風邪引き魔術師
今日のアペリはどこかおかしい。
普段から常識からズレてる言動はあるけれど、今回はそんなんじゃなくて――。
『大丈夫…?』
「だい、じょ…ぶ」
明らかに辛そうだ。
歩くとふらつくし、鼻声だし、何か顔色悪いし……。
『風邪、なんじゃない?』
「……ない。ないないない」
何て言うか……こういう時のアペリは嘘が下手だ。
『ねぇ、キルシュのとこに行こう』
「自、力で…治せる」
『調合も回復魔法も苦手なくせに! 意地張ってないで、行こうよ!』
「……」
袖をくわえて引っ張っても、耳元でいくら鳴いても動かない。
『もうっ!』
アペリを動かすのは諦めて、キルシュを呼んでこようと考えた。が、私は薬師の店がどこにあるのかを知らない。
八方塞がりだ。
そもそも私一匹では、部屋の扉すら開ける事はできないのだ。
『誰かー! 誰か開けて下さーい!!』
扉に向かって叫んでみたけど、返ってきたのは背後のソファーで寝ている病人の冷たい反応だった。
「……ジステぃ……うるさ、ぃ」
あんたのために叫んでんだよっ!!
「……寝かせて……」
私が振り向いた時には、アペリは既に眠っていた。早い…。
改めて目の前に立ち塞がる扉を見る。
何の変哲も無い、普通の扉だ。ドアノブは掴んで回すタイプ。容易には開けられない。
他に出口はないかと探してみる。部屋の窓は全て閉まっている。
脱衣所まで行ってみる。人は通れない小窓は、わずかに開いていた。
『待ってて、アペリ。助けてくれる人、きっと見つけて帰ってくるから――』
* * *
アペリは夢を見た。
懐かしい、両親とまだ一緒にいた頃の夢。
体調を崩して寝込んだとき、お母さんはいつもより優しくしてくれた。りんごをむいて、ぬるいタオルを取り替えてくれて、額に触れた冷たい手が今も記憶に残っている。
――懐かしいなぁ。
遠くで猫が鳴いている。
扉の開閉する音と、男の人の声がする。
――お父さんが、帰って来た。
朦朧とする視界の中、アペリは優しかった頃の父親を見た。
* * *
「馬鹿はひかないはずじゃなかったのか…?」
キルシュがぼやく。
ソファーに横たわるアペリからは返事が無い。
『助かる、よね? ただの風邪だよね?』
足元でアペリを心配して鳴く私の頭を撫で、持ってきた鞄を開けた。
薬臭い。
「……年代物だからな。薬の匂いが付いたんだ。そんな嫌そうな顔をするな」
『我慢…する』
キルシュは慣れた手つきで、鞄から取り出した薬草を調合していく。
「錠剤か座薬か……って、うちは粉しかないって。そのまま飲むもよし、飲食物に混ぜるもよし――」
薬を紙に乗せ、盆の上へ置く。
「おい。起きろ」
揺り動かされて起こされたアペリは、いつも以上にぼんやりした視線をキルシュに向け、かすれた声で「お帰りなさい」と言った。
キルシュは一瞬目を丸くしたが、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻った。
「……寝ぼけてるんだな。
薬、自分で飲めるな?」
差し出された薬を見て、アペリは首を横に振った。
「飲めない……苦いの、嫌い」
途端にキルシュの機嫌が悪くなる。
「甘えるな。苦いかどうかは飲んでから決めろ」
そう言って、キルシュは紙に包まれていた粉薬をアペリの口へ流し込んだ。すかさずコップを両手に持たせ、口元へ運ばせると、あっという間に薬は腹の中へ流し込まれた。
アペリが涙目でぼやく。
「……苦かった……」
「良かったな。これで明日の朝には治る」
ずいぶんな自信だなと思い、使用した道具を鞄へ仕舞うキルシュを見上げる。
一瞬、視線があって、すぐに向こうから外された。
ぼんやり体を起こしたままだったアペリが、はっと辺りを見回した。
「なんでキルシュがいるの!? ……珍しぃ~」
「なんでって……猫に呼ばれた。アペリを助けろってうるさくて」
私、そんなに声大きくしてたつもりないんだけどな……。
アペリがこちらを向いて、首を傾げた。
「出れたんだ?」
『…出れたよ』
「デレた?」
『……………誰に』
とりあえず私をからかうくらいの元気は戻ったようだ。
シャツの胸元をつまんではたはたさせる。
「着替えよっかな~。ジスティ、そこの鞄取って」
指示された鞄を私が取る前に、大きな手が掴み、アペリの前へ渡した。
「ありがと」
「……お粥、作るけど」
「わぁ。気持ち悪いくらい優しい~ぃ」
からから笑うアペリの相手をして疲れた顔をしない人は、今まで会ったことがない。
キルシュも例外なく、大きな溜め息をついて部屋から離れた。
どこにでもあって、どこでもない場所。キルシュの店は、そんな曖昧な場所にあるらしい。だから、望みさえすれば誰でも、どこからでも来店出来る。
以前、アペリはそう説明してくれた。
アペリが着替え終わった頃に、キルシュの出て行った扉が開いた。
湯気の立つ、出来立てのお粥と、コップいっぱいの水が運ばれて来た。
「わぁ。キルシュの手料理ぃ~」
アペリが緩い笑顔を見せる。
『好きなの?』
「いや、初めて食べるかも。でもきっと、おいしいよ」
根拠は?と聞けば、きっと、魔術師の勘とでも答えるのだろう。
しかし、人間に対するアペリの勘は的中率が高い。それは時に、私達動物の直感に似ているかもしれない。
