第103話 『安息なき場所』

 ここで悔やんでいても、死の可能性を上げるだけだ。ソニアは頬をぺちんと叩いて気持ちを切り替え、足元のワダツミを拾い上げた。

 左腕の動作に問題はないようだ。服まで含め、完璧に復元されている。

 そのことに、内心でイドラは安堵した。


『イドラ君——』

「あ……先生。その、すみません。約束を破ってしまって」

『——いや、キミがソニアちゃんを見捨てられるはずもない。謝ることではないよ。ただ、方舟に帰投後は医療部の検査を受けるように』


 コミュニケーター越しのウラシマの声は、怒るでもなく、むしろ労わるようだった。


『灯也君、そちらの状況は』

「こちらは問題ありません。クイーンを取り囲むアンゴルモアの数もだいぶん減りましたから、芹香君と二人で十分対処できるかと」

「こっちは平気だから、ソニアちゃんたちはリーダーを手伝ったげて!」


 やや離れて、ハウンドたちを引き受けるセリカがそう呼びかける。

 カナヒトはソニアが左腕を斬り飛ばされてから、単独で環首刀を手にしたクイーンを抑え続けていた。

 ちょうど、剣戟を繰り広げていたカナヒトが、無造作に振るわれるクイーンの一刀を灼熱月輪で防ぎ、イドラのそばまで後退してくる。


工作人ホモ・ファーベルってか? 冗談じゃねえな、まったく」


 ぼやくカナヒトの頬を汗が伝う。

 人型のアンゴルモアは、人を真似るかのごとく道具を手にした。創造性を得た。

 だがその膂力は人間の比ではない。カナヒトほどの実力者でも防戦一方、得物が不壊の性質を持つコピーギフトでなければ一合でへし折られていたことだろう。


「すまんカナヒト、こっちは大丈夫だ。ソニアも動ける」

「ご、ご迷惑おかけしました。治してもらったので、もう戦えますっ」

「そいつは重畳、だが焦って先走るなよ。連携して仕掛けるぞ」

「ああ」

「はいっ」


 三者の眼前で、クイーンはゆらりと環首刀の刃先を目の高さまで持ち上げる。

 怪物のそれとは思えぬ、隙のない構え。

 カナヒトの言う通り悪い冗談、それとも悪夢のようだ。現生人類にとっては。

 だがどこまで悪夢のようであっても、そこが現実であるなら抗うほかない。アンゴルモアが蔓延る現代に生まれ落ちた者たちは、それを自然と悟っている。

 連戦の疲労は全員に重くのしかかり、時間をかけるほどに危険は増す。特に単独でクイーンを抑え続けたカナヒトの消耗は相当なものだ。表にこそ出さずとも。

 加えて言えば、コンペンセイターによる『補整』を行ったイドラも、倒れれば起き上がれないほどには困憊している。

 つまり、これ以上の被害が出る前に——

 電撃めいた迅速さで、クイーンを殺す必要があった。

 

「行くぞ!」


 先陣を切るカナヒトの刃がクイーンを襲うも、黒い環首刀がそれを難なく弾く。そこへソニアがワダツミを斜めに振り下ろすが、これもクイーンはその刀で受け止める。


「フミコミ、アマ」

「——っ!」


 拮抗するかに思われた二本の刀刃とうじんのうち、黒の一方がスライドする。

 先と同じ、下方へと流してから手首をひねる、閃光のような返し刀。

 片腕を両断されたのはつい先ほどのことだ。恐怖からか、ソニアはオーバーに飛びのいて殺傷範囲から逃れ出た。


「はぁ——!」


 入れ替わるように黒い彫刻の懐へ飛び込んだのは、逆手にコンペンセイターをにぎるイドラだ。裂帛の気合いとともに、金属のような光沢に覆われた黒い体表を斬りつける。


(……浅い!)


 クイーンの弱点は聞いている。心臓だ。

 ヒトを模した結果、急所までも同じになってしまったらしい。

 しかしクイーンの方もそれを理解しているのか、胸をかばうように半歩下がり、深手を避ける足運びをする。

——ならばもう一歩。

 続く二撃目で、その心臓を串刺しにするまで。

 後退するクイーンを追い、死線を越えて踏み込む。敵の刀は未だ、ソニアを狙って切り上げたことで上方にある。

 この位置なら、刀を振り下ろされるより先に、逆手の刺突を繰り出せる——


「イドラさんっ!」


 後方からソニアの警告。イドラは敵の姿を、今一度素早く確認する。

 そして戦慄した。空中に再び浮かぶは、極小の天の窓ポータル

 クイーンは環首刀から片手を離し。空いたその手で、現れた二本目の柄をつかみ取った。


(二振り目……!?)


