二人の旅人
扉を開けると、そこは葡萄畑。撓(たわ)わに実った葡萄の果実が収穫されるのを待っていた。
「わぁ……綺麗だね」
誰に言うでもなく呟いて、そっと葡萄に触れる。そして、風に揺れる葉の音を聞き、嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
葡萄の木に手を振って歩き出す。
広がる畑と点在する民家を眺めながらのんびり歩いていると、一軒の農家の前で足を止めた。
「……ここかぁ」
躊躇う事なくドアを叩く。今夜の宿泊交渉一軒目。断られたら次の家を訪ねるが、最悪の場合野宿になる。しかし、アペリが躊躇う事なくドアを叩くと、たいていの交渉はすんなり通ってしまうのだ。
暫くして、ドアがゆっくりと開いた。
「はいはい、どちら様?」
中から出てきたのは、初老の女性。見知らぬ顔に少し警戒しているようだった。
「こんにちは。各地を旅しているアペリといいます。この村に着いたばかりなのですが、一晩泊めて頂けませんか? あ、ジスティも一緒に」
足元にいた私を抱き上げて笑うアペリを見て、女性は驚いた様子を見せた。アペリに驚いたのか私に驚いたのか、視線が行ったり来たりしている。受け入れるかどうか迷っているようだ。
アペリはいつもより少し真面目な顔になって、こんなことを言った。
「貴女の家族を助けます」
もしかしたら一人暮らしだったかもしれない女性にどうしてそんな事を言ったのか、その時は分からなかった。
女性は、少し考えてゆっくりと口を開いた。
「アペリさん、ね。貴方を信じても良いかしら」
オリアナと名乗った女性は、こっちへ来てと手を引いた。
家の外側を回って連れて行かれたのは、裏庭。そこには一本の葡萄の木があった。捻れた大きな幹、幾重にも分かれた枝、ここに来るまでに見た畑の木より相当古い老木だ。
しかし、畑の木はみんな実を付けていたのに対し、老木には元気がない。しおれた葉が、ぽそりぽそりと付いているだけだ。
「これは……」
言いかけたアペリは開いた口をそのままに、言葉を探した。結局、良い言葉が見付からなかったのか、素直な気持ちで見たままを口にした。
「枯れかかってますね」
「そう……でも、私にとっては大切な木なのよ」
アペリはゆっくりと木の幹に触れた。葡萄畑でそうした時と同じように、優しく風が吹き、枝が揺れる。
「……そう、まだオリアナさんと居たいんだね」
アペリは木の意志を確認したように頷くと、肩から掛けていた鞄を下ろした。
「オリアナさん、今からこの木を元気にします」
「木を元気にって……貴方は、木のお医者様?」
オリアナさんの問いに、アペリは首を横に振って笑う。
「いえ。専門知識は全くと言って良いほど無いんですけどね」
じゃあどうやってとオリアナさんが問い掛ける前に、アペリは行動で答えを示した。
「♪~」
歌声が裏庭に広がった。
人も、猫も、草木さえ聴き入ってしまうような優しい歌を、願い、祈るように歌う。
風が祝福するかのように踊り、しおれていた葉の陰から若葉が顔を出した。見るまに若葉は全ての枝に芽吹いて、つやつやと輝く黄緑色が太陽の光をめいいっぱい受けていた。
《樹木再生の歌》――ではなく、もっと大きな括りで《癒しの歌》。アペリが得意とする歌魔法のひとつだ。
「~♪」
ゆっくりと消えるように歌が終わった。
私達の前には、さっきまで枯れかけていたとは思えないほど生き生きとした葡萄の老木が立っていた。
「これでまたしばらくは大丈夫だと……オリアナさん?」
アペリは、ほうけた顔で甦った老木を見ているオリアナさんの目の前で手を振った。そういえばまだ魔法使いであることは話していない。
『この世界が魔法使用禁止だったら交渉決裂だね』
「そ、そんなことさせないから! いい加減布団で寝たいし」
我に返ったのか、オリアナさんの目に光が戻り、今度は涙が溢れてきた。
『??』
「……大切な存在、だったんですよね」
涙を拭いながら何度も礼を言うオリアナさんに、アペリは、お礼は一泊泊めて頂くだけで十分ですと言った。
「何もないけれど、ゆっくりして行ってちょうだい」
「ありがとうございます」
* * *
一晩泊めて貰い、翌日の朝には出立――のつもりが、久々のベットで寝坊したアペリがオリアナさんの家を出たのは昼前だった。
それからまた何度か世界を渡って、ティムスさんと会い――せっかく葡萄畑のある村に行ったのにワインも飲まずに帰ってくるなんて勿体ない!と言われ(ついでに土産も要求され)、私達はオリアナさんの村がある世界に戻って来た。
以前来た時と同じように、葡萄畑が出迎えてくれた。そして、果実とは別に甘い香りを嗅ぎ取った。
『これ、ワイン?』
「ジスティはもう匂いが分かるんだねぇ」
畑から出て、村へ向かう道を歩く。
「あ。あの人も旅人かなぁ」
アペリが見付けたのは、道のずっと先を歩く人。大きなリュックと乳白色の髪が特徴的だ。
『……もう村を出るみたいだね』
「あの旅人さんはこの村のワインを味わえたかな」
『あれ、オリアナさんじゃない?』
「あ。本当だ」
風が葡萄の香りを運ぶ。
「オリアナさ~ん」
アペリの呼び掛けに振り返った彼女の胸元には、琥珀のペンダントが光っていた。
終
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