「いっただっきまーす」
胸の前で手を合わせ、ぱくぱくと食べ始める。
もうすっかり元気になったようだ。
食べながら幸せそうに笑うアペリを見ながら、隣でそんな風に思っていたら、キルシュが今夜はこの部屋に泊まると言い出した。
「良いけど。なんで?」
「明日には楽になるが……様子見だ」
『今でも十分楽になってるみたいだけど?』
「もしかして――」
アペリがキルシュを見る。肌はうっすらと汗をかいていた。
「試作…品?」
アペリが恐る恐るといった感じで口にした言葉に、キルシュが頷いた。
『試作品だと、ダメなの?』
「キルシュはね……薬の調合は得意だけど、たまに…危険な薬も調合しちゃったりする訳で……」
キルシュを見る。表情は普段通りだ。つまり、他人に試作品を飲ませるのはいつもの事。
今までは確認をしてから飲んでいたが、今回は熱に浮かされた状態で、確認出来なかったということだろうか。
「危険? 少し効き過ぎるだけだろ。
大丈夫だ。深夜に高熱が出るだけで、後は回復に向かう」
「本当に?」
「……はずだ」
付け足しちゃったよこの人……。
「水分を十分に摂って、さっさと寝ろ」
言われるままに、食べ終えた食器も何もかもキルシュに任せて、布団に潜る。
しばらくもそもそと身じろぎした後、落ち着いた寝息が聞こえてきた。
「……相変わらず、寝るのは早いんだな」
独り言のように呟いて、盆を持ち上げ、扉を開ける。
すぐに戻ってくると言って、キルシュは部屋から出て行った。
毛布と記録用紙を持って、キルシュは本当にすぐに戻って来た。
『おかえり』
「ただいま」
アペリが寝ている反対の壁に、毛布に包まって観察を始めた。
「入るか?」
せっかくの誘いだったので、言葉に甘えて膝の上へ。
あったかい。
けれど、アペリとはやっぱり坐り心地が違って、何度か姿勢を変えてみる。
やっと落ち着く姿勢を見付けて、私はもそもそ動くのを止めた。
室内はとても静かだった。
時計の針が動く音と、アペリの寝息が、時間が進んでいるのだと教えてくれる。
紙に何やら書いていたキルシュが手を止めて遠くを見る。
「……なぁ、」
私に呼びかけたのだろうか。
聞こえていると返事をする代わりに、耳をぱたりと動かした。
「旅は、楽しいか?」
――楽しい…かな。うん。大変だけど楽しい。
答えようと顔を上げると、ちょうどキルシュが顔を下げた。覆いかぶさる形になって、顔がとても近い。
『あの……近い、です』
「……眠い」
どうやら眠気覚ましのために話しかけてきたようだった。
でもこの体勢、熱がこもってこっちまで眠くなってくるんだけど……。
「アペリに……変化があったら、起こしてくれ……」
『ぇ……えぇっ!? 起きてて下さい!! 猫に「起こして」とか言うなんて変でしょ!?』
――兄弟揃って変人ですか!?
……という叫びはさすがに声にはしなかったけれど。私の必死な叫びも意味なく、寝息は二人分になった。
『……人間も夜行性になればいいのに』
「 ジスティ 」
暗闇の中で呼ばれた。
耳を立てて、確認する。空耳ではない。
呼ぶ声は――アペリだ。
毛布のカーテンから抜け出して、アペリの枕元へ。そして、すぐに叫んだ。
『キルシュ!! 起きて!!』
異常を察知して、キルシュは一声で起きた。寝起きの素早さはアペリとは真逆だ。症状に対して、てきぱきと処置を施していく。
やがて苦しんでいたアペリが落ち着いた寝息を繰り返す。
キルシュは、使ううちに無造作に置いていた道具を簡単に整理して一息ついた。
『……何も、出来なくてごめんなさい……』
「……?」
頭を下げる私を見て、キルシュは訳が分からないといった表情だ。
「なんで謝っているのか、分からないんだけど」
私が顔を上げ、声が言葉になる前に遮って、キルシュは言った。
「アペリが苦しんでいた事に気付いて知らせてくれた。それだけで十分だ」
言葉も、頭を撫でる手も不器用だけど、これが彼なりの気遣いなのだろう。
謝らなくていい。謝るよりも伝えなきゃいけない言葉がある。
『……ありがとう』
胸の温かさが、部屋の空気を柔らかくしたような気がした。
「やー、助かったよ~」
朝目覚めたアペリは、いつも通りのアペリだった。朝ご飯をぱくぱく食べ、ちゃちゃっと荷造りを済ませ、昼には宿を発つ予定らしい。
「――で、キルシュに一言お礼でも言っとこうかなーと思ったんだけどね」
四つの目が、昨日キルシュが出入りしていた扉に向けられる。
実はあの後、もう大丈夫だと判断したキルシュは、アペリが目覚める前に店に帰っていった。そして――
「……僕、怒らせるような事したかなぁ……」
何度か《店》に行こうとしているが、全く繋がらないのだ。
扉を前に肩を落とすアペリに、きっと大丈夫だよと言葉をかける。
『きっと寝不足だよ。帰る時だるそうだったし…今頃は部屋で寝てるんじゃないかな。
アペリの風邪がうつってないといいけど……』
「もし、うつしちゃってたら、看病しに行ーこうっと」
纏めた荷物を取りに行くアペリの足取りは、微妙にスキップしているように見える。
『嬉しそうだね』
「まぁね」
終
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