変だ。


 しかし苦労ばかりでもない。

 この状況にワクワクしている自分もいるのだ。


 岩堂君は私を中庭に連れ出した。

 漫画と違ってわざわざ中庭でお昼を食べる人はいないので、辺りは全くの無人だった。


「ここは……」

 思えば、私が岩堂君と関わるようになったのもここが最初だった。


 一年前、夏の暑さがまだ残る九月に、彼は額に汗を浮かべながら真っ黒なコートを着て、何かと戦っていた。

 何と戦っていたのかは分からない。

 後になって説明されたけれど、私には理解が出来なかった。


 私は委員会の用事で物置に行くために中庭を通り、岩堂君の戦闘シーンに出くわした。

 彼は私と目が合った途端に顔を赤らめ、それまでの激しい動きが嘘のようにしぼんで棒立ちになってしまった。


「何してたの?」

 当時何も分かっていなかった私は、うっかりそんなことを聞いてしまった。

 今となっては申し訳ないことをしたなと思う。


「えーと、今……ここに……邪……や、えっと……」

 岩堂君はしばらくしどろもどろに呟いていたけれど、やがてここは危ないからという様な事を言って私をその場から離れさせた。


 その時は物置に行かなければいけなかったので大人しくその場を離れたけれど、放課後に一人で教室に残っていた岩堂君に、私は彼の行動について根掘り葉掘り聞きに行った。


 彼はどもりながらも、彼に見えている世界や、背負っている使命の話をしてくれた。

 そして、私はただ黙ってその話を聞いていた。


 岩堂君はなぜそんなことをわざわざ聞いて来るのかと不思議そうにしていた。

 馬鹿にされると思っていたらしい。


 失礼な、私はそこまで性根は腐っていない。

 むしろ優等生のいい子だ。


 そう、いい子。

 私はずっといい子だった。


 周りの顔色を窺いながら、同調する。

 常識と協調性を何よりも重んじる。


 そしてそれに疲れてしまった。

 そんなときに出会った岩堂君の世界に、なんとなく惹かれてしまったのだ。


「見ろ、奴ら竜まで連れて来た」

 もうコートは着なくなり、半袖シャツ姿の岩堂君が叫びながら、何もない空を指さした。


 誰とも共有できない世界の中に、彼は生きている。

 しかし、いい加減付き合いが長い私には、彼の世界の一部が見えている。


 空を見上げれば、空に浮かぶ竜は黒く、晴れた空の明るさを遮るように巨大な翼を広げる。

 大きなツノを振りながら、ギラギラとした目つきでこちらを見つめ、牙の生えそろった口の端からはダラダラとよだれを垂らしている。


 そんな、岩堂君が思い描いているであろうドラゴンの姿が、ありありとイメージできる。


「見ろ、あの赤いウロコ。火属性か。牙も翼もボロボロにしながら乾いた息を吐いているな。……ツノがおられているのを見るに、無理矢理操られているのだろう。その証拠に、優しい目をしている」


 私もまだまだらしい。


 彼はエネルギー波を使ってドラゴンと、その背中に乗っている戦闘員との激闘を始める。

 動き回っている傍にずっといると危ないので、私は横に避けることにした。


 付き合わされて大変、なんて言われるけれど、彼が見せてくれる世界は、退屈で平坦な。私の日常には実にエキサイティングだ。


 最初は固有名詞が多くて岩堂君の言うことはよく分からなかったけれど、だんだん私にもわかりやすい言葉を選んでくれるようになった。

 今は邪心崇拝者が敵だけれど、前の組織はもっとわかりにくい名前だった。


 私は彼の話を楽しく聞いているし、彼も私を自分の世界に迎え入れてくれている。

 一方的に付き合わされている訳ではなく、これは私たちなりのコミュニケーションなのだ。


「波川、力を貸してくれ!!」

 岩堂君が私を呼んだ。


 最近はこういうパターンが増えた。

 私との合体技だ。


「グランド・ライト!!」

 並んで上空に向けて腕を突き出す。


 流石にまだこれは恥ずかしい。


「ふっ、なんとか、なったか……」

 岩堂君は膝から崩れた。

 戦いの疲れが出たのだろう。


「大丈夫?」

「ああ、しかしお前がいなければまずかった。ありがとう」

 彼はやり切った顔でほほ笑みかける。


 彼が戦っているのは彼が生み出した虚構だ。

 誰を救ったわけでもない。

 ただ、私の退屈を容赦なく叩き壊してくれる。


 誰も知らない。

 誰も知らなくていいヒーローの物語だ。


 そんな彼を、私はもうしばらく見守っていたい。

 そしてゆくゆくは、彼が目を覚ました時に守ってあげられる存在になろうと思う。

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