愚かな道化は泣いた(三視点)

「カンパーイ!」

 複数のジョッキがぶつかり、泡が飛ぶ。賑やかな酒場で中央に立ち謳うのは一人の旅人。明るい茶髪がふわふと揺れ、若葉色の目は光をたたえている。紡いだのは希望の歌。力強く、明日を歌う。

「さあさ飲んで飲んで!」

 次々注がれる酒は、歌っている旅人にも渡された。

「ようアペリ! 楽しんでるか?」

「もちろん!」

 笑顔で受け取り、別のテーブルで談笑している客に話しかける。

「やっほー! 飲んでる~?」

「おうよ! お前も一緒に飲もうぜ!」

「もう一曲歌ったらね」

 さりげなくテーブルにジョッキを置いて離れれば、酔った客は気付かず飲み干してくれるだろう。

 アペリが再び中央に立ち、声が響くと周囲からは手拍子と共に合いの手が上がる。今度は酒場にふさわしく、酒飲みの歌だ。

 男も女も、時を忘れて飲み、食い、歌い踊った。希望に満ちた明日が来る。誰もが疑わなかった。

 こっそり宴を抜けて自室に戻ったアペリは、窓から見える月を睨む。

 ベッドの上にいた黒猫が呼び掛けるように鳴く。わずかな光も反射する緑の目は、心配そうにアペリを見つめていた。

「まだ終わっていない──けど、もう、僕には何も」

 俯いて溢した言葉には、悔しさが滲んでいた。黒猫がどう言葉をかけようか迷っている間に、歓声は悲鳴へと変わった。

 大きな音をたてて階段を駆け上がり扉を開けた男は目を見開き、自身の喉を掴んで、崩れ落ちた。

 冷たい月の光に照らされる部屋の中、徐々に小さくなっていく階下の喚声から逃げるように耳を塞いだアペリは待った。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ひたすら繰り返される謝罪の言葉。

 村人にかけられた、“滅びの魔女”が残した 呪いを完全に解くには至らなかった。彼らと出会った時点で既に手遅れで、力不足だった。

 だから演じた。聖なる賢者の役を。

 一時的とはいえ、村人の不安が薄まれば良いと思った。後で怨まれても仕方ないと思った。

 愚かな道化は泣いた。

 朝日の差し込む酒場の中央に立ち、紡いだ歌は鎮魂歌。倒れた村人達の体から呪いの痣が黒い靄となって消えていく。

 今度はアペリが呟いた呪文に応えるように、小さな火がそこかしこに点いた。火は徐々に大きくなり、炎となって悲劇の舞台を包み込む。

 朝焼けと燃える酒場を背に旅人は歩き出す。後ろをついていく黒猫が、一度だけ振り返って、短く鳴いた。







 * * *


ジスティ



 乾杯の音頭と複数のジョッキがぶつかる音が聞こえた。宴会が始まったようだ。

 聞こえてくる歌声はアペリのものだろう。希望の歌を力強く歌っている。

 少し間を開けて次に響いたのは酒飲みの歌だ。手拍子と共に合いの手が上がる。

 とても賑やかな夜なのに、私にはそれが皮肉に思えた。きっと誰もが明日を信じて今を過ごしているのだろう。

『……人の気も知らずに、ね』

 階段を上がってくる音がする。こっそり宴を抜けて自室に戻ったアペリは、窓から見える月を睨んだ。

『お疲れさま……大丈夫?』

「まだ終わっていない──けど、もう、僕には何も」

 俯いて溢した言葉には、悔しさが滲んでいた。

 どう言葉をかけても気休めにもならない気がした。迷っている間に、階下の歓声は悲鳴に変わった。

 ──ああ、来てしまった。

 大きな音をたてて階段を駆け上がり扉を開けた男は目を見開き、自身の喉を掴んで、崩れ落ちた。

「この……ペテン師、め……」

 事切れる寸前、絞り出したのは猫の耳だからこそ聞こえたくらいの声量。アペリには聞かせたくない言葉だ。しかし、聞こえなくても、駆け込んできた時の表情で伝わってしまっただろう。

 冷たい月の光に照らされる部屋の中、徐々に小さくなっていく階下の喚声から逃げるように耳を塞いだアペリは待った。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ひたすら繰り返される謝罪の言葉。

 私には魔術はよく分からない。でも、アペリが村人にかけられた呪いを解こうと努力していたのは、一番近くで見ていた。

 彼らと出会った時点で既に手遅れで、力不足だった。だから聖なる賢者の役を演じて、一時的でも村人の不安が薄まれば良いと、後で怨まれても仕方ないと、アペリは話していた。一人言だったかもしれない。

