第104話 『補えぬもの』

「そのギフトはもう、使っちゃだめです……!」

「そんなこと言ってる場合か! 早くしないと、トウヤが!」

「これ以上使ったら、本当にイドラさんが死んじゃいます! 今度こそ、イドラさんが起きなくなったら、わたし……」

「そんなのわからないだろ! まだ助かるかもしれないのに……!」


 イドラの言葉に、悲痛に表情を歪ませる。

 ソニアとて助けられるのなら助けたい。けれど——


「お願いです、やめてください……っ。次にあの能力を使って、イドラさんが死なない保証はありません!」

「——っ、でも……!」


 目に涙を浮かべて懇願するソニア。イドラはその手を振りほどこうとするのに、どうしても抵抗感が湧き出てしまう。

 しかし、コンペンセイターを使えるのはイドラだけだ。

 自分がやらねばならない。断固たるその意思で、縋りつく細い手を振りほどこうとする。


「イドラ」


 その刹那、肩に手を置かれ、イドラは振り向く。


「もういい」

「カナヒト……」


 カナヒトは、戦いの直前に見せたのと同じような、悲しげな眼差しでイドラを見つめていた。

 深く傷つき、悲しみに揺れる——それでいてどこか優しい眼差し。


「カナヒトまで僕を止めるのか。僕なら大丈夫だ、死ぬと決まったわけじゃない! また昏睡で済むかもしれないだろ……!」

「だから、もういいんだよ」

「なんでだ! リスクがあるのはわかってる、でも、トウヤは今処置しないと——」

「手遅れだからだ」


 端的で、しかし重みを伴った一言。

 思わずイドラは言葉を止め、今一度、倒れるトウヤの方を見た。

 ……そばで泣きじゃくるセリカ。トウヤの流血は止まり、その胸の穴からは向こう側がわずかに透けている。


「あいつは……灯也はもう、死んだ」


 それはもうトウヤではなく、一個の死体だった。

 心臓を貫かれ、完全に破壊されている。蘇生のすべなく、『補整』の余地なく、即死だったろう。


「死を覆すギフトなんざありはしない。むしろ、半端にお前のギフトが通じる方がヤバい。コストだけ支払わされてみろ、それこそ最悪以下の最悪だ。言ってることがわかるな?」

「それ、は……」


 コストだけ——つまり、代償だけ。

 死とは、ある意味で生命の完結だ。世に産まれ、生という過程を経てたどり着く終着点。

 そこに補整する欠落などありはしない。死とは無欠であり、完全なのだ。

 だというのに補整を試みれば、死を覆せぬまま、相応の『代償』だけ払わされるということも考えられる。

 イドラは手の中の赤い短剣が、どくんと拍動するような錯覚を覚える。

 単に不発に終わればまだいい。だが蘇生を試みる代償として、死と釣り合うだけのものを払わされれば——

 まず間違いなく、死体が二つになる。

『片月』のリーダーとして、カナヒトが許可を出すわけがなかった。


「……こんなのって、ないだろ」


 イドラは脱力し、その場に立ち尽くす。コンペンセイターを使おうとしなくなり、ソニアも縋りつくのをやめた。

 イドラとトウヤは打ち解けかけていた。

『ネガティヴ☆ナタデココ』という共通の話題もあったし、性格的にも合うところがあった。

 正式にチーム『片月』に入り、イドラは、これからカナヒトやセリカ、トウヤとも親密になっていくと——そう、思っていた。

 思っていたのに。


「続きのディスク、渡してくれるんじゃなかったのか……!」


 やるせなさが押し寄せる。思い出したかのように、疲労が肩にのしかかる。

 つぶれるように膝をついてしまいたかった。そうしないのは、再び立ち上がる気力が残っていないとわかっているからだった。

——クイーンをもっと早くに片付けていれば。

——後方の二人にも気を配れていれば。

 どれだけイドラが悔やんでも、取り返しがつくことなどない。

 ここは現実。万彩灯也という人間は、もうなにをしても戻らない。

 ふとイドラは、周囲のチームも戦闘を終えていることに気が付いた。音が止んでいる。

 アンゴルモアの大規模な群れは、すべてが一掃されたようだ。


「——」


 しかし窪地のふちから辺りを見渡してみると、勝利の喜びに沸き立つ者など皆無だった。

 誰もが、天か地へと顔を向けていた。

 悔やむように下を見るか、天を仰ぐように上を見るか。

 セリカのように座り込んで泣きじゃくる者もちらほらといる。


「ぅ……ぁ、っ……」


 チーム鳴箭めいせんの、あのイドラたちをからかってきた茶髪の少女も、誰かの杖を抱いて、どこか呆然としながらはらはらと涙を流している。

——よくて、八割ってとこか。

 戦闘前のカナヒトの言葉が、イドラの耳奥で反響する。

 カナヒトの見立て通り、全体でおおよそ二割の人員が死亡した。

 あれだけの数のアンゴルモアとぶつかれば、犠牲が出るのは避けられないとカナヒトにはわかっていたのだろう。むしろ、もっと大勢が戦死する可能性も十分あった。


「こちら奏人。灯也が戦死KIA。あぁ、コピーギフトは回収する」


 カナヒトはコミュニケーターに片手を当て、通信をしつつ、トウヤの死体のそばにあるコピーギフト——単色天弓を拾い上げた。

 その様子を見て、イドラは思わずといった風に訊く。


「遺体は……」

「持ち帰れん。ここに埋めていく」

「そんな——」


——遺体よりも、コピーギフトの方を優先するのか。

 イドラの顔には、そんな問いがありありと浮かんでいたのだろう。

 カナヒトはイドラの表情を見て、重く、重くうなずく。


「これが、俺たちの仕事なんだよ」


 優先するのだ。物言わぬ亡骸よりも、終末の使者を退けるわずかな希望を。

 カナヒトは北の方角を振り返りながら、続けた。


「北壁まであと少し。作戦は続行中。だったら生存者は、先へ進む義務がある」


 前を向く態度と発せられる言葉には、鋼じみた屈強な決意のみが表れる。

 もっともその瞳にだけは、また別の感情が浮かんでいるようでもあった。しかし彼はそれをチームの仲間には見せなかった。


「芹香、そろそろ立て。埋葬を終えて、すぐ出発だ」

「リーダー……」


 カナヒトに声をかけられ、セリカは憔悴した顔を向ける。目は真っ赤で、涙はまだ止まっておらず頬を濡らし続けていた。


「待って……今っ……今、お別れするから」

「……少し待つ」


 セリカは小さな声で、トウヤの遺体に話しかけた。距離を取っていたので、イドラにその内容までは聞こえてこなかったが、震える肩と背中から、また泣いているのは見て取れた。

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