雨の国

 降り出した雨は静かに静かに。

 傘を持たぬ旅人は、連れの猫と雨宿り。

 大きく枝を広げた木の下で、ずっと空を見上げていました。


『……やまないね』

「そうだねぇ。…雨、苦手だったっけ?」

 旅人は足元にいる黒猫を見た。猫の方も旅人を見上げている。

『濡れるのは遠慮したい』

「そう」

 旅人は笑顔で頷いた。

 猫は一声鳴くと、三本の尻尾をぱたぱたんと振った。

「じゃあ……雨が止むまで動けない、かな」

『え。《鍵》を使えばいいんじゃ――』

「《鍵》は《扉》が無いと使えないよ」


  * * *


 ぱちゃぱしゃ撥ねる水たまり。

 旅人は薄着になって雨に濡れる。

 呆れたように見守る黒猫、『そろそろ戻って来たら?』と言いました。


「何で?」

『風邪ひくよ』

「ちゃんと乾かせば大丈夫だよ」

 笑っていた旅人は、ふと顔を上げると後ろを振り向いた。途端に表情が真剣になった。

 まるで睨むように一点を見つめたまま動かない。

『どうしたの?』

 黒猫は尋ねたが、旅人は返事もしてくれない。視線の先を追い、探して、ようやく理解した。

 数メートル離れた大樹の下にも、黒猫と同じように雨宿りをしている人がいた。

 こちらが見ている事に気付き手を振ると、ついっと大樹の向こう側に姿を消してしまった。

『……アペリの知り合い?』

「いや…」

 「…覚えはないけど」と付け足す旅人を見て、黒猫は聞いた。

「なら、どうしてさっきはあんなに厳しい顔してたの?」

「……ジスティは知らなくていいよ」

 のけ者扱いされた気分だった。

 覚えもないのにあんなに厳しい表情をして、おまけに「知らなくていい」だなんて。明らかにおかしい。

「直感だよ」

 睨む黒猫に一言だけ言葉を付け足して、旅人は濡れたシャツを絞った。

 だばだばと飛沫をあげて落ちた水は、すぐに雨の流れに紛れてしまった。

 風を喚び、服を乾かすと、黒猫を抱き上げる。

「さあ、行こうか」




  【雨の国】




 半日程歩き続け、ようやく見つけた村で宿を取ったアペリは早速シャワーを浴びて服を着替えた。

「いやぁまさかあのタイミングで傘が壊れるなんてねぇ〜」

 湯気の立つマグカップを手に「あはは」と笑う。

 そう、雨降る森に辿り着く前には傘を持っていたのだ。

 傘を広げ、風の魔法で空を飛んだら早く目的地へ着けるのではと試したものの、実際は半分も行かないうちに傘の方が耐えられなくなって雨降る森の手前に不時着したのだった。

「せっかくだし、この村も少し見て回ろうよ」


 ポットの中身を空にしてアペリは部屋を出た。宿の受付前に置いてある傘を一本借りる。この村では傘は公共の物らしい。広げると大人二人が余裕で入れるほど大きくて丈夫だった。

「村の外出る時には一本買おう」

『レインコートは?』

「そっちも買う」

 色んな場所を歩き回るアペリの持ち物は大切に使っていてもすぐボロボロになる。今回の傘のように道具に無理させて壊してしまうこともあるが……。

 傘にあたる雨音と、石畳の隙間を流れる水の音を聞きながら村の中を散策する。

 どの家にも水車があり、その上には屋根に降った雨水を溜める水槽がある。降り止まない雨をエネルギーとして生活に利用しているらしい。よく見れば道の端にも小さな水車が回っている。

