第3話 ハロルドの失意

 ハロルドは紙芝居で自分が住んでいた世界がいかに間違っているかを説いた。


 魔王は人間を滅ぼそうとしていた。

 魔王の手下のモンスターは人間を襲って食べた。


 人間は小さな王国で小さくなって過ごさなければならなかった。

 その中で金持ちは富み、貧乏人はますます貧乏になる。


 魔物と人間が殺し合う世界で助け合いすらしない。

 その愚かさを説いた。


 当たり前すぎて誰もが見てみぬふりをしてきた事実こと

 それが間違っているなど誰も思っていなかった。


 反感を持つ者もいた。

 敵意を露わにする者もいた。


 そして王は自信を失ったかのように、まだ12歳だった王子に位を譲ってしまった。

 人々はハロルドのせいだと陰で言った。ハロルドのせいで王は腑抜けになってしまったとささやいた。賢かった王は隠居してしまった。


 そんなつもりはなかった。

 彼はただ自分が素直に思ったことを相手にぶつけただけだった。


 王を嫌っていたわけではない。

 王を懲らしめようとしていたわけではない。


 王のことは嫌っていなかった。

 むしろ気持ちのいい相手だと思っていた。


 懐かしいような気もしていた。

 話していると楽しい気持ちになれた。


 けれど言葉は武器になってしまうことがある。

 心に刺さる強力な武器だ。


 こんなつもりではなかったのに。


 ハロルドは失意のうちに町に戻り、知り合いにも何も言わずに山の家に引きこもった。彼は昔のハロルドに戻ってしまった。


 それでいいとハロルドは思った。


 自分などが世界に、人々に好かれるはずがない。

 そして、昔のハロルドがしていたように毎日を過ごす。


 自然の中で生きていく。

 総一朗ではなく、ハロルドになっていく。


 しかしそのうち、余計な事を考えるようになっていた。

 ハロルドは何が悪かったのかを考えるようになった。


 ハロルドは考えたくはなかった。

 それなのに気づくと考えている総一朗が自分の中にいた。


 すると何かが降りてくるかのようにひらめいた。

 自然の中に戻ったのがよかったのかもしれない。


 自分は異世界に生まれたハロルド・マーシャ。

 でも、田原総一朗でもある。


 自分は人間の側からしか見ていなかった。

 王に自分の考えを言ったのだから、魔王にも同じことをしたらどうだろう。


 総一朗だってそうしていたはずだった。

 一方からの意見だけではなく、多方面からの意見を集めていたはずだった。


 魔物のことを調べ、魔王の国のことを調べ、魔王を調べ、魔王を知って、人間を襲ってくる魔物たちに紙芝居を見せてみよう。言葉が通じなくても絵なら伝わるだろう。絵が無理なら身振りでもいい。


 魔物の牙や爪は強力かもしれないが、ペンがあるから大丈夫。

 喰えるものなら喰ってみやがれ。


 まずくて喰えたものではない。

 だってハロルドは総一朗なのだから。


 そう思ったら居ても立っても居られなくなった。

 ハロルドは紙とペンを手に、旅に出ることにした。


 そして、魔王の国に行くために町を出ようと町はずれまで来た時だった。

 これ見よがしに立つ人影があった。


 避けたかったが、それもどうかとハロルドは思った。

 薄汚れたフードを目深にかぶり、タチが悪そうな男だった。


 どれだけ放浪していたのだろう。

 ボロボロな姿をしている。


 普通の人間なら近寄りたくはないと考えるが、ハロルドは普通ではなかった。

 彼の総一朗の好奇心が勝った。


 ハロルドが男の前まで行くと、

「どこにいくつもりだ?」とハロルドに聞く。


「どこって、そりゃ魔王の城に決まってるだろ」

 二十歳そこそこのハロルドにしては老獪なしゃべり方だった。


「魔王を倒しに行くのか?」

 この世界で魔王の城に行く人間は倒そうとするのが通例だった。


「なんで僕がそんなことせにゃならん。僕は話をしに行くだけだ」

 どこからくる自信なのかハロルドは言い切った。


「話?」

 男は怪訝そうな顔をする。魔王に話をしに行く人間などいないからだ。


「僕はジャーナリストだからな!」

 ハロルドがそう言うと、男は笑い出した。


 それはそれは大きな声で。

 気持ちがよくなる笑い方だった。


 それを見ているとハロルドも楽しくなり、

「お前も来るか?」とノリで言った。


「行こう」

 力強い声で言い、男はフードを外す。


 それは位を譲った王だった。

 彼は諦めてなどいなかった。


 嫌になって王位を降りたのではなかった。

 先王は自分の無知を知り、見聞を広めに魔物が蠢く危険な荒野を旅していた。


 皆からは散々な評価だったが、ハロルドの紙芝居は、その絵は人々の心を揺さぶった。描いては破き、破いては描いた絵は、人々の常識まで壊してしまった。


 それは先王も同じだった。

 とびきり上手いわけではないが、そこそこ上手いという中途半端なハロルドの絵は、なぜか魂が揺さぶられた。


「国は良いのか?」

 最強最悪な魔王のところへ行くのである。


 危ない物に近寄るのだから、命がいくつあっても足りない。

 しかし先王は鼻で笑う。


「日本には院政というものがあったのだよ」

 院政のことは総一朗も知っていた。


 位を降りた天皇が上皇として政治を行うことである。天皇は飾り物になり、位を退いたはずの上皇に権力が集まる。


 けれどハロルドは、院政のことを紙芝居に入れたことはなかった。

 それなのにどうして先王が知っているのか。


「あんたはもしかして……」

 ハロルドが言うと、先王はニヤリとした。


「よくもあんな物語にしてくれたな」

 先王はそう言って豪快に笑った。

 城に居たお上品な王と同一人物とは思えなかった。


「てっきり引退するのかと思ったんだがな」

 ハロルドはニヤニヤする。

 豪快ではないがニヤニヤが止まらなかった。


「何を言っておる。絶望の先に明るい未来はあるのだ。希望が断たれた後こそが本当の勝負だ」

「まったくその通り!」

 ハロルドと先王は顔を見合わせて笑う。


「魔王の城に行って、紙芝居で魔王を引退させてやれ!」

「よし、行こう!」


 若いはずなのに若く見えない二人は旅をする。


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