歌姫の呪い

 たどり着いた町はずいぶん静かだった。

 人がいない訳ではない。活気がない訳でもない。

 ただ、何かが物足りない。

 人がいて、活気があって、みんな楽しそうにしているのに……。


「……そっか。歌がないんだ」


 これだけ人がいれば、中には歌い手がいてもおかしくないのだが。歌どころか、音楽が一切鳴らされていない。


「なんでだろうね?」


 アペリは首を傾げて笑いかけたが、そんな事、私が知る訳がない。


「ジスティが知らない事くらい分かってるよ」


 人を――私は猫だが――からかって遊ぶのが好きなアペリはカラカラと笑いながら近くの店へ入った。

 扉が閉まり切る前に私も店内に滑り込む。




「――と、そこの、棚の上にあるやつも。ついでに」


 アペリが高い棚の上の段を指差し、注文する。

 店内を見回すと様々な植物や薬品が棚に並べられているのが分かる。

 大きな紙袋に買ったものを詰め、代金を払う。――とは言っても、実際に渡したのはこの国のお金ではない。


「来てたなら治してあげたら良いのに~」

「幽霊は対象外。それに、歌ならそっちの方が得意だろ」

「そうだね」


 会話を聞いていると、まるで今までにも会ったことがあるような――考えているうちにアペリが戻って来た。店主が私に気付く。


「それ、猫か?」

「尻尾以外は普通の猫だよ」


 そう、尻尾以外は。

 なぜか私には生れつき尻尾が三本あった。

 店主がカウンターの向こうから出て来て私を撫でる。


「……奇形児だったんだな」

『……アペリ……この人、何?』


 違和感は言葉だけではなく、手の内側にもあった。

 ただの薬師ではない事だけ分かるけど……。


「彼はね、僕の友人」

「兄弟子だ」


 すかさず訂正が入る。


「同じ師から学び、別々の道を選んだ」

「一緒にいたら無敵なんだけどな~」


 本気なのか冗談なのか、アペリの言動からは読み取れない。店主の方も微妙な顔をしている。


「呪った歌姫も呪われた王様もいないのに、どうして誰も歌わないんだろうね?」

「大昔の話だというなら、《歌》というものを知っている者がいない…と考えるのが妥当だろうな」


 薬師は私を抱き上げ、カウンターの内側に戻った。

 抱かれている私は久しぶりのアペリ以外の肩で緊張気味。尻尾が落ち着きなく動いている。

 カウンターの外にある棚を見ていたアペリが呟くように尋ねる。


「お城って…まだあるのかな?」


 薬師はずっとそうしてきたようにアペリの呟きに答えた。


「城跡だけならまだ残ってるはずだ。……まさか」


 薬師とアペリの視線が合う。


「そのまさかかも?」


 本気か冗談か分からない、いつもの微笑みで返して私を抱き上げると、くるりと薬師に背を向けた。


「話つけに行ってくるよ。呪いを解いて、歌を広める」


 さらっと言葉で言えるほど簡単な事ではない。猫の私でも分かる。


「そんなこと……今まで誰ひとり――」

「だから、ぼくがその一人目なんだよ」


 ちょっと後ろを振り返って薬師に笑いかけると、店を出た。



 城跡までの道のり、私が聞けなかった――薬師とアペリが話していた――話を聞かせてもらった。


『歌姫の呪い?』

「そう。

 昔々、この国には歌の上手い少女がいました――」






 少女が喜びの歌を歌えば小鳥がさえずり、風が微笑む。

 少女が悲しみの歌を歌えば、空さえ泣いた。


 国一番の歌姫と謳われて、少女はついに、国王に呼ばれた。


「私の歌は、個人のものではありません。

 たとえ王であろうと、歌を縛ることは出来ません」


 反抗した少女を捕らえ、そんな事はあるものかと国中におふれを出した。



――この国で歌うことを禁ずる。







『――それで、どうなったの?』


 私をちらと見て、アペリは続きを話し出す。


「もちろん、捕らえられている歌姫はそんな事に納得出来る訳無くてね」






 歌が聞こえない。

 話せる。聞こえる。でも歌えない。

 自分の歌も、みんなの歌も聞こえない。


 ただひとつ、歌うことを許されていたのは、国を――王を讃える歌。


 耐え切れなくなって、歌姫は溢れ出す想いを音に乗せて歌い出した。

 最初で最後の、怒りの感情を乗せた歌は、呪いとなった。

 以来、この国では誰が歌おうとも、その呪いが反応して大嵐をつれてくるそうだ。






 話し終わったアペリは空を仰ぐ。


「呪いは……かけるのは簡単だけど、かけた本人以外が解くのは難しいんだよね」



 やがて私達は、春の緑広がる城跡に到着した。



『……流れがある』


 外堀はちょっとした川のようになっていて、積まれた石垣からは野草が伸びていた。

 アペリは足元に生えていた水色の花を摘み、指先で遊びながら城跡を見渡した。表情には何も映っていない。

