赤い包帯

 手首に結んだ赤い包帯。君は嬉しそうに微笑んだ。

「きっと、護ってくれると信じてる」

「バカだなぁそんなに簡単に悪魔を信じちゃダメだよ?」

「じゃあ、護りたくなるように、貴方の心を捕えるよ。覚悟しててね」

「やってごらんよ」

 永い時の中、退屈しのぎのつもりだった。

 彼女はいつの間にか、名前の通り、ボクの光になっていた。

 神に仕立て上げられた悪魔と、偽りの神に捧げられた生け贄。役割を越えて手をとる二人の想いに反して、周囲の人間は争いを繰り返す。

 包帯を染めたのが何かは聞かない。きっと彼女も望んでない。ボクの部屋に現れては手首と中指を結び微笑む彼女を──いつかは食べるつもりだったエサを──食べたくないと、思ってしまった。


「ねぇ神様……」

「ダークンて呼んで」

「ダークン……私ね──」

 紡ぎかけの言葉は無慈悲な矢に止められた。力無く体を預けた彼女の背中から、温もりが流れ出す。

 神を独占しようとした魔女め。誰かの言葉。

 さあ、どうぞ御召し上がりください。年老いた神官の言葉。

 媚びへつらう笑みに、無言で異議を唱えれば、彼らの表情はやがて恐怖へと変化した。

 神殿を流れる水が赤く染まった。


 力無く地に伏した彼女を抱き寄せ、自身の無力さに項垂れる。

 落ち込むことはない。元々エサだったじゃないか。

 だけど、こんな終わりは望んでいない!


「……ダークン」

 弱々しい声に名前を呼ばれ、はっと顔をあげる。

「ルーチェ!」

「……神様も……泣きそうな顔、するんだね……」

 彼女は笑ってボクの頬を撫でた。

「……ごめんなさい……最期にひとつだけ……この国を、私の大好きな人たちを……護って、ね?」

「最期なんて言わないで……ねえ! ルーチェ!」

 破壊が存在の悪魔に、大切な人たちを護ってなんて願わないで。目の前の大切な人すら護れていないのに!

「きっと……護ってくれると……信じている……」

 もう、彼女の目に光はない。途切れ途切れに紡がれる言葉が、二人を縛り付けていく。

「バカだなぁ……そんなに簡単に悪魔を信じちゃダメだよ?」

「でも……心を、捕らえた……私の……」

「うん、君の勝ち」

 あぁ、最期になんて呪いをかけてくれたんだ。これはとてもじゃないけど解けそうにない。

 初めて「食べたくない」「ずっと傍に居たい」と想った人は、もう、人形のように動かない。

 そっと胸に口づけて、静かに皮膚を裂き、心臓に手を伸ばした。

 甘くて苦い、他の人間には感じなかった味覚。 



 彼女以外はどうでもよかったんだ。いつから執着するようになったのかなんて知らない。

 神殿という美しい檻の中、閉じ込められたボクに頭を垂れるニンゲン。名のある歌姫の歌も、響かない。何もかもを壊してしまいたいのに、最期の願いがそれを赦さない。

 あぁ、こいつもダメだったか。誰かの言葉。

 次の歌姫を呼びましょうか。新たな神官の言葉。


 次に連れてこられたのは、年端もいかない少女だった。幼い頃から「神様」に捧げられる為に育てられた歌姫。アペレース・シシア。彼女が見せた無邪気な笑顔に魅せられた。暗く永い時の中、一瞬の輝きを見つけたボクは、彼女をルーチェの生まれ代わりだと信じて疑わなかった。

 そして、ある日シシアが持ち込んだのは、赤い包帯。鼻歌を歌いながら手首に結び付ける。

「……シシア、本当はダメなんだよ?」

 きっと他の人間に知られたら、ボクはまた大切な歌姫を喪うことになる。しかし首を傾げた後、少女は無邪気に笑って歌うように「友だち~」と言った。

「……友だち~」

 同じ調子で繰り返せば、笑顔はさらに輝いた。

 無邪気な生け贄は毎日ボクに会いに来ていた。人間の時間にして五年間、国にとってもボクにとっても穏やかな日々が続いた。たまにシシアが寂しげな表情をしていたが、気付いていない振りをした。


 ふと、気付いて起き上がる。神殿の外が騒がしい。

 慌ただしく駆け込んできたのはいつもの少女ではなく初老の神官。

「どうしたの?」

「あ……いえ、少し……いや、あの……実は、歌姫の行方が昨日の夕方から分からなくなっておりまして」

 ああ、それで今日は来ていないのか。

 目を閉じて、国中の闇に干渉する。しかし、見つからない。

「それで、今日はキミが歌ってくれるの?」

「そ、そんな滅相も──」

 神官の言葉は途切れ、首がごろりと転がった。

 影についた血を払い、立ち上がる。

 おかしいな、昨日はいつも通りに歌ってくれたのに、どうして突然。

「どこに行ったの? ボクの歌姫」





  終












 * * *


if:アペリの旅が夢だったら。

…………………



 無邪気な生け贄は毎日ボクに会いに来ていた。人間の時間にして五年間、国にとってもボクにとっても穏やかな日々が続いた。たまにシシアが寂しげな表情をしていたが、気付いていない振りをした。


 来客を告げる鈴の音に体を起こす。

「待ってたよ、シシア……と、どうしてキミがいるのかな」

 いつも一人で来る彼女の後ろについてきたのは、初老の神官。告げられたのは、でっち上げの報告による《歌姫の罪》。

 無垢な瞳に不安の色が浮かぶ。

「……神官とは名ばかりの、浅ましき人間め」

「勘違いされませぬよう。この国と民の為、特定の人物が独占しないようにするのは当然でしょう」

「何でもいいや。シシアから離れて」

 ボクの言葉に頷くと、神官は静かに下がった。と同時に風を切る音が聞こえた。

 シシアの小さな体がその場に崩れ落ちる。「怖い」「助けて」感情が流れ込んでくる。確かに死にゆくヒトの感情は好きだ。だけど、キミのは要らない。

 繰り返される愚行に終止符を打とう。

 国中の闇が溢れ出し、誰彼構わず呑み込む。暗い檻に囚われて、吐き出される感情はボクの糧になる。

 一時的に力を得たボクは、禁術を行使した。対象の身体と精神を切り離し、時間を止めて精神を異世界へ逃がす──神にのみ許された術だ。

「おやすみ、ボクの歌姫」

 誰にも邪魔されない世界でまた逢おう。

 今度はボクが赤い包帯を結んであげる。











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