 村の端まで歩くと、桟橋を見つけた。

『大きな水溜りだね』

「湖かな。……向こうに島が見える」

「君たち、向こうの島まで渡るかい?」

 船の上の若い渡守に声をかけられた。今は渡らないと伝えたら「俺は毎日ここに居るから、渡りたかったら声をかけてくれ」と人懐こい笑顔で見送られながらその場を離れた。

 水筒に入れてきた温かいお茶を飲みながら散策を続けていると、お店の前で雨宿りをしているおばあさんを見つけた。おばあさんの隣にある傘立ては空っぽだ。

「あの、良かったら僕の傘に入ってください。送りますよ」

「あらまあ。ありがとう」

 素朴だが上品な印象のおばあさんはうふふと笑ってアペリの傘に入った。

 二人はゆっくり話しながら進む。

「旅人さん? どこから来たの?」

「地図にも載ってないような遠くからです」

「あら、素敵ね。私は生まれてからずっとこの村で生きてきたの。ねぇ、外の話を聞かせてくれないかしら」

「いいですよ。僕もこの村のこと教えてほしいです」

「うふふ。家に着いたらお茶会ね」

 坂道と階段だらけの道を登る。小高い丘の上におばあさんの家はあった。

「年に数回、晴れる日があるの。その時は湖に浮かぶ他の村も見えるのよ」

 今は見えないけどねと言いながらドアを開けて旅人を招き入れた。

 最小限の設備だけの小さな家だった。

「もう何年も一人なの。友人も段々減ってねぇ、久しぶりのお客様だわ」

 お茶とお菓子を用意して席に着いた彼女は、「何から話そうかしら」と楽しそうにしている。

 アペリは小さな皿に盛られた小魚の煎餅をつまみ、口へ運ぶ。少し、鞄の中のジスティにもお裾分けする。

「やっぱり水場が近いと魚が特産になるのかな」

『でも雨続きだと干物作れないんじゃない?』

「うーん。服みたいに暖炉の前に干して作るとか?」

「この煎餅のこと? これは工場で作られてるのよ。この辺りの食べ物は大体工場で生産されてるわね」 

 歩いてきた景色の中にそんなに大きな建物は見当たらなかった。他の村にあるのかと思ったら意外な答えが返ってきた。

「地下にあるのよ」

「地下……」

「雨水だけでなく地上を流れる水もエネルギーに換えて、村にたまに来るお客様の分まで賄える食糧を生産しているの。すごいでしょう」

 おばあさんが誇らしげに話す。

 道も家も石造りで、まさか地下にそんな施設があるだなんて思いもしなかった。

「村によって地下にある工場で生産している物が違うから、余裕のある分は舟で運んで物資が不足している村へ届けるの」

「へぇすごい」

『意外に工業も発達してる?』

「そうそう! 旅人さんの話を聞かせて!」

 少女のように目を輝かせる老婆に、アペリは自身の体験した世界を語り聞かせた。


 いつの間にか厚い雲で暗い空は更に暗くなっていた。

「あらもうこんな時間。長く引き留めてごめんなさいね」

「いえ、楽しかったです。ありがとうございました」

「うふふ。こちらこそ、たくさんの楽しい時間をありがとう」

 おばあさんに別れを告げて宿へ向かう。

 鼻歌を歌いながらシャワーと夕飯を済ませ、布団へ潜る。

 雨音を聞きながら、微睡みの中へ意識が沈んでいく。


 降り続く雨は強く強く。

 目覚めた旅人は黒猫と一緒に朝食中。

 窓から見える大きな水溜りが、昨日より近くに感じた。

「今日は一日宿に居ようか」

 二階の部屋で魔術の補助に使う石の選別をしていると遠くからゴゴゴゴゴ…と、低い音が聞こえた。雷かと思って窓を覗いたら、湖の水位が大きく下がっていた。

「!?」

 急いで荷物をまとめて宿の主人に避難するよう進言した。

「ああ、大丈夫ですよ。もうしばらくお部屋でゆっくりしていて下さい」

 宿の主人曰く、強い雨が降り続くと湖の水を逃すのだという。

「ダムのようなものです」

 主人は穏やかに笑っている。

 実際村の様子を見ても、慌てて避難する人は見当たらない。

「……逃した水はどこへ流れていくのですか」

「地下の工場を通ってから遠くの海に流れ出るよ。古い言い伝えを信じるお年寄りは「龍神様の御業だ」なんて言うね」

 アペリと宿の主人とのやりとりを聞いていた常連客の男が笑いながら言う。

「大丈夫だぁいじょうぶ!! もう何十年も繰り返し村を護ってきたシステムだ。部屋で昼寝してるうちにまた小降りに戻るし、そしたら水位も落ち着く。今は大人しくしておくのが一番さ!」

 がははと笑ってコーヒーカップを高く掲げた。

 確かに今は部屋で大人しくしている他なさそうだ。窓の外の土砂降りを見てアペリは溜め息をついた。


 その日、何度も水位調節の音を聞いた。

『こんなシステム構築しなきゃいけない土地に住み続けるってすごいよね』

「それがまた誇りとして村人達を支えてるんだろうね」


 村人達の言っていた通り、翌日にはまた小降りに戻っていた。

 穏やかな日常を取り戻す村をぐるりと見て回ってから、アペリは再び桟橋に訪れた。

 一昨日声をかけてくれた渡守が居ない。

『毎日居るって言ってたのにね』

「今日はお休みかな」

 別の渡守が居たのでその人の舟で次の村へ送ってもらう事にした。

「あぁ、あいつは昨日も舟を出していた。仲間は止めたんだが、聞かなくてなぁ。湖の神様に連れて行かれたよ」

 老いた渡守はそう語った。

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