 歩き回りながらぼんやり空や野草、瓦礫を見ていたアペリが何かに反応してわずかに速度を上げた。


 しゃがみ込んで地面を調べていたアペリの手には、瓦礫の中から掘り出したらしい、古い髪飾りが乗っていた。

 《猫に小判》ではないが、私からしてみればただのガラクタ。でも、それが今回の問題と関係していることは分かった。

 アペリが顔を上げ、ふにゃらと笑う。


「こんにちは。歌姫さん」


 私達の目の前に音もなく現れたのは、栗色の髪の少女だった。

 飾り気のない白いワンピースに、サンダル。想像していた歌姫とは全く違う。

 少女は俯いて、呟くように応えた。


「……歌姫じゃない…の」


 はたはたと、零れたのは涙。


「ただ……私は、ただ歌うのが好きだっただけなの!」


「そっかぁ。ぼくも歌、好きだよ」


 少女を優しく抱き寄せ、一緒に歌うことを提案する。


「歌おう。君の好きな歌、教えてよ」



 二人分の声が響き合う。



「その鳥は、春を告げる


 注いだ雨には 温もりを

 雪どけの風に 花の香を」



 城跡から街へ、風に乗って広がっていく。



「ときおり、人は

 春の遠さを ふと嘆く


 やさしく鳴いた

 うぐいす、一羽」



 その歌声を恐れる者はいなかった。

 誰もが、天使が歌っているのだと思うほど、透き通った歌。



「ひとつ声 届くといい

 誰よりも、春を待つ人に――」



 歌が止む。

 見上げると、満足した二人の笑顔があった。


「素敵な歌だね~」


 アペリは右手を挙げて、歌を乗せて走り回っていた風を止めた。


『街の人達にも、届いたかな…?』

「きっと届いてるよ。歌姫の《呪い》が無くなったと知れば、少しは歌も広まりやすくなるはず」


 アペリが少女を見る。

 少女は晴れやかな笑顔で街の方を向いていた。


「歌えるっ」


 目を輝かせ、跳ねるように踊るように、アペリとジスティの周りを歌いながら回り始める。


「歌えるっ!」


 一際高く跳ぶと、足元から光の粒となって消えた。





 落ち着いた照明の店内で、薬師は試験管を揺らしていた。

 ふと視線を店の出入口に向けると、丁度客が入って来たところだった。


「…うまくいったんだな?」

「まぁね」


 客・アペリティフは自慢げに答えた。

 アペリの肩に乗っている黒猫は呆れたように尻尾を揺らす。


「で? なんでまたここに来た?」

「報告に」


 そんなもの、わざわざしなくても――


「聞こえてた?」

「…ああ」


 歌は街の端まで響いていた。店の中にいても聞こえたほどだ。何をいまさら確認なんてする?


「実はキルシュが一番心配してたんじゃないのかなって思って」


 途端に薬師の表情が不機嫌になる。


「その名前で呼ぶな。

 ……死んだ奴の心配なんてしても仕方ないだろ」

「そうだよね~」


 アペリは笑顔で、深く追求しない。それが余計に落ち着かなくさせる。

 まるで心の内を見られているようで――。


 黒猫の三本の尻尾が世話しなく動いている。


『《キルシュ》ってあだ名?』

「ううん。本当の名前だよ。かわいいでしょ」

「……可愛くなんてない」


 この名前のおかげで、今までどれだけからかわれて来たことか。アペリだって知っているはずだ。


「(いや……知ってて言ってるのか。なおさら質が悪いな)

 歌、国に広めるんじゃなかったのか? あれだと街の外には響ききれていない」

「えー。国中に響くほどの力は、さすがの僕も持ってないよ」


 アペリは、乾燥させてあった薬草を指先で摘み、形を崩して皿の上へ返した。


「でもさ、この街の人が騒ぐのも忘れて聴き入った。まずはそれだけでも十分だと思うんだ」


 崩れた破片のいくつかは、小皿から零れ落ちている。

 キルシュはそれを横目で見て、ため息をついた。


「で、未練は消えたのか?」

「みたいだよ。……ちょっと可愛かったなぁ~。

 『好きな歌が歌えないなら、王様達も歌えなくしてしまおうと思ったの…』だって。よくあるよね。うっかり言葉にしちゃった後で、後悔する事」


 うっかりで国一つが歌を忘れられるほどの呪いをかけられたら、たまったもんじゃないな。

 そう思ったが、口には出さないでおいた。表情には出てしまったようだが。

 アペリがテーブルにもたれる形でキルシュの顔を覗き込む。


「歌えなくて仕事に支障でも出た?」

「ふん。俺もティムスの弟子だ。世界くらい渡れる」

「ぼくより苦しむけどねー」

「お前は…いつも一言多いんだ」

「正直者だからね」

「はっ」

「鼻で笑ったぁ!??」」



 なんだかんだで仲良しな二人のやり取りを横目に、ジスティはあくびをひとつ。出窓から空を見上げた。


 遠くで、時を告げる鐘が鳴った。







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