 泣いている友人を前に、寄り添うしかできない。尻尾が三本に割れているというだけのただの猫。悔しさに、床に爪を立てた。

 アペリは朝日の差し込む酒場の中央に立ち、紡いだ歌は鎮魂歌。倒れた村人達の体から呪いの痣が黒い靄となって消えていく。

 今度は火の呪文を呟いて、悲劇の舞台から退場した。

 朝焼けと燃える酒場を背に歩き出す。私は一度だけ振り返って、短く鳴いた。

『──』









 * * *


放浪者



「カンパーイ!」

 複数のジョッキがぶつかり、泡が飛ぶ。賑やかな酒場で歌うのは、明るい茶髪と若葉色の目をもつ歌姫。少年のような声が紡いだのは希望の歌。力強く、明日を歌う。

「さあさ飲んで飲んで!」

 次々注がれる酒は、窓辺の席で食事をしていた客にも振る舞われた。首に鍵を提げた鷹が皿の肉を啄む。

「あ、共食いだ」

『元々雑食だし、鷹は肉食だから問題ないよ』

「知ってるよ。

 それにしても、いいタイミングで来たねー。食べ放題飲み放題。何祝ってるのかは分からないけど。村の祭日かな」

「ちっげーよ! あの旅人さんがオレ達を救ってくれたのさ!」

 隣の席の酔っ払いが示したのは先程歌っていた歌姫。あの少年が村にかけられていた呪いを解いたのだという。

「村ごと呪われるって、なにやらかしたの」

「何もしちゃいねぇよ。この村にはあんたやあの旅人さんみたいに、どこからかフラリと人がやってくるってことがよくあるんだ。ただいつも通りにもてなしただけさ。

 奴は「礼に歌わせてくれないか」って言った。祝福の歌だと偽って、呪いを歌っていたのさ」

「その呪いをあの旅人が?」

「解いた。呪いの魔女と似た響きの言語だったから、もしかしたらあいつら同郷かも知れないなぁ」

「ふぅん……」

 再び歌声が響くと、周囲からは手拍子と共に合いの手が上がった。今度は酒場にふさわしく、酒飲みの歌だ。

 男も女も、時を忘れて飲み、食い、歌い踊った。希望に満ちた明日が来る。もう恐れることはない、と。

 お祭り騒ぎに便乗して、食事と談話を楽しんでいた放浪者は、宴会からそっと抜け出す旅人を視線で追った。

「歌い疲れたのかな。

 ……僕らもそろそろ行こうか」

『そうだね』

 コインを数枚テーブルに残して立ち上がりかけた時、どさりと重たいものが落ちる音がした。

 カウンター席に座っていた客が床に転がっていた。顔や腕が不気味な痣に覆われている。

 歓声が止んだ。驚愕、恐怖、混乱──沈黙はすぐに悲鳴へと変わった。

「なんで?! どうしてっ!!?」「ああああああの野郎っ騙しやがって!!」「嫌だ! こんな……ァ……」

 一人、また一人と倒れていく。そんな中で鷹は悠然と羽の手入れをしていた。お人好しな村だと興味無さげに呟いて、苦しむ村人達に注目される旅仲間に視線を向けた。

「お前もあいつの仲間かァ!」

 恐怖に支配されて正常な判断ができなくなったようだ。よたつきながらも村人達が放浪者に襲い掛かる。

 放浪者はひらりひらりとかわしつつ、上階を気にした。騒ぎの中階段を駆け上がっていった男と、宴を抜け出した旅人が少し気になった。

『これ以上面倒に巻き込まれないうちに出よう』

「巻き込まれるのはいつものことでしょ」

 酔っ払いの攻撃を避けつつ上階への階段に向かった放浪者の前に、黒いドレスの女性が立ち塞がる。

 誰かが叫んだ。

「呪いの魔女だ!」

 魔女と呼ばれた女性は気だるげにため息をついた。

「祝福を授けてあげたのに随分な言い様ね。これで、この世の全ての苦しみから解放されるっていうのに……ねぇ?」

 緑の瞳が放浪者を捉える。

 放浪者は曖昧に笑って受け流した。

「……貴方には別のものをあげましょうか」

「そこを通してくれたら十分だよ」

「それは譲れないわ」

 魔女の言葉に、放浪者は「そっか」とあっさり引き下がった。

 あまりの呆気なさに魔女の眉間にシワが寄る。

『押し通るほどの執着もないしね。行こうか』

「……うん」

 踵を返すと倒れた人の腕を跨ぎ、脚を避けて出口へ向かう。足取りに迷いはない。

 扉を潜り、閉じてから二階の窓を一瞥した。やがて酒場の悲鳴は薄れていくだろう。倒れた村人の死に様に、歌姫は何を思うだろう。

「会ったところで、何も出来ないけど……」


 渡り鳥は翼を広げた。









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