紅玉

 失いたくなかったのに、自分の手で消してしまった。

 彼女を助け出せればと思っていた。間に合わなかった。

 なにもかもが手遅れで、少年は町から逃げ出した。

 願わくば、誰も自分の事など知らない場所へ。

 血に染まって穢れてしまった自分でさえ、受け入れてくれる場所へ。

 

 


紅玉




 どちらかと言えば大陸の東側、今は亡き王の住む都。ここから現在の王がいる都までは大陸を横断しなくてはいけない。

 さらに南東へずれたところ。地図の上から消えて久しい土地、人知れず在る町の中に彼は居た。

 雪のように白い――しかし毛先は墨に浸けたように黒い――髪を持ち、ルビーのような赤い眼はまだ幼さを残していた。

 まだ大人になれない彼の傍には、大抵老人が居た。ぼさぼさの白髪を直しもせず、穏やかな顔で少年を見ていた。

「うん。うん。刃物の扱いにも慣れてきたようだな。ではこれを――」

 老人はそう言って、少年にジャガイモを渡した。

「剝いてくれんかね。」

 少年は言われるままに芋の皮むきを始めた。

 黙々と作業は進められていく。


 赤い目を持つ少年の名前はシュク。共に皮むきの作業を進める老人が付けた名前だ。

 老人の名前はセキ。気まぐれな、風のような人だ。「明日は川にでも行こうか」と言いつつ海に行ったり、「夕飯にはスープを頼む」と言い残して出て行ったまま数日帰らなかったり、かと思えばシュクに付きっきりでナイフや銃の扱いを教え込んだり、全く行動の読めない人だった。


「シュク、ニンニクを取ってくれ」

 言われて無言でニンニクを差し出し、また自分の作業に戻る。シュクが言葉を発することは滅多になかった。

「セキは……王都まで行って何するの?」

 ぼんやりと思ったことを口に出してみた。シュクは自分の問いかけに顔を上げたセキを見て、少し怖いと感じた。いつも通りの優しげな目をしているのに、どうして怖がらなければいけないのだろう。

 セキはシュクの質問に答えず、逆に聞き返した。

「お前は何かしてみたいことはあるか?」

 聞かれてシュクは首を振った。

「今のままで十分」

 剝き終わった具を鍋の中に放り込み、ふたをした。



 シュクはたまに立ち止まる。

 何人もの人間を傷付けてきたように思う。もう誰も傷付けたくないと思っても、世界は動き続け、必ず誰かが傷付いていく。

 世界は変に平等で、誰かが幸せになると他の誰かがとばっちりを受ける。十二年分の冷たさと、一年分の温もりで、今のシュクはできている。どちらがかけても今のシュクはいない。

 シュクは少しずつ歩いていく。前を歩くセキに追いつこうとして歩き続ける。

 これから起こる出来事によって、冷たさと温もり、どちらが増えるかは分からない。冷たさの方が多いかもしれない。逆に、帰る場所が増えるかもしれない。


「……やっちゃった……」

 人知れず在る街に滞在して二日目。近くを流れる川で捕まえた魚を焼いていたシュクが呟いた。

 少し目を離した隙に火が入りすぎた。手元にあった細い棒で、炭と化した部分を削り取る。かさかさと乾いた音を立てて崩れていく魚の表面。

「……シュク?」

 名前を呼ばれて顔を上げる。そこでようやく狩りから帰ってきたセキが目の前に居ることに気付いた。いつもならシュクから迎えに行って呼びかけるのに。誤魔化すように手を動かし、焦げをこそげ落としていく。

 ――誤魔化す?

 自分でも分からない。一体何を考えていたのだろう。



 王都までの距離はさほど縮まらないまま、三日が過ぎていた。

「さて、今日は今まで教えた技の総復習といこうかな」

 荷物をまとめ、すっかり片付いた広場でセキは言った。手にはセキ愛用、ラフロイル製の剣を持っている。シュクには投げナイフを十本。しっかり考えて、よく狙って投げるように言った。

 シュクにはセキの言ったことがよく分からなかった。

 これではまるで――。

 握らされたナイフから顔を上げてセキを見る。

 セキはすでに鞘を払っていた。

「始めるぞ」

 シュクが了解の意思を示す前に、目の前の老人は走り出していた。とっくの昔に現役を退いたと言うセキは、老人とは思えないほどの剣速で、シュクを地に伏せさせた。

 シュクを見下ろすセキの目は冷たいが、口調はあくまでも穏やかだ。

「いつも言っているだろう。やらなきゃ自分が殺される」

「――この世は弱肉強食。生きたければ、強くなること……」

 シュクはセキの言葉を継いだ。だが、いくら言葉ばかりを覚えても、実践はなかなかできるものではない。ましてや相手は今までシュクの面倒を見てくれた人だ。そう簡単に刃を向けることはできない。それでも――。

 まだ心の固まらないシュクに、突きが繰り出される。紙一重で避け、それでも最後には捉えられる。左肩に痛みが走った。服の袖が赤く滲む。

 ――やらなきゃ、自分が殺される。

 恐怖、悲しみ、……いろんな感情が入り交ざる。町を支配していた大人たち、死を望んだ少女、容赦なく剣を振るセキ……裏切りの世界。




 願いは届いていなかったのだろうか。

 大切な人を失った。

 老人が少年に残したものは、深い悲しみと狂気。

 大切な人を失った少年は受け入れてくれる人を求め、老人を殺した少年は世界を拒んだ。

「生キタケレバ……強クナルコトダ……」







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