 極度の集中が世界を減速させ、スローモーションの中を思考だけが駆け巡る。

 イドラは、クイーンが今まさに天の窓ポータルから引き抜いた得物が、環首刀よりずっと小ぶりな小太刀であることを視認した。

 小回りの利くあの刀であれば、懐に潜り込んだイドラを手早く叩き斬ることができるだろう。

 二刀の技。こんなものを隠していたとは——

 既に刺突の動きに入ったイドラに、回避は到底不可能だった。速度の減じた視界の中で、逃れられない死の鉄槌を受け入れる。

 いくら体感時間が伸びていようと、出来事は一瞬で、感情はまだ遅れている。

 ゆえにイドラは恐怖も諦めもなく、仲間のために、せめて相打ちにとコンペンセイターの柄をにぎる手に込める力を増す。

 黒い胸を穿つまであと少し。されど、頭上から振り下ろされる小太刀がイドラを斬り伏せるまでも、あとわずか——


「——伝熱ヒーティング


 そこへ、白い刃が差し込まれた。

 白熱の光を帯びる湾曲した刀身。傑作コピーギフト、12号・灼熱月輪の、伝熱ヒーティングのスキルを使用した状態。


らせねえよ。うちの大事な新入りだ」


 イドラの頭上を守るように振り上げられた一刀は、三日月を思わせる白い輝きの軌跡を残しながら、死の鉄槌をはねのけた。

 小太刀が弾かれ、イドラの邪魔をするものはなくなる。

 礼を告げる暇も惜しく。迷いなく、イドラは赤い短剣を敵の胸に突き刺した。


「——————ギッ」


 悲鳴を上げる代わりに、引きつりのようなこわばりを一度だけ見せ、クイーンのアンゴルモアは絶命した。

 塵となり、やがて塵さえも消え、クイーンはイドラたちの目の前で消滅していく。

 しかし、コンペンセイターに穿たれた、その心臓だけは残された。穴から黒い液体をぴゅうと噴き出している。

 女王核コアと呼ばれる、クイーンの心臓部にある、握りこぶしほどの大きさをした黒い球体。これが特殊な電波を発し、周囲のアンゴルモアを操っているのだと言われているが、詳細は表向きには不明とされている。

 ただともかく、女王核コアは消滅せず、破壊されればクイーンは即死するため、重要なパーツであることは確かだった。


「倒した……!」


 敵の消滅に、さしものイドラも安堵の息をつく。

 強敵だった。ひょっとすると、ヴェートラルくらいに。

 高い知性に、それを活かして操るアンゴルモアたちの狡猾な連携。さらに、カナヒトさえ驚愕していた武器の使用。

 ここまで倒してきたアンゴルモアとは、根本的に性質が異なる。

 特に刀を呼び出したことについては、カナヒトが知らなかった以上、方舟にも情報のない事態だろう。落ち着いた場所で整理する必要があった。

 しかし今だけは、つかの間の休息を——


「きゃあああああぁぁぁぁぁッ!!」


 張り詰めた緊張がようやく緩もうかといった時、ただごとではない悲鳴に、イドラはバッと振り返った。


「……セリカ?」


 悲鳴の主はセリカで、彼女は地面に座り込んでいる。そのそばには、草の上に身を横たえる、何者か——


「嘘、だろ」

「トウヤさんが……そんな。あ……あっ」


 そばに落ちる黒色のコンパウンドボウ。イドラはその、胸部の空洞からどくどくと血をあふれさせる誰かが、トウヤだと気づいてしまった。

 まぶたは開いたまま——しかしどこを見るでもなく、光を失った目が虚ろに景色を映す。

 胸には、イドラがクイーンに穿ったよりも巨大な、背中まで貫通する穴。

 血だまりの中に沈む姿に、ソニアはぺたりとその場に崩れ落ちた。腰が抜けたのだ。


「灯也、ねえ、起きてよ。あたしが悪かったから、ねえ……っ! 灯也、灯也ぁっ!」


 セリカは反応のないトウヤを懸命に揺らしている。そのたびに、胸部の穴から血がどっと漏れ出た。

 荒野に吹く乾いた風が、むせかえるような血のにおいを周囲に運ぶ。


「あたしのせいで……どうしよう、あたしが、守らなきゃいけなかったのに」

「芹香、なにがあった?」

「あ、あたしの援護をしてくれてた灯也の後ろに、いつの間にか、ハウンドが回り込んでて……」

「……まさかクイーンのヤツ、俺たちと戦いながら、ハウンドを操って背後から襲わせたのか?」


 ぎり、とカナヒトの歯ぎしりの音が鳴る。

 狡猾にして残忍。ヒトが時にそうであるように、クイーンは非情な手を躊躇なく選ぶ。

 結果的にクイーンは、自身の命さえおとり同然にして戦果を挙げた。


「いや……! まだだ、まだ、僕のコンペンセイターがある!」


 沈痛な雰囲気が場を包みかけたとき、それを払拭するようにイドラは叫んだ。


「このギフトの能力ならトウヤを救えるかもしれない! その胸の穴も……補整して、元に戻せるはず——」

「だめですっ!」


 コンペンセイターを手に、意識なく横たわるトウヤへ歩み寄るイドラ。

 それを、縋りつくようにしてソニアが止めた。

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